見出し画像

紀子三部作の中で何故『東京物語』(1953)が最高傑作なのか?

さて、今回は小津安二郎の中でも後期の代表作として世界的に評価の高い紀子三部作、『晩春』『麦秋』『東京物語』について批評していこう。
以前も述べたと思うが、私は三部作の中では『東京物語』を邦画随一の傑作と推しているが、決して『晩春』『麦秋』だって出来そのものは悪くない。
むしろ、カット割りや演技なども含めて『東京物語』とは明らかに異なるショットや衝撃が詰まっていてこれらはこれらで「へえ」と面白く見られる。
だが、『東京物語』がその2作とは明らかに異なっていたものがあるのだが、とりあえず紀子三部作の評価は以下の通り。

『晩春』(1949)評価:A(名作) 100点中85点
『麦秋』(1951)評価:S(傑作) 100点中95点
『東京物語』(1953)評価:SS(殿堂入り) 100点中120点

どれも水準以上の面白さなのだが、この中で一際『東京物語』(1953)は私の場合つまるところやはり「形式の美」でしかないと思っている。
以前も述べたが、形式が美しければ意味内容は後でついてくるのだが、意味内容やテーマでの勝負になるとやはり主観で評価や解釈が別れてしまう。
私がSS(殿堂入り)の評価を下す作品の共通項はそれがテレビドラマであれ映画であれ、形式の美がきちんとしているところである。
その上で確実にその作品にしか出せない個性やショットが決定打としてある作品のみがこの評価に到達することができるのだ。

ということで今回は私にとっての紀子三部作が如何なるものかを改めて比較・検討しながら述べることとする。

徹底して「個」の関係にキャメラを当てた『晩春』

まず『晩春』(1949)と『麦秋』(1951)はどちらも原節子演じる紀子が嫁入りする前の心境の変化を題材としたものだが、最初の『晩春』は徹底した「個」の関係性にキャメラが当たっている。
個の関係とはもちろん原節子と笠智衆のことだが、本作ではとにかく原節子の感情がこれでもかといえるくらいに身振り手振りや視線の動き、そして顔つきの変化といったもので表象されているのだ。
よく小津映画における原節子は「永遠の処女」として一種の神格化された巫女のような存在であると語られることが多いが、果たして本当にそうか?
こういう言説を述べる人のほとんどはやはり小津映画以外の邦画に出演した時の原節子と比較した上での言及であろうが、私はむしろ小津ほど原節子を輝かせた監督は居ないと思う。

黒澤明の『白痴』(1951)と比較するとわかりやすいが、黒澤明は原節子が内面に孕んでいる複雑な女性のネガを大っぴらに感情たっぷりに露呈させることでその魅力を描こうとした。
要するにこないだ述べたメソッド演技法なのだが、その演技法は「舞台」ならば通用する演技だったとしても、「映画」として見るとむしろクサくなりすぎてしまう
対して小津映画の場合はあくまで「映画」であるからそこまで過剰な芝居にしない、むしろ徹底してそういう過剰な演技をさせないことによって逆に原節子の感情を最小限の寸鉄で伝えることに成功している。
その最小限の芝居で最大限の効果を見せるミニマリズムな演出法で色づけされた本作の原節子は嫁入り前の娘の複雑な心情の揺れ動きなるものをこれでもかと豊かな細部を通して見せつけてくるのだ。

それは時に父親に対する甘えであったり反抗であったり、能を見に行った時の視線と顔の揺れ動きであったりに伺えるのだが、多くの人はこれを日本人的な「侘び寂び」「もののあはれ」と指摘しがちである。
しかし、私から見るとこれは寧ろそういう伝統的な日本のあり方に対して反抗的ですらあるものであり、結婚が女の幸せであるとされながら原節子演じる紀子は最後の最後まで結婚の決断を渋ってしまう。
特に宇佐美淳演じる青年と一緒に海まで並走して自転車を漕ぎ、海辺で眺めるシーンの美しさは絶品で、ここだけを見ても小津は決して古き良き日本の型に当てはまる作家ではないとわかる。
小津映画というとどうしても「抑制」「動きが少ない」「単調」といった否定的・消極的な言葉で語られがちだが、実際の作品はその評価とは真逆で本当に豊かな細部が見ているものの感性を揺り動かす

