バイトテロ、バカッターに思うこと

最近、「くら寿司」のアルバイト店員が魚をごみ箱に捨てて拾い上げる動画が拡散し、くら寿司が刑事告訴と損害賠償を検討中ということで話題になってます。

同様に、「すき家」「ドミノピザ」「ビッグエコー」「セブンイレブン」「ファミリーマート」「バーミアン」と同様のアルバイト店員によるいたずら動画がネットに投稿され炎上する状況になっています。

「くら寿司」の株価はこの事件を受けて急落し、1日にして27億円の時価総額が吹き飛んだということで、株の空売りで儲けたり、ライバル企業を陥れるための陰謀ではないか?という噂もつぶやかれています。

一方で、いたずら犯人のアルバイト店員とそれを撮影した人の実名や写真などもすぐに特定されていて、その人の彼女の写真まで公開されるという、ネット上の公開処刑のような状況にもなっています。

古市さんがそれに対して、「このようないたずらは昔からあって、最近はスマホで気軽に撮影できるから拡散してるだけ」とコメントしたことに対してもさらに炎上するなど、話題が話題を呼ぶ状況になっています。

この問題の本質は何なのか?

確かに、我々の若い頃も、バイトによるいたずらというか、ルール違反はなかったわけではありません。例えばコンビニの店員が、廃棄時間が経ってしまったお弁当を無断で持って帰ったり、マクドナルドの店員がポテトの廃棄時間を守らず、古いポテトをそのまま提供したり、あるレストランでは、お客様に提供した「パセリ」を回収してきて再利用している、などという噂が流れたこともありました。

過去のケースを思い返しながら、今感じている違和感は何か?と考えると、過去のケースでは「もったいない」という気持ちで、食べ物を無駄にしたくないのでルール違反をする、ということが多かった気がするのです。
(もちろん、食べ物を粗末にするいたずらもそれなりにはあったのだろうと想像しますが)

一方で、最近炎上しているのは、「食べ物を粗末にしている」という点です。食べ物で遊んでいる、という動画が多いですね。

つまり、動画を見ている人が不快に感じるのは、まさにその点であるということです。もっとまじめに働け!と怒っているというよりは、食べるもので遊んでいるバイトに腹が立っているのです。

人が食事として口にするものは、すべて「生き物」です。植物でも動物であっても、すべて生き物を口にしています。もちろん塩やミネラルといったものは生物ではありませんが、それはエネルギー源にはなりません。人が生きるためのエネルギーは「生き物」のエネルギーを「いただく」しかないのです。

だから、食事の時には、「いただきます」(命をいただきます)と感謝の気持ちを込めますし、その文化は多くの世界でも共通している、当たり前の感覚なのです。

今回騒動になっている、アルバイト店員による食べ物で遊ぶ動画から感じることは、そういう人間としての当たり前の感覚が欠如してしまっているところではないでしょうか。

最後までお読みいただき、ありがとうございます!