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【復職日記】復職して、自分が固まってきた気がする。

復職してもうすぐ2か月です。
お陰様で今も働き続けてます。
業務量も徐々に戻ってきていますが、症状は思ったよりも和らいでいる気がします。
一日一日を着実に、駆け出したい気持ちを抑えながら、ゆっくり歩みを進めている感じです。
今日は、最近ふと思っていることを綴ってみたいと思います。

転職のこと

主治医に相談してみました。
正直、今の職場に「愛想が尽きている」状態で、できることなら転職がしたい。
ただ、体力気力共に、まだ転職活動に耐えられるとは思っていないので、もう少し先の話になると考えていますが…、と。
先生の意見としては(私が解釈した範囲で)こんなことを言われました。

①うつ状態で重大な決定事項はしてはいけない。
②ただ、復職してみて、働いてみて「やっぱり違うな」と思ったら、転職はしても良いと思う。
③ただし、何が何でも「転職しなくちゃ!」とするのではなく、まずは時々求人を見るくらいに留める。片目で転職活動をする感覚で。
④「良い求人があったら、いつでも転職してやる!」と思って、気持ちの余裕を持って過ごす。
⑤転職をして環境が変わり、症状が良くなることもあるが、職場が変わることも大きなストレスを伴う。

なるほどなるほど。
自分一人で考えても、負のループにはまるだけなので、先生にご意見を言ってもらえると、少し冷静に考えられるようになった気がします。
その日から、「いつでも転職してやる!」と思いながら働くことにしています。
確かに少し、気持ちに余裕が出てきた気がしますね。

忙しかろうと何だろうと、「私は私。」

今の私が、職場に愛想が尽きている要因としては、「忙しければ、仕事を忘れてもしょうがない。」「相談業務をやっていれば偉い。」という職場風土。
確かに休職や退職があり人手不足のため、慢性的に忙しいことは事実。
そして私たちの仕事の根幹は、生活に困った人の相談業務。
それは認めています。
ただ、MSWという仕事は相談業務だけでないのも事実。
社会人として、会社人として、「医療機関」という少し特殊な業界ではありますが、企業に勤めているのです。
相談業務と並行して、会社員として、部署として、専門職としてやらなければならない業務もあるのですが、私から見てそれがおざなりになっているように思えるのです。

相談業務を疎かにしろ、とは言っていません。
人間には「キャパシティ」というものがあり、自分の容量以上に仕事をやることも良くないとは思っています。
(それで休職まで行きましたからね。)
でも、一人ひとりがもう少し部署としてやるべきことをやれば(一人一人はやってるつもりかもしれないけれど、私から見れば個人プレーで無責任にも見える)、もう少し全体の業務としてやりやすくなる気がするんですよね。

休職前、周りから見れば、私は業務量的に余裕があるように見えたのだと思います。
ブラックボックスのように、同僚からポンポンと振られる業務。
決して私も余裕があった訳ではないのですが、「忙しいを言い訳(理由)にしない」「時間は作るもの」という信念があるので、何とかやりくりをしてこなしていました。

今思えば、振られる業務を「みんな忙しそうだし、大変そうだから」と(自分も忙しいのですが)請け負ってはいけなかったんだと思います。
それは自分にとっても、部署にとっても。
「さとうさんに頼めばやってくれる。」と同僚に思われてしまったのは、同僚の信頼を高めると同時に、同僚の自律性を阻んでしまうことなんですよね。
優しさや善意は、出す場面を間違えると、相手が付け入ってくるんだと、今回の出来事ではっきりと気付きました。

忙しいを言い訳に、部署としての仕事が機能していないこと自体が問題なんですよね。
本来、それを管理するのは役職者であり、平社員である私がやることではなかった。
けれど、「私がやれば」という意識もあって、確かにそれで部署が助かった部分はあると思います。
でも別に、私がやらなくても良かったんです。
復職して、一歩引いた目で見れば、何も変わらなかった。

これからは、相手がどんな状況であろうと、自分が無理なのであれば、「無理」としっかり断ること。

「私は私。」
「これは相手の問題。」

これが自分を守るために大事なことなんだな、と骨身に染み渡って感じています。

相談援助職

復職してしばらく経った時に思ったこと。

やっぱり相談援助職が好きだ。

ということ。
「福祉」「相談援助職」というと、「誰かを援助してあげる」とか「誰かを助けてあげる」と言うイメージがあるかもしれません。
相談職に就いていると、「何かしてあげなくちゃ」「こう導いてあげよう」と思う人も少なからずいると思うのですが、本当はその逆。
この仕事に就いて思うのですが、実は私達にできることは本当に微々たるもの。

人は、自分で自分の道を決める力があるんです。
私の前に相談に来る方は、私が一生かかっても経験できないたくさんのことを経験して、そしてその積み重ねで生きる力を蓄えています。

目の前の患者さんの話を聞きながら、時には手を差し伸べたり、時には何もせず見守ったりしてその姿を見ていると、こちらの方が力をもらえたりします。
復職して、患者さんの話に耳を傾けている内に、「そうだ。私は人と関わるのが好きだった。」と言うことを思い出しました。

また、私見ではありますが、MSWは「頭脳勝負」だと思っています。
患者さんに直接何かを施す「処置」や「手技」等は、私達MSWは持ち合わせていません。
その代わりに面接技術やコミュニケーション技術、様々な福祉・心理社会的な知識、そして物事全体を俯瞰したり、個人や組織や社会の本質を見極めながら、時には物事を大きく展開する行動力があります。
自分の頭脳と自分自身だけを武器に、ある意味裸一貫で勝負をするこの感覚が好きなのです。

今の職場で相談援助職を続けるかは分かりません。
ただ、職場を変えたとしても、相談援助に関わる仕事を続けていきたいな、と思うようになりました。

私は私。

仕事が原因で適応障害になり、休職中はとにかく具合は悪いし、自分が情けなくて、自分自身を責め続けていました。
今までの自分を否定して、めちゃくちゃになり、「私」というものが揺らぎ続けた日々。
復職して、体力も気力もギリギリの中で、日々通勤することで精一杯でした。
(それは今も変わらないところはありますが)

でも、2か月職場から離れてみて、冷静な目で復職をして、「このままではいけない。」という自分と、「これが私なんだ」と気付いた部分とがありました。

もう同じことは繰り返したくない。
自分らしく、強く、逞しく生きていきたい。

そう思いながら過ごしている内に、私の「再構築化」がされたように思いました。
職場で嫌われてしまう、と怯えて、人の顔色を窺いながら仕事をしていた部分がありました。
けれど、本当にこの仕事が好きで、この仕事を続けていきたいのなら、私はもう一度、「私らしさ」に気付かなければならなかった。
そして今回の休職は、それを気付くための時間だったのかな、と思います。

私は私。

もう迷わないように、気付けば自分のことをおざなりにしてしまう性分なので、「私は私。」と意識付けしながら過ごしていきたいと思います。


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