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京都の夕焼けは、ときどき怖いくらい綺麗なときがある。この世の終わりなんじゃないかと思うくらいに。

昨年末、中学からの友だちが亡くなった。毎年旅行に行くような仲だったのに、ずっと闘病しながら生活していたことを私はほとんど何も知らなかった。彼女の顔を見るまで信じられなかったし、今でも一緒に出かける夢を見る。

心にぽっかり穴があくってこういうことか。人間ってこんなに簡単にいなくなっちゃうんだと思った。もし今自分が死ぬとしたら、やり残したことなんて何もない気さえした。
でもそれはきっと、どうしてもやりたいのにやれないことがあるような人生ではないから。望めばよくあるたいていのことはできるし、これから先もずっとそうだと思ってる。これから何だってできると思ってるから、「今」やり残したことなんてあるのかと思ってしまったんだろう。

その2ヶ月後、広島の原爆資料館で、被爆した学生の手記を読んだ。そこには、「俺は絶対に死なない。」「教授になりたい。うんと勉強して。留学して。」とあった。もう自分が情けなくて情けなくて仕方がなかった。涙が止まらなかった。「この人の分まで」とか「彼女の分まで」とか、そんな傲慢なことは絶対に言いたくないけど、ちゃんと生きなきゃいけないと思った。

きっとあの時の自分は、別に今死んでも悔いはないかななんて思ってしまった自分は、この世にたった1人の大好きな友人がいなくなっても、なにひとつ変わらない日常が続く世界を目の当たりにして、つらかったんだと思う。今もそのギャップを、受け入れられている自信はない。

でも彼女と出会った意味はこうして私の中で生き続け、私自身を生かし続けるんだ。あの日の自分との約束を、決して忘れないよう、思い出すための記録。

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