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言語化できないから

 たまに、小説の中の主人公になりたいと思う。主人公たちは、何かしら悩みやトラブルを抱えている場合が多く、主人公ならではの苦しみがあるのだろうが、適切なときに適切な言葉を、神様であるところの著者から与えられるという点において、とても羨ましい。私も、自分では言語化できないモヤモヤとした感情にぶち当たったとき、それを誰かに言語化してもらいたい。

 アウトドア派の父に「ずっと本ばっか読んで」と呆れて言われたからだろうか。私と同じ年齢の頃ずいぶんと遊び歩いたという母に「あんたは幼いね」と言われたからだろうか。

 本を読むことは、私にとって息をすることと同じくらい欠かせないことだ。そして深く息を吸うのと同じように、心を穏やかに、軽くしてくれる。
 だからそんな好きなことを、今はありがたいことに好きなだけする時間があって、それが幸せでたまらなかったのに。誰かと感想を言い合わなくたって、自分の感じた「面白い」とか「ドキドキした」とかそういう感情だけで十分満ち足りていたのに。
 なぜか突然、背筋を伸ばせと言われて前を向くと、手元の本が読めなくなった。

 現実的に読めてはいるのだが、アドレナリンが出ていないのだ。本が面白くないから、ということではなく、自ら出さないようにしているというか。
 読書が好きだ、何よりも好きだと、心の底から言えなくなってしまった。

 好きなことなんて他人と比べる必要はない。ある人はスポーツが好きだし、ある人はカフェ巡りが好きだし、ある人は恋愛が好きもしれない。私はそれが読書であっただけの話で、そこに優劣はない。ない。ない。
 ないとわかっているから、このモヤモヤの正体がわからないのだ。

 好きなことを胸を張って好きだと言うのは、こんなにも苦しいのだと私は初めて知った。母の言う通り、私は幼かったのだ。でも、じゃあ世界を広げるか? と問われると、私にそんな行動力はないし、やっぱり一人の時間が好きだし、そうなると本が読みたくなる。

 結局のところ、勝手に比べて落ち込んでいるだけなのだろうが、もし私が誰かの書く小説の主人公なら、きっと、もっと適切な言葉で今の私を言い表してくれるに違いない。
 けれどそんな言葉は降ってこないから、私はどうにか自分で飲み込むしかないのだった。

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