思い出が悲しくなったから
「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」
三宅香帆著
集英社新書
気になったので、この本で紹介されている
映画、「花束みたいな恋をした」を観た。アマゾンプライム。
ダメージを受けた。
大学生のときの恋愛を思い出した。
あの時は、その一瞬一瞬の、後先考えない言葉が永遠だって信じていたから。
花束みたいに、花瓶に挿してもしおれてしまって、
彼女は、新しい花を何度を変えてくれたけれど、
ぼくは、新しい花束を探した。自分のために。
彼女が変える新しい花が煩わしかったのはなぜだろう。
生きていくんだから、理不尽なことでも、
いやなことでも、気に入らないことでも、飲み込んで仕事をやって
それでも結果につながって、いつしか感じたやりがいは、
あの頃の花束みたいな夢や恋と入れ替わってしまった。
仕事の仲間ができて、仕事がうまくいって、
仕事で結果を出すことが、仕事で充実していることが、
ずっと続けられる仕事を見つけることが、一番だって置き換わってしまった。
ぼくは仕事の中で花束みたいなものを探し続けた。
でもそれはだれのための花束でもなくて、
自己満足の花束だった。
「だけど朝になって、花はしおれてしまって」
花びらを撫でていた、その手に気づけなかった。
「花束みたいな恋をした」みたいな経験をした人は僕のほかにもいるんじゃないかな。
ぼくがダメージを受けたのは、通過儀礼みたいに僕らは花束みたいな恋をするっていうことが悲しいなって思ったから。
花束みたいな恋を懐かしむ生活を送っていることが少し寂しくなったから。
つねに仕事につながることを探している自分が少し寂しくなったから。
あんなに映画館に行って、たくさん映画をみて、その映画の良さを見つけることが好きだったのに。楽しかったのに。
あんなに本を読んで、その中の言葉に魅了されて、物語を楽しんだのに。
あんなに毎日弾いたピアノを弾かなくなって。
仕事に関係ない時間がもったいなくなって、
映画館も行かなくなった。アマゾンプライム。
あの頃の熱狂が、周りのことなんか気にしないで夢中になった。恋も夢も。そうじゃなくなったことを思い出してダメージを受けた。
リハビリするように本を読もう。映画を観よう。ピアノを弾こう。
僕はもう恋はしない。家族がいて、そこに愛があるから。
だから花束みたいに夢をみる。
そのために、本を、映画を、音楽を楽しもう。
仕事は大切だけれど、
自分が寂しくなった時に、仕事で埋めることがないように、
自分の好きだったことを思い出して。
楽しいことは花みたいにしおれるけれど、
その花びらを撫でる
ミスターチルドレンも歌っていた、
その花びらを撫でる恋人の指がセクシーだって。
そんなどうでもいい、美しさを、集めていきたい。
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