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NODA・MAP 野田地図 フェイクスピア

久しぶりに作品にぶん殴られた。

この演劇を観たあと心と身体が普通の状態に戻るまでにかなりの時間を要した。パンフレット、戯曲、当時の事件を読み漁り、この作品に参加した者として何とかここでピリオドを打ちたい。

序盤の軽快な言葉遊びや野田秀樹本人が演じる甲高い発声のフェイクスピア/シェイクスピアでゲラゲラとはぐらかされていたが、全集中のクライマックスで一気に反転。悲劇はいつだって急にやってくる。喜劇と悲劇はいつでも隣合わせだ。

ノンフィクションの悲劇をネタにするなんて不謹慎だと言う人も出てくるのは当然だが、観客のマナーとリスペクトがあるからこそタブーを破って放った会心の一撃。演劇自体の存在を疑われてしまった今、観客の目の前でやるべき演劇。

野田秀樹のインタビューでもその覚悟が伝わってくる。

俺が稽古初日に言った「演劇の底力を見せてみたい」ということに、近いことがやれたかもしれない。これを「無観客ならやってもいい」と言った人々は、演劇というものを全く理解していないんだろうなと改めて思うよ。
演劇の観客は第三者ではない。当事者だからね。

生であの最後に立ち会えたのは人生の財産になった。フィルムには出せない板の上のグルーヴ。エンターテイメントは圧倒的であること。

何気なく歌っていた上を向いて歩こうが特別な曲になった。