新卒ではなく、フリーランスデザイナーを選んだ経緯のお話【前編】
はじめに
*わたしについて
青木そのか
1998年11月17日生まれ一般の四年制大学の法学部に所属。
2021卒3月予定の現役4年生
社会人のスタートラインとして選んだ進路はフリーランスデザイナー。2020年10月からフリーランスとしてスタート。
現在は主にデザイナーさんのアシスタント業務を通してWebデザインの案件やグラフィックデザイン、ロゴのデザインを制作しています。
あけましておめでとうございます。
あれ、2021年になってしまいましたね、しかもしかも、またコロナが悪化して緊急事態宣言騒ぎになるとは。
何があるかわからない、そして時間が進むのは本当に早いです。
さて、このnoteにお越しいただきありがとうございます!新年一発目のnoteでは、新卒の道から外れ、社会人1年目をフリーランスとして歩むと決めた、ちょっと変わった女子大学生、私の現状報告とその経緯についてまとめていきたいと思います。
かなり長いので今回は、まさかの『前編』この道に至るまでの経緯をまとめました。こんな大学生もいるんだなあ、こんなデザイナーがいるんだなあ、と思っていただけたら幸いです。
それでは、どうぞ!
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フリーランスデザイナーになる前の話
私は元々、学生起業家の3名と共に、2つの会社の設立に携わってきました。
1社目は株式会社Flamersという、長期インターン口コミサイト『Voil』というサービスを届ける会社で、SNSマーケティングとデザイン業務を行なっていました。
そこでは、約100名ほどの学生が集まっている学生Slackコミュニティのコミュニケーションデザインなども積極的に行っていました。
こちらが当時の様子です!↓
上の写真は、コロナ前に開催された自社開催のオフラインイベントで約20名ほどが集まり、とても盛り上がりました!
下の写真はコロナ真っ最中でのイベントになります。コロナの期間、動き出せなくてムズムズしていた学生の皆さんが約30名ほど参加してくださって、こちらもとても盛り上がりました! 懐かしー!!🐭
今では長期インターンのクチコミサイトを無事に正式リリース。ユーザー登録者も500人以上。マネタイズも着実に進めながら日々成長しています。
当時、デザイナーとしての業務は『マーケティング6:デザイン4』くらいで、それでも必死になってやっていたのを覚えています。
そしてだんだん、自分のデザインの幅を広げたい、もっと本格的にデザインと向き合いたい、と思うようになり始めた、2020年の5〜6月頃。
株式会社Tsuzucleの代表、森君からTwitterで突然声がかかったのです。
" 会社のロゴを作って欲しい "
人生で2回目の、企業ロゴ制作の依頼でした。当時はFlamersの運営メンバー皆んなが喜んでくれて、さらに後押ししてくれたのを覚えています。
当時のロゴ制作秘話はこちらです↓ 是非ご覧ください!!
Tsuzucleの会社ロゴ制作の依頼を受けた時のFlamersのメンバーから感じた、デザイナーとしての私の道を純粋に喜んでくれる姿は今でも忘れられません。
そんな彼らの助けもあって、私はTsuzucle代表の森君と出会ったことをきっかけに、学生ながらもBtoBのビジネスモデルとして、インスタグラム戦略事業を行うTsuzucleに思い切って駆け込みました。
Tsuzucleは当時、本当につい先週あたりに会社の登記をしたばかりで
正直、これから何をやるのか?皆んなは何をしてた人なのか?どうなっていくのか?
