見出し画像

東京日記〜幻の港区と「ゆで太郎」

慎重な性格だ。「面接会場の下見」および「面接まで待機するための近隣カフェの下見」に訪れた。面接会場、もとい応募先の会社は港区にある。「港区女子」の港区だ。

最寄りの浜松町で電車を降りる。初めて来る場所だと思っていたが、改札を出た瞬間に記憶がよみがえった。学生の頃、劇団四季を観に一度来たことがある。なんでも行っておくものだ。


港区のビルは、全部高くて全部ガラス張りだ(個人の感想です)。Googleマップを頼りに未来の城を探す。
…見つけた。おい、どうした。私が応募した会社だけ、圧倒的にレトロじゃないか。


まずもって、ガラス張りじゃない。昔ながらの、ずっしり重い素材でできたビルだ。ビル名そのものもさることながら、切り文字看板の堂々たるフォントまで、広島でもちょっと見かけないくらいレトロである。

それだけではない。ビルの隣には「ゆで太郎」という店があった。再度確認だが、ここは港区である。

私は「ゆで太郎」が何なのか知らないが、そこは大方、蕎麦かうどんで間違いないだろう。私は「ゆで太郎」を利用したことがないが、十中八九安いに決まっている。だって「ゆで太郎」なのだから。

私は「ゆで太郎」の店前を注意深く観察した。月見とろろ蕎麦が600円で食べられるらしい。フジのフードコートと変わらない。ゆで太郎、お前とは長い付き合いになりそうだ。次に待機カフェの下見に行った。

私がアタリをつけたのは、近隣のビルの外階段を登ったところにある2階のカフェだ。15時、港区のカフェ。きっとロイヤルな雰囲気のなご婦人でごった返しているに違いない。

扉を押し開ける。広い店内に、2人の女性店員と2人の客がいた。
つまりガラガラだったのだ。

2人の女性店員が、内輪話を止めてこちらを見た。ホットコーヒーと日向夏のチーズケーキを注文する。

チーズケーキは、自分へのご褒美だ。遠いとこから、一人でよく来たね。ホテルをとって。切符を買って。スーツをホテルに先送したのも、大変おりこうさんだった。ゆえに私には、チーズケーキを食べる権利がある。

女性店員は可もなく不可もない接客をさっさとこなし、作り置きのコーヒーを注いで締めの「ありがとうございました」を言おうとした。その時だった。


『こちらホットコーヒーとチーズケーキでございます、ありがとうございましたそれ松岡さんが悪くなーい?』


(…んっ?)


女性店員は、「ありがとうございました」と言い終わるか終わらないかのタイミングでバックヤードに振り返り、どこまでがワンフレーズかわからないほどの滑らかさで、第三者である「松岡さん」の話を始めた。

彼女はコーヒーを注ぐ間も、
ケーキを出す間も

「松岡さん」のことが気になって
仕方なかったのだ。

「松岡さん」の
あるかなきかほどの非について、

同僚と話したくって
仕方なかったのだ。



ガラガラだった、港区のカフェ。

「東京の人」は、電車を満員にするために
ずーっと電車に乗っていて

ほんとうは、どこにも存在しないんじゃ
ないかしらと思ったりした。

ロイヤルなご婦人も
都会の接客も幻だったし、

彼らのランチはきっと「ゆで太郎」だ。



カフェで時間をつぶし、
わざと帰宅ラッシュに合わせて
山手線に乗った。

ホームで電車を待つ時
女性が多い列に並んでおけば、
車内でも周りが女性になる、と気づけた。

私の真後ろで、
若い女性2人組が話している。

「野本さん、夏派ですか、冬派ですか?」

『えっ、冬派』

「わたしも冬派です!」

なんだ、東京でも、
季節の話をしていいのか。

山手線に乗っているのは、
鬼じゃなくて普通の人だった。

車内で、小声で

「冬の方が、空気おいしいですよね」

と話が続いていく。

「夏の空気は、なんかもわもわしてる」

とも聞こえてきた。

もうすぐ、もわもわした季節がやってくる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?