見出し画像

読み仮名を探す旅【短編】

親愛なるYへ

元気にしていますか?そちらはもう木枯らしの吹くころでしょうか。
私はまだ例の問題を抱え、旅をしています。
いえ、それほど重くはないので心配には及びません。
なんせ紙切れ数枚です。
いくつかの難しい漢字と旧字体が読めない。それが私の悩み背負ったカルマですから。

薔薇バラとか救世主メシアとか鎮魂歌レクイエムあたりなら読めるのですが(失礼。これはこのふりがな機能を使ってみたかっただけのただの自己満足セルフサティスファクションです。)

もうずいぶん昔のことのように思われます。
私はこの難問に直面し、行き場のない想いを抱えて夕暮れを歩いていました。
ふと学校の前を通りがかったとき、赤い光の射す方へ心が揺らいだ気がしました。
今からこっそり図書室へ忍び込もう。そして、読めない漢字の読み仮名を調べようと思ったのです。
しかしすぐにそんな泥棒みたいなことを思いついた自分を恥じ、深く反省をしました。


そして、足早に家へと戻り、汚れた服を脱ぎ捨て、ひとっ風呂浴びて心を入れ替えました。
心身ともに綺麗で誠実になった私は決めたのです。
船に忍び込み、積み荷に隠れ、海の向こうへ渡ろう。読み仮名を探す旅に出ようと。


そうして私は旅客船に潜り込みました。
堂々としていればお客のように見えるでしょう。ちょいと荷物から仕立ての良い服を拝借して、のんびりとデッキチェアにでも座ります。うっとり海を眺めながらオレンジ色のカクテルなんかをただ飲んでいれば良いのです。


しかし、何かの間違えがあったようで、積み荷から抜け出してみると、そこは荒くれ者たちの乗った漁船でした。

私はこそこそと隠れていたのですがすぐに見つかってしまいました。
船長にこっぴどく叱られ、命は助けてやる代わりにと、仕事を与えられました。
くる日もくる日も、縄を結い、巻き付け、引き上げ、魚を運び、皿を洗い、甲板を磨く。
そんな時間が過ぎて行きました。私はずいぶん日に焼けたように思います。手のひらも足の裏もまめだらけで固くなりました。
いつからか私は船員たちから仲間として認められるようになりました。自分でもなかなか良い動きをするようになったと思います。魚も釣れるようになりました。

ある凪の日、そうあれは星の美しい夜でした。星は瞬き、欠けた月の光がこの古びて頑丈な船や、私にまでもぼんやりと輪郭を与えてくれています。
私の隣で船長が煙草の煙を深く吸い込み、全部吐き出してから、言いました。
『お前は何で読み仮名を探してるんだ。』
船長も私も遠くを眺めていました。海は闇に溶けています。
『それは友人から朗読を引き受けたからです。でも難しい漢字が読めないんです。』
と答えると、船長はこちらへと振り返りました。
ぐっと私の眼を見据え
『・・・お前は、何でと聞いたんだ。』
と言いました。
船長のまっすぐな瞳から、私は問われていることに気が付きました。
私が戸惑い口ごもっていると、
『よく考えるんだな。』
と船長はどしんどしんと自室へと戻って行きました。
私は無数に瞬く星のなかで手掛かりを探すように上を見上げました。

Y、それまで私はYの為に読み仮名を探していると思っていました。何の疑いもなく。
しかしそれは違ったのです。
私はなぜ読み仮名を探しているのか。
ふと問いかけの意味を理解した瞬間、電流が走りました。そして体中の細胞が何かを訴えるかのように震え出しました。
私は何かに気付かないといけない、それだけは分かるのです。

頭の中は答えを探して嵐のようにぐるぐると回っています。惑う感情の波に堪えることしかできません。飲み込まれないようにと、ぐっと足を踏みしめその真ん中に立ちました。
やがて自分の言葉の雑音に混じり、ほんの一瞬ですが、どこかから透き通る綺麗な音が聞こえました。
私は音を拾うように、とっさにまぶたを閉じました。静かに耳をそばだてると、胸のさらに奥で密かに息ずく音、それは言葉のような音。声が聞こえました。
まるで呼ばれているかのように強く惹かれます。本当の言葉がそこにあるのだと確信しました。
私は長く息を吐き、その場所へと向かいました。深く潜り研ぎ澄ませる。鼓動が穏やかに変化しゆっくりと鳴り響きます。
いつからか嵐はやみ、感覚が全てなくなると同時にその空虚に解放され鋭敏になりました。
透明な空間。そこで私は心と出会いました。
静まり返ったその場所で、心は言いました。
それは違う、と力強くはっきりと、心は私に言ったのです。

そうだ。私は、Yの為にという覆いを被せて、何も見ようとはしていなかったのです。

では何の為に。私は船長のように問いかけました。
私は、誰かや何かの為ではなく、ただひとりの自分の為に読み仮名を探しているのかもしれません。
自分の為、つまり、自分自身が求めているのです。純粋に。これらの難しい漢字の読み仮名を。

好奇心は、知りたいと願う欲求は、どこから生まれてくるのでしょう。
どうもそれは私の一番深いところから生まれてくるような気がしてならないのです。
その出会いは誰も知らない岩山の奥で、宝石の原石を見付けるようなものなのかもしれません。その作業は一見孤独ですが、連綿と命を繋ぎ今まで生きてきた、人間の生きる根元と繋がるような気がします。

だから同じ言葉を私たちは話すことができるのかもしれない。

心の奥にある原石を磨き、その光を紡ぎ言葉を織り成し人は繋がり希望という未来を創り出すのでしょう。


私は心の奥底にあった自分の願いをすくい上げ、この綺麗な月の光に当てました。


私が求めている読み仮名はいったい何を私にもたらすのでしょうか。
その先は分かりません。
ただ私は純粋に知りたいとそう、感じたのです。



ある月の満ちた晩に私は自分の想いを船長に伝えました。
『私が、知りたいからです。』
船長はナイフをひとつ、私に押し付け言いました。
『お前は求めるんだな。ならその芯を強く持て。
自然の中においては、言葉は無力だ。
自分の言葉を削ぎ落さないといけない。
言葉を無くさないと、海と向き合うことはできない。受け入れてはくれないんだ。』

そう言って、小舟をひとつ私に与え、
『ナイフ、返しに来いよ。』
とその目でにやりと笑いました。

船長は『シンプルでいいんだ。』といつも言うけれど、その言葉には幾層にも真理が重なり、すべてに深く意味があることを私は知っています。

頭上では月が強く輝き、その光は遥か最果ての地平線まで全てを包みこんでいます。
なめらかな波の上に、煌めく光の道が私のもとへとまっすぐと繋がっていました。
波は揺りかごのように小舟をゆったりと運びます。とおくの海面には光の粒がキラキラと輝いていました。
この海は船長の瞳と同じだ。どこまでも深くどこまでも広い。


私は美しい無辺なる海へと漕ぎ出しました。
そう、私の本当の言葉。読み仮名を探しに。





愛を込めて 
ゆきより












サポートありがとうございます!とっても励みになります。 いただいたお気持ちはずっと大切にいたします。 次の創作活動を是非お楽しみにされてくださいね♡