と、何もわからない状態でした。
そんな、生まれたばかりの小さなオフィスで、森君筆頭に、創業メンバー3人に言われた事がありました。
『近くて2年後に、世界に通ずる価値を創りたい。その為に今、自分たちが出来ることを最大限にこなしながら、人としての成長、ビジネスマンとしての成長をしていしたい。それらの成長が、会社の成長になる』
と語ったのです。
↑ちなみにこの文面だけ見て、馬鹿にしたくなるような人がいたら、そんな人は私が怒ります。
彼らは彼らの濃密なバックグラウンドを背負った上で、こう語ったのです。
当時の3人は、まだ結成当初。実は、高校時代(3人のうち2人は小学校からの付き合い...!)の幼馴染だったこともあり、お互いにちょっとした恥じらいもあるように見えましたが、
なんだか肌で感じた、他にはない絆。
本気の姿勢。
同い年にこんな考えを持ち、それを貫いている人がいるということに刺激を得ました。
そして私は、Instagram運用の経験があったので、この会社に貢献できることがある、さらにデザインの幅を広げるにあたり、たくさんのチャレンジできる環境がある、そう思いとにかく自分が出来ること、やれることをひたすらに取り組んでいきました。
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当時のお仕事
先程もお伝えしましたが、Tsuzucleは設立まもない駆け出し期。
その為、デザイン業務はてんこ盛りでした。
・会社のロゴ制作
・名刺制作
・事業内容の説明資料
・各会社への営業資料
・Instagramのアイコンデザイン制作
などなど。
毎日メンバーと議論しながら、お互いの役割をこなし、もがいていました。
営業資料を制作していたときは、毎日クライアントの立場に立って考え、どんな資料の構成が最適だろうか?何の文言が効果的か?課題の根本とはどこにあるのか?どんな伝え方が良いのか?と常に議論して夜通し進めていたこと、この思い出は今も熱く残っています。
そんなこんなで気づけば、Instagramを率いてくれる運用してくれる、心強い仲間が徐々に増えてくれて、まさに、生まれたての小鹿(私たち)がやっと立ったように思えた瞬間がありました。
このように色々な出会いを駆け巡り、気がつけば2020年の9月頃。会社はInstagramという武器を持ちながら、世界に通ずる価値を創るため、どんな事業で戦うべきか?を考える時期になるました。
その会社の思考と同時に、私自身、個人でもそういった問いかけをしてきました。
『このままでいいのだろうか?』
『2年後、デザイナーと立派に名乗れるのだろうか?』
当時はInstagram戦略やデザイン業務に取り組む日々で、なかなか良いデザインのアウトプットが出せない時期にいました。
すると、うまくいかない、前に進んでいない、そんな風に感じると、何かを手放し、集中しなければいけない!と自分を追い込み始めました。
(今思うと、もっと自我コントロールをして、自己成長ができるような器があればよかったなと思います。)
そうこう考えていくうちに、言い訳を探したり、自分がうまくいかない原因を人に押し付けたりしている自分がもっと嫌になっていきました。
このままでは、あかん!!!!!!!!!!
そう思い立ち、言い逃れできない環境に行って、人としての成長、自分を正したい。デザイナーとしての成長、技術を学びたい。そう考えたのです。
Tsuzucleのメンバーにも相談しました。会社の状況的には、まずInstagramで尖る。これを軸に進めていたこともあり、お互いの成長のため、協力し合いながら、私はフリーランスとして活動を始めることにしたのです。
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こうして私はTsuzucleのメンバーに支えられ、沢山の方の協力があり、いま、私はこうしてフリーランスとして活動をしています。
本当に本当に、感謝しかありません。
この道を決意して、1番最初に不安だったこと。それは母への報告でした。
まだまだデザインのスキルが未熟な私が、新卒切符に頼らない道を選んでいるのです。母だったら、なんていうのか。いままで好き勝手やらせていただいていた分、母への報告は気が引けました。
フリーランスになる前の、母との出来事
いつもこちらから積極的に連絡を取ることはしていませんでした。しかし過去に一度だけ、Tsuzucleに属していた時、母から突然電話がきたのを覚えています。
何かあったんじゃないか!?
