相手の言語に寄り添うということ
お昼過ぎのスタバは平日とはいえ賑わっていた。
さすがは都内の駅ビル。レジにも列ができている。
モバイルオーダーはやったことがないしな…と並んでいると、自分の番になったところでレジ担当の店員さんが交代した。
レジにはいつものメニューと一緒に、見たことのない縦長のカードが置かれていた。外国人のお客さんが増えてるからかな?と一瞬だけ考えた後、私はショーケースを見ながら注文をはじめる。
「オレンジ&マンゴーのケーキをひとつと…」
言いかけたところでふと顔を上げると、目の前の彼女は何も言わず胸元を指差していた。指先が示していたのは、耳のマークが描かれた丸いバッジ。
すべてを悟った私は、少しテンパりながらお目当てのケーキを指差し、彼女はそれを取り出して「これですか?」と目で聞いた。
私は頷いて、今度はドリンクを注文する。
「店内」で、
「スターバックスラテ」で、
「トール」で、
「アイス」
カスタムは「する」
えーっと「多め」の…
あ、違う。
(手で必死に否定)
「氷」?
そうです!「少なめ」「氷」
「牛乳」「多め」
(レジのディスプレイに手を添えて)
合ってますか?
バッチリです👌
彼女は最後に、手話で「ありがとう」と伝えてくれた。
最近、バイト先の飲食店に多くの外国人観光客が来るようになって驚いたことがある。たいてい彼らはカタコトで「ありがとうございます」「おいしいです」と言ってくれるのだ。
“Thank you”でも十分伝わるのに、わざわざ覚えてきてくれたんだ。そう思うと、たとえ旅行のために即席で覚えた日本語だったとしても、なんだか嬉しい気持ちになる。
相手の言語に寄り添って伝えるということは、心からの気持ちを精一杯言葉に乗せることだと思う。
自分も海外旅行に行けばきっと、その国のお礼の言葉や挨拶を覚えておこうと思うだろう。
だがスタバであの店員さんに出会うまで、日常の中で手話で自分の気持ちを伝えたいと思う可能性を、私は一切考えたことがなかった。
こんな感じだったっけな…と咄嗟に返した「ありがとう」。
伝えたい気持ちがあるのに、自信をもって伝えられないことに悔しさを感じた。また同時に、私は私の見ている世界から、手話を言語とする人々の存在を勝手に消してしまっていたのだと気がついた。
店内は多くの人の話し声が飛び交っていた。
だが彼女のレジだけは沈黙の世界に覆われている。
悔しさと情けなさとが混ざったカフェラテを、いつもよりゆっくり、小一時間かけて飲み干した。
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