音楽との関わりで振り返る生と死

音楽が好きでたまらない。

音楽を聞くことも、楽器を演奏することも好き。歌うのはあまり得意ではないけれど歌うのは好きだし、カラオケも好きだ。ざっくりと言葉のまま、「音を楽しむこと」が多分好きなのだと思う。

最近結婚式のBGMを選ぶために色々な音楽を聞いたり、好きな音楽をリストアップすることがあり、ふと自分と音楽の関係性について考えたりした。音楽の何が好きなんだろう、と。


周囲に流されてはじめた音楽

友人がいるから、運動が嫌いという後向きな理由で小学校高学年のクラブ活動ではトランペットクラブ(一般的にいう鼓笛隊)に入った。打楽器とトランペットを1年ずつやり、マーチング的なこともして楽しかった記憶がある。これが最初の音楽とのちゃんとした出会い。

そして小学校6年生で「みんな習っている」という理由でピアノ教室に入った。発表会には出ない条件つきにも関わらず、結局1年で辞めた。

青春と吹奏楽

ピアノを辞めたのは中学校で吹奏楽部に入ったからだ。というより、吹奏楽部で始めたアルトサックスの格好良さにやられてピアノを続ける意味を見失ったからだ。その頃、のだめカンタービレ(と、玉木宏)が物凄く好きで、みんなで作る音楽なるものに夢中になっていた。

当時の顧問が「合奏を終えた後にその空間に音がふわっと残るときはいい演奏だったということ」みたいなことを言っていた。音が合っているとかそういう意味での発言だったが、純粋に数十人の気持ちと音と目線が1点に集まっている空間と熱量には心打たれるものがある。音楽で一喜一憂したり、音楽を通して泣く経験をしたのはこの時だろう。

ちなみに中学3年生は部長をやっていて、顧問が引退時に「部長は孤独なものだが、そう感じさせなかったのは鈴木の人間性のおかげだ」と楽譜帳に書いてくれて、すごく嬉しかったな。

体験型音楽の興奮の共有空間

高校は部活ができず、大学に入ってからは専らライブやフェスにはまった。きっかけはYou Tubeで知ったサカナクション。サカナクションのファンクラブ会員歴は8年を超えている。

どうにもこうにも勝手に動いてしまう自分の体、そして自分の周りにも同じ音楽を同じタイミングで感じて共有する人たちがたくさんいる。知らない人たちなのに笑い合い、踊り合い、声を上げる、あの一種の宗教的な熱狂は言葉で言い表すのは難しいくらいにわたしを興奮させた。

そして目の前には、全力で好きなことをしているアーティストがいる。あの人たちが楽しそうにしている姿を見ると思わず笑顔になってしまう。早くライブに行きたい。


今、家で音楽を聞きながら思うのは、わたしにとって音楽はその時その時の出来事を鮮明に紐づける要素だということだ。片想い中に聞いた曲失恋後に聞いた曲受験前に聞いた曲ドライブ中に聞いた曲、全てリンクして離れない。音楽はわたしの歴史なのかもしれない。

その中でも生死とリンクして記憶に残っている曲がある。

ZONEのsecret base 〜君がくれたもの〜だ。

歌詞から感じた死の予兆

この曲は小学生の夏休みの定番だったキッズ・ウォーで使われていたため、耳にする機会が多かった。

10年後の8月 また出会えるのを信じて
君が最後まで 心から「ありがとう」叫んでたこと知ってたよ
涙をこらえて 笑顔でさようなら せつないよね
最高の思い出を

「また出会えるのを信じて」は、多分会えないということなのだろう。会えると信じても会えない、この人はきっともうどこかへ行ってしまうのだろう。

そう思うと、母が死んでしまうことに恐怖を覚えた。そして数日間わたしの食欲は無くなり、異変に気付いた母に心配されて泣きながら理由を話したのが祖父の入院先の病院から帰るレッドロブスターだった。「大丈夫、ままは死なないよ」と言われたところまで、まだしっかり覚えている。

そしてその時期から間もない頃に、祖父は亡くなった。

わたしは当時からよく泣く子どもだったため、祖父は「先が長くないことはあいかには言うな」と言っていたらしい。実際わたしは祖父が死ぬ病気だなんて微塵も感じておらず、"山場"の夜に急遽病院に家族全員で向かうことになったタイミングで「じいじがもう死んでしまうかもしれない」と聞かされて気付いたくらいだった。その時は病院にいるのに何故死なないといけないのかと大泣きした。

今考えると祖父の死を何となく察知して、「人が死ぬこと」を無意識に感じていたのかもしれない。だから曲が死を連想させてしまった気がしている。今でもこの曲を聞くと当時の悲しかった気持ちと映像が思い起こされるし、家族が死んでしまうのは嫌だなあと不安になる。


音楽はわたしにたくさんの感受性を与えてくれたと思う。喜怒哀楽もそうだし、熱狂と興奮という自分の知らなかった自分が内にいたことを気付かせてくれた。そして何より、忘れていってしまう過去のひとつひとつのシーンをきちんと映像として残してくれるのも音楽だった。HSP気味なのは小学生のときからなのかもしれない。

これからもそうやって生きていくんだろうなと思う。年を重ねても新しい音楽に触れ合っていきたいし、その時代を感じながら時々思い返して死んでいきたい。わたしのお葬式では何を流してもらおうかな。


(余談)サカナクションが好きな理由

数年前、ある人に「あいかがサカナクションを好きな理由とか知らないな」と言われたことがあり、咄嗟に答えられなかった。ただ答えはここに集約されていて、サカナクションの曲には形にならない悲しみの表現、一方で時には熱狂が含まれているからなのだと思う。わたしが音楽から感じていた要素が凝縮されていて安心するのだ。サカナクションは人生。

あいかりん

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?