驚きながらも電話に出ました。
すると、
「やっと繋がった〜〜〜、ちゃんと食べてる!?」
という母の声。涙が出ました。
ついつい、母とのLINEに既読をつけたままで、2ヶ月くらい放置してしまっていたのです。
そんな中、私を信じて声をかけてくれた言葉が、「ご飯食べてる!?それだけで大丈夫よ🙆♀️」という会話だけ。
久しぶりで、突然だった母との電話はあっさり終了。
それがもっとありがたくて、母にはいつも支えてもらっていたんだなと、感じました。
そんな母に、久しぶり会って話す報告が「フリーランスデザイナー宣言」...。母が反対をするような想像は全くなかったので、それに対する心配は全くありませんでした。
しかし、きっと私の報告をきいた母は、今よりより一層、お仕事を頑張ってしまうんだろうな...と、母に対する心配が100%でした。
フリーランスになる時の、母とのランチ
そうこうして、母とのランチ当日。
地元の美味しい中華屋さんにいきました。きっとたらふくご飯を食べさせてくれるからでしょう。
チャーハンに油淋鶏、麻婆豆腐、水餃子に焼き餃子。。。食事をこよなく愛する私は、食べたいものをたくさん頼み、幸せな食事が始まりました。
母は私の選択をもう察していて、報告したとき全く驚いていませんでした。
というのも、母はもともと美大志望生。その後建築会社でデザイン業務を少々かじっていた経験もあり、その分野の厳しさを私よりも理解してくれていたからだと思います。
そんな母だからこそ、フリーランスデザイナー宣言をした私に対して、こう声をかけてくれました。
「新卒でデザイナー、というのは戦力になるかならないか?で見られるから、難しいよね、、本当にデザインをして生きたいなら、焦らなくていいんじゃない?」
おっしやる通り。
それを聞いた私は、少し固まった後に、目の前のこんもりチャーハンを大きなレンゲですくい取り、口いっぱいに頬張って噛み締めました。
いっぱい食べて、いっぱい経験して、いっぱい恩返しをしよう。それ以外の気持ちは無かったです。
それからは、母が美大試験時の葛藤や、建築デザイン業界での経験談を聴いたりと、たわいもない会話を楽しみました。
なんとなく、この柔らかい会話のおかけで、自分のすべきことが見えてきて、無事にフリーランスデザイナーとしてのスタートができたように思えます。
と、いっても、
本当に自立した訳では無く、今はデザイナーの方のアシスタントをさせていただきながら、個人的にもデザイン業務を行なっています!
最近の毎日は、ありがたいことに、先方からの修正依頼メールに対応しながら、新しい案件のお話があったり、また自分の制作をやったり、アシスタントとしてできることをとにかくやったりしています。
できてる、できてない、は一旦置いといて。。
とてもとても楽しんでいます。🔥
デザイナーさんの感覚に触れられることがなんとも幸せです。
改めて感じるのは、やはりプロのデザイナーさんというのは、クライアントの要件、イメージを本当にすんなり具現化してしまう魔法使いさんのように感じること。
そのくらい、クライアントの要望を叶えるのが早いのです。目から鱗。👁 🐟
きっと、クライアントがちょっと目を渋らせたり、言葉を選ぶ為に唾を飲み込んだその瞬間などを察して、『あ、これは違う。こっちだ、』
という判断を無意識にしているんだと思います。
そんなこんなで、今私は
アシスタントとしてつかせていただいているデザイナーさんの、無意識領域(突然の鬼滅、笑)を模索している段階です。
常に考え、動いている。そして動きは基本に忠実、そしてしなやかに動く。
とにかくとにかく感じて、触れて、それを自分の業務に速攻で実践し、挑み続けています。
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さいごに
最後までお読みいただき本当にありがとうございます!!
ちなみにこの記事の後編として、『現在どのようにフリーランスの活動をしているのか?何をしてるのか?』についてはこちらのnoteにまとめました!
ぜひ続きをご覧ください☺︎
2021年、今年もあっというまに過ぎてしまうだろうとすでに感じておりますが、"常に考え動く。基本に忠実に、焦らない"をモットーに今年は日々努力を繰り返していきたいと思っております。
もし何かお力添えできることがあったら嬉しいです。
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よし、
2021年のスタート!!気合入れて頑張りましょう🔥 本年もどうぞ、よろしくお願いいたします!
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