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【心理学部卒のエッセイ】物語の世界から、帰ってこれない


困った。
18時頃からずっと、空虚をぼんやりと見つめて考え事をしている。
夕食を食べている時も、GWで久しぶりに実家に帰ってきて親と話している間も、
頭を切り替えようと本を読んでいても、ゲームをしていても、常に思考の大半を割かれている。
体や口は問題なく動いているのに、魂が付いてこない。散歩に行ったきり、戻ってこない。

これが”恋”なのだろうか…?

違う。今日は違う。13年前、小学校の頃ガラケーで好きな子とドコモメールでやり取りしていたあの頃は”恋”だったが、今は確実に違う。

ドラマを観た。GWに時間があったので、今更も今更だが、「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」をFODで一気見した。

その余韻といえば余韻だが、絶品のコース料理を堪能した後や、圧巻の映画を観終わった後のような心地良さを通り越し、何をやっていても頭半分で、やりたいことが何も次に進まない。
「あのシーンであの人はどんな気持ちだっただろう。どれだけ辛かっただろう。なんでああいう行動を取ったんだろう。」

内容は、素晴らしかった。
今まで知らなかったことを悔いるほどに、素敵で大好きな作品になった。
脚本と役者さん達の演技は言うまでもないが、得田真裕さんのサウンドトラック、各キャストの方言が、良い。とても良い。

映画やドラマや本で物語に触れるのは、終わった後余韻に浸る時間も含めて非常に好きだ。

でもここまでくると、もはや自分の中で何か思考を整理して片付けないと、ただただ何もせず、何もできずに時間だけが過ぎていく。
勉強もしたいし、何なら映画も観たいし、他のドラマも観たい。が、手につかない。

やはり”恋”なのかもしれない。



私は、困っている人がいたら、助けられるような人間になりたい。
自分を偽らなくても、無理をしなくても、一緒にいてくれる友人や恋人と、一緒に生きていきたい。

ありのままに、なんて言うと、何も努力しなくていいよと言われているような気がするが、
私からすれば決してそんなことはなく、
ありのままに過ごす方がよっぽど難しい。

1人の時間が好きで内気な私は、仕事でありのままに過ごそうもんなら、協調性が無いと見放され、孤立する。
彼女ともずっと一緒にいると1人になりたくなるが、そんなことを言えば悲しまれるのは目に見えている。
友人と遊んでいても、人と話していることに1・2時間で疲れてしまい、途中でも何でも離脱してしまいたくなる。

そんな調子なので、平日仕事中は大半偽って過ごし、私生活でもある程度偽りながら、ある程度自分を押し殺しながら過ごしている。
それが一概に悪いことだとは思わないものの、疲れている自分がいることも事実だ。
でも1人でできる仕事などほとんどないし、1人でずっと過ごしていれば、誰かと話したくなる。

厄介な思考回路の中でもうまく生きていくには、偽るところでは割り切って偽り、偽らずに無理しない自分の時間も作ったりしながら、うまーく工夫することが必要になってくるんだろう。

結局は、絶妙なバランスを自分で見つけていくしかない。

考える事に終わりはないのだが、
こうやってぼんやりした思考を書きながら整理し始めてやっと、魂が散歩から帰路に着いた感覚がする。
部屋に広げた新しいおもちゃを、整えて引き出しにしまっていくイメージだ。

やっと重い腰を上げて、お風呂に入ろう。

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