また、本作の名場面として語られる京都の宿での壺のカットだが、この壺そのものに決して深い意味はない、よくこれを「女性器」のメタファーであり、父と娘の近親相姦を指摘する向きもあるようだ。
だがこれも違っていて、確かに紀子は最後まで父親とともに居たいとはいうが、それは決して近親相姦の情を抱いているからではなく、単純に結婚生活に対して臆病になっているのを誤魔化そうとしているだけである。
壺のカットもそういう意味であそこで娘と父が横たえるシーンを1ショットに収めたこと自体が映画史的な大事件であるのみならず、壺を添えることでそのカットがより引き締まって見える効果を見る者に与えるのだ。
小津安二郎は徹底して「どうすればその画面が美しく見えるか?」ということ、すなわち「映画とは何か?」を徹底して考え、だからこそ敢えて無頓着なことや文法破りなイレギュラーも行う。

そして肝心の結婚相手が最後まで映し出されずにラストは花嫁姿のまま家を出ていく紀子と一人寂しくリンゴの皮を剥く笠智衆で締め括られるのだが、本作は小津映画の中でも「変化」に重きを置く。
だから物語の最初と最後ではまるで違った作品に見えるし、ショットも前半から後半に向けてぐんぐんと凄みを増していくのだが、所々で顔を出す原節子の感情の揺れ動きがどうも私は苦手である。
小津映画の中でも抒情的なショットの連鎖になっているが、それ故にか際立ってこの1シーンに凄みがある!という印象もない感じになり、そこが今ひとつ私の中で傑作には成り切らなかった理由だ。
最後の最後まで実は父と娘の感情はすれ違ったままなのだが、そのすれ違いが肥大化したまま結婚を迎えることに対して明瞭な答えが出ないまま流れてしまうのが個人的には微妙であった。

本作をA(名作)からS(傑作)に昇華させるためにはラストに向けた仕掛けがもう一段階必要だったと思えるのだが、それが上手く機能したのが『麦秋』(1951)である。

「多」の中における遊びを描いた『麦秋』

紀子三部作の第2作目である『麦秋』(1951)も題材は同じ「嫁入り前の娘の心境」であるが、『晩春』とは違いこちらは「家族」というより多彩な人間関係の中で描いていた
笠智衆も本作では父親ではなく頑固な気難しい兄として出演しているのだが、より多彩な人間関係のなかでより原節子が生き生きと遊ぶ様を描いたのが本作である。
個人的に特に印象に残ったのは淡島千景演じる姉さんとの遊びが印象的であり、見終わった後に私の印象に残るのはとにかく「並ぶ」ことにあると思った。
すでに結婚生活を経験している嫁たちに対する嫌味をいうシーン、家の中で鬼ごっこをするシーン、そして海辺でサンダルを脱ぎ裸足で歩くシーン、とにかく「2人」のシーンが印象的だ。

また、改めて驚いたのはちょうど中間地点のところで笠智衆演じる兄が息子たちを折檻するシーンであり、笠智衆がここまで激怒するのもなかなか珍しいのではなかろうか。
「こら!」と言いながら叱り飛ばすシーンはとてもインパクトがあり、あまり怒らない人がいざ怒るとこんなにも怖いのかとあのショットがあることで決して原節子のみにキャメラが寄っているわけではない。
そこがとてもバランスが良かったところというか、「晩春」だとどうしても個の関係に焦点を当てることで過剰なまでに露呈した原節子の芝居や感情を本作ではある程度フラットに相対化している
より群像劇に近いスタイルを取り、その上で子供達も両親も娘たちもそこかしこに要所要所で感情を爆発させ動きで撮ることによって、よりダイナミックな印象を与えることに成功した。

