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お風呂そうじ

コロナ禍が始まった数年前の春、私は実家を離れて別の地方の大学に進学した。それは同時に、隣の県に住む祖母と頻繁には会えなくなることを意味していた。
当時の祖母は一人暮らし。コロナの感染リスクを考え、母やそのきょうだいも帰省を自粛していた。
それでも、祖母のガラケーに電話をかけ、なんとかiPadでビデオ通話をする方法を教えた。たしか、1ヶ月に1回は画面越しでも顔を見られていたと思う。

そんな状況から1年ほど経ったとき、母たちが祖母のおかしな言動に気づいた。祖母はいるはずのない来客分のコーヒーやお茶碗を用意していたという。認知症の症状のひとつである、幻視だった。

一人暮らしが難しくなった。
ひとりで近くのコンビニに行けなくなった。
本や新聞を読めなくなった。
自分の年齢がわからなくなった。
祖母が「できること」は日に日に減っていた。

母や叔母が小言を言いたくなってしまうのはよくわかる。自分を育ててくれた親だ。ちょっとしつけが厳しくて、片付けをしないと全部ゴミ袋に入れてしまうような母親が、分厚い料理本に何枚もふせんを貼り、手の込んだ料理を作ってくれていた母親が、家の中で自分の部屋がどこかわからなくなる。そんなこと、誰だって信じたくない。

いつものようにビデオ通話をしていた夜。画面の向こうの祖母は、ふと「お風呂を洗ってくるね」と言って、立ち上がった。叔母が一緒に住み、ほとんどの家事をするようになったが、お風呂そうじは祖母の担当だった。
しばらく叔母と話していると、祖母が戻ってきて言った。
「〇〇ちゃん眠そうだったから、お風呂の準備してあげたの」
私が家に帰ってきていると思い込んだ祖母は、画面越しであくびをした私を見てお風呂を入れてくれたのだ。
おばあちゃんの優しさは、一緒に住んでいた10年前となにも変わらなかった。色んなことが一人ではできなくなっても、おばあちゃんはおばあちゃんのままだった。

ある言葉を思い出した。
Attitude is the only thing you have in your life.
高校の先生が、終身刑を受け、何十年も刑務所で生きてきたアメリカの男性の口から聞いた言葉だそうだ。男性は成人してすぐのとき、バーで泥酔し、他の客と殴り合いの喧嘩してしまったという。殺人という罪を犯した瞬間を彼自身は覚えていない。一度の過ちで、彼は残りの人生すべてを、「できること」はほとんど何もない、監獄の中で過ごすことになったのだった。
この話を聞いたのはもうずいぶん前だが、彼の言葉は、人生において持ち続けられる唯一のものは、自分自身が「どうあるか」という姿勢だ、といった意味だったと理解した記憶がある。

また、アウシュヴィッツ強制収容所の生還者であるヴィクトール・フランクルは著書『夜と霧』の中でこう言った。
「人は強制収容所に人間をぶちこんですべてを奪うことができるが、たったひとつ、あたえられた環境でいかにふるまうかという、人間としての最後の自由だけは奪えない」
絶望の場所では、そうした精神の自由を行使し続けることが差別主義者に対する最大の抵抗となった。

「できること」は一瞬にして崩れ去る可能性が誰しもにある。それは、病気で、事故で、一時の気の迷いで、戦争で。
祖母と、アメリカの囚人と、ホロコースト生還者。場所も時代も状況も、なにもかも違う3人の姿が、私の中で重なった。彼らは皆、「できること」を奪われてもなお、「どうあるか」によって自分自身を保つことができていたのだ。
この先、社会に出たら「なにができるか」を問われ続けるかもしれない。いや、社会に出ずとも、学校で、受験で、就活で、私たちは「できること」を軸に評価されてきた。しかし、人生の最後に残るのは自分が「どうあるか」のみである。その「あり方」にこそ、その人間の真価が、人生が、刻まれているのではないだろうか。

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