羽根つきふーせん

自分の意思で目的地を目指したり、風向きに身を任せたり。

羽根つきふーせん

自分の意思で目的地を目指したり、風向きに身を任せたり。

最近の記事

ボトルメッセージのような文学のような音楽。

音楽っていう伝え方はなんてやさしいんだろう。瓶の中に手紙を入れて海に流すみたいだ。 羊文学というバンドを知って、そう思った。 私は羊文学の、まるで聖書のような「命令形」が好きだ。でも、同じことを拡声器で叫んでも人の心には刺さらない気がする。 きっと、あの場所で吸収したものを、こうして音楽という瓶につめて世界へとつながる海に流す生き方。すごく羨ましいなと、勝手ながら思う。 そんな伝え方ができる音楽ってやっぱり素敵だと思う。

    • お風呂そうじ

      コロナ禍が始まった数年前の春、私は実家を離れて別の地方の大学に進学した。それは同時に、隣の県に住む祖母と頻繁には会えなくなることを意味していた。 当時の祖母は一人暮らし。コロナの感染リスクを考え、母やそのきょうだいも帰省を自粛していた。 それでも、祖母のガラケーに電話をかけ、なんとかiPadでビデオ通話をする方法を教えた。たしか、1ヶ月に1回は画面越しでも顔を見られていたと思う。 そんな状況から1年ほど経ったとき、母たちが祖母のおかしな言動に気づいた。祖母はいるはずのない来

      • 京都の夕焼けは、ときどき怖いくらい綺麗なときがある。この世の終わりなんじゃないかと思うくらいに。 昨年末、中学からの友だちが亡くなった。毎年旅行に行くような仲だったのに、ずっと闘病しながら生活していたことを私はほとんど何も知らなかった。彼女の顔を見るまで信じられなかったし、今でも一緒に出かける夢を見る。 心にぽっかり穴があくってこういうことか。人間ってこんなに簡単にいなくなっちゃうんだと思った。もし今自分が死ぬとしたら、やり残したことなんて何もない気さえした。 でもそれは

        • #いまコロナ禍の大学生は語る

          プロジェクトチームに誘ってくれたのは、紛れもなくオンラインで繋がった友人でした。 ミーティングで採用してもらったハッシュタグ。(だいぶ前に企画したイベントのタイトルと似たようなものになってしまったのはご愛嬌……。アイデアのバリエーション増やしたいです笑) リリースから約1ヶ月の現時点で80以上の記事が投稿されています。 こんなにも多くの人がこのハッシュタグに触れ、記事を書いてくれるとは思っていませんでした。 ありがとうございます。 あるご高齢の方が、「人間は存在そのものが叡

        ボトルメッセージのような文学のような音楽。

          相手の言語に寄り添うということ

          お昼過ぎのスタバは平日とはいえ賑わっていた。 さすがは都内の駅ビル。レジにも列ができている。 モバイルオーダーはやったことがないしな…と並んでいると、自分の番になったところでレジ担当の店員さんが交代した。 レジにはいつものメニューと一緒に、見たことのない縦長のカードが置かれていた。外国人のお客さんが増えてるからかな?と一瞬だけ考えた後、私はショーケースを見ながら注文をはじめる。 「オレンジ&マンゴーのケーキをひとつと…」 言いかけたところでふと顔を上げると、目の前の彼女は

          相手の言語に寄り添うということ

          真夜中の寄り道

          2020年夏。 バイト先から自転車で帰る真夜中、少し遠回りをして大学のキャンパスを通るのがいつものルートだった。 暗闇に光る時計台は、この場所に憧れていた1年前と変わらず眩しいまま。 どうにかして「ちゃんとここに来たんだ」と感じたかった。 あのときの私は真っ暗なキャンパスしか知らなかった。 秋頃には生活は充実していた。 相変わらず家から出るのはバイトくらいだったが、打ち込めるものが見つかった。 朝まで語り合うような友人もできた。 「空間」は共有できずとも、「時間」を共有する

          真夜中の寄り道

          新しいじゆうちょう

          小学校の頃のじゆうちょう達、今どこにあるんだろう。 実家かな。おばあちゃん家かな。それともどっかのタイミングで手放しちゃったのかな。 絵を描いたり、物語を紡いだり、なぞの人生ゲーム(?)をつくったり… 白無地のじゆうちょう。 なんにもなくて、どんな世界も描けたじゆうちょう。 残念ながらその文房具には年齢制限があるもんで、いまや手に入れられるのは最初っからまだら模様の偏見つきじゆうちょう。 かつて白無地のじゆうちょうを使っていた私は、そこから約10年、グレることもな

          新しいじゆうちょう