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(細かな修正有り)私が批判的フリゲレビューを書かない理由

はじめに

 最近フリーゲームレビュアーやクリエイターの間で批判的・否定的なレビュー・コメントの是非が盛り上がっていました。そこでフリーゲーム中心にレビューを書いていて、「批判的な内容を書かないレビュアー」であろう私がその理由について書いてみることにしました。私が一番お世話になっているフリーゲームプラットフォームの「ノベルゲームコレクション」が批判中心のコメントをしないよう咎めているということもありますし。

 もちろん以下に書くことはあくまで「私の考え」であり、「他の人も私と同じようにしろ」という意味では当然ありませんのでご了承の上お読みいただければと思います。

大前提として

批判的、否定的な内容を書いていいかどうかですが、

 別にだめではない

としか言いようがないでしょう。書くのは自由と言われたら「そうですね」という話ですね。ただ、「私は基本するつもりはない」というのが素直な気持ちです。

私が批判的なフリゲレビューをしない理由


1:そもそもそんなに批判したくなる作品がない

 まず、昨今のフリーゲームっていい作品ばっかりじゃないですか?レベル高くないですか??
 もちろん全部が全部「最高!大傑作!!」ということでもないですし、それぞれに評価はあります。たとえば点数化しようとすればできるでしょう。ただ、ほぼ全ての作品においてプレイしている際に「作品に込めた思い・意図」を感じるし、その段階で十分に「面白い」んですよね。そのラインにまで達していない作品は、私が遊んでいる限りだとほとんどないんです。
 まして個人製作のフリーゲームの場合「ああ、こういう思いで作られているのかな」ということが伝われば自分の中でかなり満足が高く「よかった!!」となることがほとんどです。私が個人製作ということでハードルを下げている面があるのでしょうがそれ自体は悪いことではないですから。全てのゲームをブレスオブザワイルドの基準で見るのがいいことではないですしね。
 あと、フリーゲームではないけどフォーンアイルはさすがに著作権を違反しているから批判しましたし…。

2:私の関心が「作品の面白さ」にある

 私がレビューを書くモチベーションは「この作品を他の人にも遊んでもらいたい」こと、そして「この作品の面白さとそれを生み出す源泉を言語化してお届けしたい!」ことにあります。過去にもその件と方法論について記事にしたことがあります。

 「なんでこの作品はこんなに面白いんだろう」
 「なぜこの演出はしっかり怖いんだろう」
 「どうしてこのキャラクターはこんなに愛おしいのだろう」

 それらを、自分の中でうまく説明できたときに自分の中で「これだ…!」という感触が生まれます。そしてその言語化を読んでもらうことで「なるほど!」「確かに!」と感じていただければ幸いですし、読んだ方が今後の作品との向き合い方への参考としてもらえたらこれ以上ないことと思っています。最近批評の方法論についての本を読んでいるのですが、まず「精読」の重要性がとにかく語られていました。私にとって現状レビューとはいい悪いを語ることよりも「精読」なので、そこに力を入れていきたいです。
 それよえに「なぜここがよくないか」を書くことにモチベーションがないというのがあります。面白さを考える方が自分の心がわくわくするし、そこにこそ自分の文章力を使っていきたいというのが素直なところです。

3:嫌だなと思うところ、作品にリソースを使いたくないけど、批判を軽くやりたくはない

 とはいえ「ああ、これはよくない」と思ったフリーゲームに出会ったこともあります。ただ、そのことをわざわざ言及はしていないです。
 話は変わりますが、私は文章を作り出すのに結構体力と精神力を使うんです。その結果かなり遅筆だったりします。
 一つのレビューを書くには色々確認したり、場合によっては近接ジャンルの作品や作者様の過去作を勉強したりします。例えば、「回顧、来ぬ」であれば作品を再プレイし、民俗もの、ミステリー、ホラーなど複数ジャンルについて言語化をしたりしました。

「星影の館殺人事件」のレビューでは過去作を遊んだり、レトロ風のミステリー作品、アドベンチャーゲームを調べたりしています。

このように、いざ本気でレビューを書くとかなりリソースを使うので、正直嫌な作品にそこまでリソースを使いたくないというのが素直なところです。

4:褒めで全然伸びるよ!

 前提として私は「レビューや批評が創作を育てる」「厳しい批評がなければ文化はすたれていく」という論調には同意していません。これについてはそのうち別で記事を書くか、配信で語ります。
 ゆえに「私のレビューでフリゲ作家が成長するきっかけになってほしい!」などという大それたことは、まあ副産物的にはあり得るかもしれないけど基本的には考えていません。
 それを前提とした上であえて言うなら、褒め合いでも全然伸びるしそっちの方が多くの人がプレイヤーになれていいんじゃないかなという信念はあります。これは過去の経験によるところがあります。
 私はもともとtwitter上で同人小説の活動をしていました。そのジャンルで私がいたクラスタは、互いで交流して褒め合って時にはみんなではしゃいで作品を書いていくような集団でした。これは当時もあまり言ってこなかったことですが、私のいるジャンルではかなり有名だった方が「あそこは馴れ合いが過ぎる」と直球で私のいたクラスタをdisるツイートをしているのを見たことあるぐらいには「仲良しこよし」だったでしょう。
 しかし、もちろんあまり賞にこだわるのも違うでしょうが、その前後にあったその界隈の文学賞では少なくない賞を私のいた界隈の作家が取っていましたし、現在も当時の経験を生かしてクリエイティブなことをしている人は私も含めていっぱいいます。なので、褒め合いでもみんな健全に成長していけると思うんですよね。だから馴れ合い問題は気にしなくていいのかなと思っています。さらに言えば、この経験が「意識の低い場所であってほしい」というVtuber界への思いを作っています。

結論と余談

 基本的には私は「肯定的な言葉をしっかりリソースを注いで書きたい」というのがあるのでしょう。なので批判を書いている場合じゃない!そんな余裕ない!!というところが一番強いです。
 また私は「自分のために」レビューを書いています私がするレビューやコメントは私の文章表現だと思っています。なので自分の中で納得の行く文章表現をしたいのです。また自分の中で作品の面白さという不定形な現象への考察を追求したいという思いはかなり強いです。そしてその方法論や考えをお伝えすることで、皆様がより作品を楽しめるようになったならそれは最高のことだと思っています。
 そして、正直に言うなら記事が読まれる事による自己顕示感情の充足、自分の売名的な価値を期待する欲があることも否定はしません。この記事だってしれっと私は過去記事の宣伝に使っているわけですから。
 だからこそ自分のためにやることが作者を攻撃することになったりすることは避けるべきという思いは当然あります。特に売名のために「批判・否定」って効果絶大な分溺れやすいですし。そういう人いっぱい見てきましたし…。
 こう書くと「自分の名前を売るために作者に媚打ってる」と思われる方もいるかもしれませんが、私は自分の感性に対して嘘はつきたくないと思っているので、そこは信じていただけるとありがたいかなと思います。

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 というわけで私のゲームレビューをよければお読みいただき、何より該当の作品を遊んでいただければと思います!


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