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敗者の味



先日、9月に行われたボディビル、フィジーク大会に初出場をしましたが、
結果は”セカンドコール”と言われる推定、6ー12位に位置付けられるだろうと思われる、なんとも不甲斐ない順位となりました。

1番の悔しいとよく言われる順位として、2位と4位の方々でしょう。

2位は、あと一歩のところで一番輝かしいメダルを獲得できたのに、そうはなれなかったこと、
4位は、あと一歩のところでメダルという有機物を首に通せれたのに、そうはできなかったこと、

ということだと言われていますが、確かに僕も仮に、2位4位だとしたら今以上に悔しい感情になっていたかもしれません。

だけど、結果はセカンドコールと順位すらも分からないという、なんとも2位4位の方々以上に、屈辱的な思いには当然なりますが、

だって、「ソナタの体には順位をつけるまでもないわい!」

と言われているようにしか、感じませんから。

でも、そこまでのある種の絶望的なまでもの負け方となると、意外と悔しさというものが感じないようにも思えてしまいます。


例えるなら、この感覚は大学生と中学生がサッカーをやると似ているでしょう。

自分はサッカーを学生時代から勤しんでおりましたが、年代が一学年上がるだけでも、結構きつい印象がありましたが、それが中学生相手に高校生、大学生、となるともうそれは絶句するほどでした。

今までの練習が何一つとして表現できなかった、隙すらも与えてもらえない、悪質なファールすらもやったところで、なんなく交わされてしまう、、

そんな絶望的な経験を社会人となった今でも、当時の感情とリンクできたことは悲しくもあり、嬉しくも感じ入りました。


話を戻すと、当日のステージ上では、順位が高い方ほどステージ上に立つ時間が設けられますが、そうではない人つまり、セカンドコール以下の人々はもう、人権を与えられないと言いますか、もう優雅な時間なんてもんはないもんなんです。

これを象徴とした一例に、”ゼッケン番号”です。

当日出場をする選手全員に、ゼッケン番号と言われるものをズボンの端につけますが、セカンドコール以下の人は、この番号も上位陣と比べても明らかに呼ばれる頻度が少ないですし、当然として自分の名前なんて呼ばれることなんてありゃないわけです。

だけど、セカンドコール以上、通称ファーストコールと言いますが、その人々はゼッケンの番号も人並み以上に呼ばれますし、
あと上位6位以上が披露をする、通称Lフォークと言われる、舞台袖から出てそのまま斜めに審査員に向けて2ポーズを披露するものがありますが、その選手が出る際に、”名前”で呼ばれることなんです。

名前ですよ。

僕が出たカテゴリーが35名ほどでしたが、その中でたった6名しか名前を呼んで貰えれないんです。

そんなこともあって、その時は絶望の淵に立たされていました。

審査員に良い評価を受ける為だけに、今までの辛い減量をやってきたわけではないですけど、なんかイラッと感を自分に対して本心では感じてなりませんでした。

そんな感情の中、会場を予定よりも大幅に早く後にして、常々いきたいと言っていた、なんならカレンダーすらにも予約が入っていた念願のマクドナルドに行ってきました。

今までの味気ない、減量食から一転して、ジャンキーと言われるカロリーおばけを口いっぱいに思う存分に食べれるんだと、そんな期待感の中、マックへと足を運び、食べたかったチーズバーガーを3ヶ月ぶりに口に入れてみると、

思ったほどの感動はなかったでした。

確かに、今食べているものは明らかに普段と食べている食感、匂い、味付け、中毒性が違う。

それはわかる。

でも、肝心の美味しいとまでは思えなかった。

なんでだろう、マックなどのチェーン店と言われるところは、いつ食べても、どこで食べても、変わらないといった普遍的な要素を売りに、商売をしているはずですが、(チェーン店は美味しさを求めるというよりもはずれない、不味くはないというニュアンスで僕は捉えていますが)、数ヶ月前に僕が、チーズバーガーを最後に食べて美味しいと言っていた時と匂いも、味も、中毒性も、いつも変わらない普遍的なチーズバーガーであると思っています。

が、その時は美味しいとは思えれなかった、ということは自分自身が何がしかの変化が、少なからずあったのではないか、
それが起因として美味しさというものを阻害したのではないのか、ということなんだと食べながら感じていました。

今の感情で目の前の食事が美味しいのか、不味くなるのか、というのは簡単に変わってしまうものなんだと分かりました。

つまりは、敗者という結果がなんだかんだで悔しかったんだと言うことなんだと思います。

それだけ、かけてきた時間や熱量はありましたし、これはある種のプライド、拘りなんだと思っています。

逆にこう血気盛んではないと、それまでの思い入れのものでしかなかったんだということなんだと思いますね。


筋肉代行屋 J

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