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ロボットを作りたくてnoteを書いている

Googleのような世界的大企業をつくりたいわけではない。iPhoneのような革新的発明を狙っているわけでもない。ただ、力を持ちたいとは思うようになってきた。

大きかろうが、小さかろうが、世の中に結果を残そうと思うのであれば力が必要だ。力というのは何も権力に限ったことではない。財力であったり、発言力であったり、説得力であったり、はたまた包容力や行動力といったものもその一員だろう。残そうとする結果に伴って必要となる「力」の内容や質は違えども、ともかく力が必要になる。

悲しくとも、力のない者に生み出せる結果のレパートリーは限られている。一般的に、小学一年生と大学一年生とでは、解ける数式の数も読める書籍の数も違うことが当然のように、世界の広さや生み出せる結果の幅は、往々にして個人の能力に依存してしまう。

夢を見ることは大切だし、大きな目標を掲げることも必要だ。けれどそれよりも欠かせないのは、夢や目標といった期待値と、現時点での能力値を比較して、期待値へたどり着くまでに必要な力を把握することだ。かつ不足している力を仔細に分析して、優先度や必要性、効率性を割り当てていく。

喫茶店を開こうと思うならば、美味しい珈琲の淹れ方を知っている必要があるだろうし、経営やブランド思考についても考える時がくる。例えば僕が珈琲に関して圧倒的な知識や経験を持っていたならば、経営について学ぶことなんてやめてその道のプロにお願いしちゃおう、なんて方法だってあるかもしれない。それでいうと、力は一人で全て兼ね備えている必要はなくて、元気玉のように人の力を借りようとも最終的に魔神ブウを倒せれば良いということになる。

不足している力の優先度や効率性を割り当てるのは、自身の性質や力量を理解することに近いかもしれない。学校では、国語算数理科社会全てで結果を出すことが求められたが、人間だれもが得意不得意を持っているのだから、得意分野を伸ばした方が良くない?と思ってしまう。あくまで最低限の知識を身につけた上での話になるかもしれないが。

僕はというと、成し遂げたいものの総量に対して、持っているスキルは圧倒的に少ない。ロボットを作りたいと思いたっても、設計もプログラミングもできないし、ロボット作り以外にもやりたいことは沢山あるからプログラミングを極めようとも思わない。ただ僕が根幹となって、設計やプログラミングのプロフェッショナルと対等に会話しイメージするものを作りあげようと思うのであれば、何か別のスキルが必要になってくる。それが、力だ。

それは奇しくも学校教育で得たようなオールラウンダー的な幅広い知見や興味、コミュニケーション能力や、人の心を動かせるだけの発言力が担ってくるだろうと予測している。中でも、発言力や説得力の獲得は、今後の大きな課題になってくるだろう。だからこうして、毎日noteを書いているのだが。

要するに僕は、ロボット作りやもっと大きな夢を実現するために、今こうしてnoteを書いたり、人と出会ったりしているということだ。noteを書くこととロボットを作ることとでは、一見かけ離れているように見えるかもしれないが、エンジニアがプログラミングを学ぶことと、僕が小説を読み言語を学ぶことは、大筋同じことを目的としていると言ってもいいだろう。

何者になりたいかと問われるとまだ応えに時間を要するが、どんな人間にないたいかという問いに対しては、今までより少し明確な応えを出せるようになってきた気がする。

世の中単純ではないけれど、それほど複雑でもない。小さいころ、漢字博士になりたくて辞典を引きまくっていたことと、今やっていることとは、大して違いは無いように思えてきた。

#日記 #エッセイ #毎日投稿 #夢 #目標 #力を #スキル #noteでよかったこと

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