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人の一部と、ほとんど全部

ふとした言動にその人の全部が表れる……とまでは言わないが、そうじゃないにしてもやはり、「ほとんど全部」くらいは表れるんじゃないかと思う。

会員制サービスを提供する仕事に転職した。月々いくらの会費をいただいて定額使い放題、というイメージだ。

数ヶ月前にオープンしたばかりの拠点。順調に会員数を伸ばしていたが、月額制ならではの問題が起こった。国や県からの要請にともなう時短営業で、サービスを自由に利用できる時間の量が減ってしまったのだ。

人情としてはやはり、本来利用できるはずだった時間の分だけ、会費を返金しなければならない。

「オープンしたばかりの拠点」は借金のかたまりだ。新品の什器、新品の機械、リフォームしたての天井、少ないお客さん。そのせっかくの「少ないお客さん」にさえ、レジから現金を抜いて数千円ずつ返していく日々が続いた。入ったばかりのいち従業員ながら、ハラハラする作業だった。

あるお客様に、4,400円を返金した時のこと。その人は年配の男性で、だいたい毎日、だいたい決まった時間に、淡々と来店する。いつも一人で訪れ、客ともスタッフとも世間話をすることはない。とはいえぶっきらぼうなわけではなく、必要なやりとりを過不足なく行い、毎日淡々と利用し続けてくださっていた。

黒革のコイントレーに、現金で4,400円。(毎日こんなに返して、この店大丈夫なんやろか?)お札を扇形に並べて、粛々とお客様の元へ。緊急事態宣言でご利用いただける時間が減ってしまったので、ご迷惑をおかけして、うんぬんかんぬん、返金させていただきます。

お客様は4,400円を見て、ふっと顔を上げ、たったひとこと。

「頑張ってください」

そう言ってご利用に戻った。

もし、私だったら。いつも利用しているサービスで、思いがけず目の前に4,400円が戻ってきたら。たぶん、「ありがとうございます!」と言ってしまう。なんなら心の中で「ラッキィ!」と言うだろう。寝る前にはこんなふうに思い出すかもしれない。今日はちょっといいことがあった、と。

あのたったひと言で「この人は素晴らしい人だ」と決め込むのは時期尚早だ。でも、「ほぼ素晴らしい人」ということで、間違いはないと思う。


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