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パン屋日記 #57 ラスト・ラン

その小さなレストランは、
いつも通り朝8時にオープンしました。

いつもと違うのは、

いろんな業者さんが
入れ代わり立ち代わり挨拶に来ること

お客さまが、いつもより多く
お写真を撮られること

そして、

今日の夕方にいつも通り閉店した後は

もう二度と
オープンしないということでした。



わたしが出勤した時はちょうど

セントラルキッチンの工場長が、
シェフのところへ別れを惜しみにきていました。

次はどこへ行くのかと工場長が尋ねると、

「料理の仕事は、なんにもない。介護しかない」

とシェフが答えました。

その時は、全国の飲食店が
苦境に立たされていたタイミングでした。

「介護って…何するん」

と工場長が言うと

「介護を、するんでしょう」と

下がったままの眉毛で、
シェフが笑いました。

レストランは最後まで活気に満ちていて

お客さまは、いつもより少し
ゆっくり過ごされているようでした。

最後には材料が無くなって

ご飯とお味噌汁しか出せないんじゃないかしら、
と心配していましたが

シェフの凄腕が
ありものを巧みに組み合わせ

40年の矜持を、
なんとか守ることができました。

休業中は、

割引券や閉店セールについての
心ないお問い合わせに辟易しましたが

いざラスト・ランを始めてみると、

そんなことを口にする人は
一人も来ませんでした。



ラストオーダーの時間になると

マリア部長が、
箱入りのドンペリを持って店に降りてきました。

「どうしよう、ワインを開けるやつがないねえ」

とわたしが言うと、

シェフは包みを開く前に

「これは手で開くやつです」

と言って、さっさと世話をしてくれました。

おいしいねー、おいしいねとみんなで分けて

シャンパンは、
あっという間に空になりました。

そう、この日は午後3時の時点で

スタッフ全員が、

「ちょっと飲んでいた」

ことをお詫び申し上げます。

勤務中に飲むシャンパンは、
深夜にラーメンを食べてしまったときの
あの気持ちによく似ていました。



そうそう、

映画の主人公のようにすれ違っていた
常連客のクマ崎さんと用務員の木村さんは

無事、最終日のモーニングで
再会することができたそうです。

40年間ずっとそうしてきたように

天気の話をして、コーヒーを飲んで
席を立ちました。



レストランを出る際、用務員の木村さんは、

シャンデリアの電球が
一つ切れていることに気づきました。

(電球を替えるといっても、今日限りの店か……)


という思いが

一瞬、頭をよぎったそうですが


「今日のことは、今日のことじゃ」


そう思い直して椅子に登り、

これまでやってきた通りに、
シャンデリアの電球を替えたのだそうです。

やれやれ、終わったと息をついて
足元を見ると、

レストランの席が空くのを待っていた、
小さな女の子とそのお母さんが

色あせたビロードの椅子を
ずっと押さえていてくれたことに

気づいたのでした。


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