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私が会社を作った理由

10年前に私が自分で会社を作ることなど、これっぽっちも考えていなかった。というか私の未来の選択肢には一切出てこなかった。

そんな私が昨年『株式会社』を作ったのだ。
やっとできた会社のHPがこちら

親の介護と向き合う

話は私が会社員を卒業せざるを得なくなった6年前に遡る。
当時の私は金融系上場企業の人事部にいて課長代理だった。夫の理解もあり九州から両親を引き取って同居を始めて2年が経とうとしていた。

同居することにしたのは、両親の健康不安だ。

母は脳の手術を受けて以来、認知症の傾向が見られ何もしない人になりつつあった。そんな母を父が介護をする日々が続き、ストレスで胃がんになってしまった。もう2人だけで生活をするのは限界に近づいていたので、我が家で引き取ることにしたのだ。

そしてとうとう私が会社員を続けていくのが厳しいと感じる状況になっていった。

働くことをあきらめない

両親を引き取ることを決めた日から、いつかそんな日が来るだろう…とおぼろげに予想はできたので、少しずつその日に備えて自分に何ができるだろう…?と考えてはいた。

結局、会社を辞めてからしか動かなかったけれど、考えていたことで迷いなく始められた。

最初にやったことはキャリアコンサルタントの国家資格を取ること。異業種への転職を3回経験したが、そのどれもが退職から3ヵ月以内で次の会社を決めていたので、元同僚や上司、友人や友人の子供の就活などキャリアの相談を受ける機会が多かった。この経験を活かすためには・・と考えて資格を取得した。

会社に属して働くことはできないけれど、介護で毎日つぶれる訳でもない。空いた時間に近くで私が役に立てることを見つけようと思った。介護者だからといって、働くこと、社会とつながることをあきらめたくないと強く思った。

『複業』との出会い

『複業』という言葉を知り、複業的な働き方なら私にもできるかも!と思い、とにかく地域の中小企業に出会える場に積極的に出かけた。

そしていくつかの企業とご縁がつながり、複業人材として関わる機会を頂いた。フルタイムではなく、週に1日とか、月に2回という働き方なら私でもやりくりできる働き方だった。

そんな中の一社で複業メンバーを中心に取り組むプロジェクトがあり、一番時間の調整がしやすい私がマネージャー的な役割を担うことになった。

初めての経験ばかりだったけど、メンバーに恵まれて楽しかった。みんながこんな風な働き方を選択できればいいのに…と本気で思った。

と同時に会社を辞める時に働き盛りの40代の方から『辞めるという決断ができるのが羨ましい』と言われた経験も蘇ってきた。
親の介護を理由に会社を辞める私を「羨ましい」と言った人がいた。それも複数の人に言われて当時はとても驚いた。

親の介護で辞めるのに、それが羨ましい??

同世代の男性が抱える閉塞感、漠然とした不安など、いろんなものを感じた。でもその時の私には何もできなかった。そしてキャリコンの資格を取ってからは特に、この働き盛りの世代が抱える閉塞感に向き合える人になりたい!と考えていた。

選択肢を増やすための「会社」

それから丸6年。昨年夏になんと私は会社を作った。

なぜか?
閉塞感を抱えがちな世代でも「複業」という形であれば、新しいことを経験する機会は作れる!と思ったから。そしてその可能性を広げていくためには会社という形があった方がやりやすいから。

幸い、私が楽しい!と感じたプロジェクトで出会ったメンバーが、私の始める会社にパートナーとして参画してくれた。会社ができるまで約2年。
彼らは私の妄想的な構想にも理解を示しつつ、実現するまでのサポートをしてくれた。そしてこれからも一緒に関わってくれる。

一人ではできなかったことはたくさんある。関わるメンバーがやりたいことをやりやすくするために「会社」という形を選択した。みんなのためにある「会社」。多くの人に新しい選択肢を提供する、そんな会社でありたい。

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