見出し画像

結果の裏側を考えられる人間に。

高校時代、バレーボールを本気で追求するために
地元から3時間程離れている高校へ進学した。
3年間、親と離れ、下宿をしながらバレーボールに打ち込んでいた。

高校生になった私は、とにかく自信が無かった。
道内ベスト4に入るほどの強豪校。周りが上手いのなんて当たり前。
とにかく練習、筋トレ、練習、筋トレ。

後輩が出来て、バレーもそれなりにわかってきたが、
最高学年になったらコートに入れるなんて甘い世界ではない。

後輩といっても
北海道選抜上がりの子、
身長175センチ以上の子、
センスがある子等
私の経歴や1,2年間積み重ねた技術をすっ飛ばしてくる。

それでも私は、腐ることなく
毎日同じトレーニング、練習をしていた。

ある日、部員同士で普段の練習や生活態度などを総合的に判断し、
順位を付ける、いわゆる下馬評を行った。
私は常に上位5位以内に入っていた。時には1位になることもあった。
特別バレーが上手い訳でもなく、レギュラーでもないこの私がだ。

周りから評価されていたにも関わらず、
レギュラーになる覚悟と自信が3年間どうしても持てなかった。
3年間、Bチーム。
ベンチに座って、選手交代するかしないか、顧問の判断を迷わせる存在だった。

最後の大会も、私はBチームだった。
ただ、レギュラーの1年生がケガをしていたため、
最後の大会の地区予選は私がレギュラーとして出場した。
3年間ずっとこだわって練習し続けていたプレーがあり、
実際に決勝戦で行う機会があった。
そのボールを上げることは練習ではそんなに難しいことではない。
しかし、大会の場でいつもの練習のようにすることがどれだけ難しいかを
3年かけて実感していた私は、そのボールを上げた時に何とも言えない感情になっていた。

地区大会で優勝するのなんて当たり前だが、
私は勝った瞬間にとても安堵したことを今でも覚えている。
自分の役割は全う出来た。でも全国大会に連れていけるのは後輩の子だ。

筋トレの成果も、試合の結果も出ている。あとは顧問の信頼をどう勝ち取るかだ。
3年生の時に顧問から投げかけられていた言葉だった。

とにかく周りの目が怖くて、ミスをする度に委縮していた。
その結果、決定率は低いが効果率は高い(点は決められないがミスはしない)というのは私のプレースタイルになった。

もう少し自信があったらな、なんて思うが、昔の話だ。

スポーツは結果が全て。勝つか負けるか。
勝てば英雄、負ければバッシング。
でも私は、勝てない辛さを知っている。
毎日練習しても、どれだけ努力をしても実らないことを知っている。
だからこそ、結果の裏側を知れる人になりたいと思えた。

そう思えられるような人間になれたことはとてもよかったなと。


私の高校3年間は振り返ると、とても輝いていた。
当時は一刻も早く引退したいと思っていたが。笑
だって辛かったもん。そんなもんよね。

先輩も同期も後輩も顧問も、みんな元気かな~

特にまとまりもなく、思うがままに書いてしまった、、、
最後まで読んでくれた方、有難うございます。


スキやコメント、すごく嬉しいです。
あなたの記事も必ず見に行きますね。

◆ マガジン一覧


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?