だが、本作が真にA(名作)からS(傑作)になった理由はそのような遊びとしての細部を感情豊かに描きつつも、「結婚」に対して肯定的か否定的かがはっきり示されたことにある。
それは紀子が杉村春子演じる叔母さんから提案した秋田で医者をやっている息子との結婚を承諾したことで、間宮家の空気が一気に暗くなってしまった=家庭の崩壊で示された。
あの時紀子はなぜ結婚を承諾したのかに関する論理的整合性や原因は明確に語られていない、後ろ向きの妥協だったのか気の迷いだったのか、だが間違いなく杉村春子を前に見せた笑顔と返事に嘘偽りはない。
だからこそ秋田に嫁入りする前のモラトリアムを姉や家族と一緒に過ごしながらも、それらがひとしきり終わり居間で原節子が泣くシーンを示すカットとの落差が浮き彫りとなる

そう、紀子は本当は秋田の医者に嫁入りすることが本当は不安で仕方ない、後悔はしていないがその結婚生活が上手くいくという保証はどこにもないし、この先家族と再会して全員集まることもないかもしれない。
まるでそれが最後の別れであるかのような画面の連鎖になっているのだが、それを必要以上に悲劇的に見せないようにする配慮が凝らされていて、それが家族全員が並んでの集合写真のカタルシスにある。
このショットは本来なら物語として入れるのは不自然なのだが、嫁入りする前に家族での集合写真を撮ることによって、あれだけ性格も生き方もバラバラの家族が揃って同じ方向を見ることの気持ち良さがあるのだ。
そしてラストのシーンの稲穂の中を歩いていく嫁入り行列のショットもこれまた美しいものなのだが、これが果たして間宮家の両親が本当に見つめているものかどうかははっきりと明示されていない。

しかし、ただでさえバラバラで実はあまり噛み合っていなかった家族が紀子の結婚を契機として、首の皮一枚で繋がってた脆さが破綻していく様が肯定も否定もされず淡々と画面で綴られるのが見事である。
すれ違いをきちんと正さないままに個人の感情で結婚を決めたことが決して良い結果をもたらすわけではないことを物語として示しつつ、さりとてそれを過剰な芝居や演出で劇的にしすぎない。
前作で明瞭に答えを出していなかったことに対してはっきりと答えを出し、いずれ家族というものは離散していくものであり、しかもそれは決して特別なことでもなんでもない日常の一環に過ぎないと示した。
といって、これはいわゆる日本的な「もののあはれ」「無常」といったものではなく、ましてや普遍的なテーマを描いているからでもなく、それを画面の運動として示すことで超えてみせるのが美しいのである。

ラストの引きで撮る稲穂とその中を行く花嫁たちの写真の美しさ、家族全員で写真を撮るシーンの美しさ、そこに至るまで遊んだり叱ったり嫌味を言ったりする登場人物たちの生き生きとした自由闊達さ。
とてもユーモラスに語られる本作で前作の積み残した課題はまさしく秋の収穫のごとく確と摘み取られたわけだが、ここから更にもう一段階跳ね上がるのが『東京物語』(1953)である

最初と最後を同じカットで見せることで抒情にしない『東京物語』

紀子三部作の完結作にして、ある意味では小津映画の集大成ともいえる『東京物語』は前2作で培ったものを踏まえ、これ以上ないほどの残酷さと綺麗さが際立つ作品となった。
本作の褒められるところはなんといってもまず最初のカットと最後のカットが同じカットとして見せることによって一貫性を持たせ、作品そのものを引き締めて見せていることだ。
まず冒頭で実は墓、学校、列車といった広島にいる老夫婦の日常が映し出されているのだが、実はここで既に後半の布石となる東山千栄子演じる母の死が明示されている。
物語としては杉村春子が「虫の知らせ」と言い、熱海の1シーンから違和感として示されているが、それがなくとも実は冒頭の墓のショットでそれを画として示したのだ。

本作はその意味でタイトルに「物語」とついているものの、実は物語の部分に関してはほとんど捻りや遊びの要素がなく、そこが『晩春』『麦秋』との違いでもある
『晩春』『麦秋』はいうなれば「心境の変化」を過程として楽しむ良さがあり、それが紀子という嫁入り前の娘の身体の動きや感情面の推移、またそれを受けての他者の反応に見受けられるだろう。
だが、本作はそういうものとは違い、キャメラは紀子ではなく笠智衆と東山千栄子の老夫婦に当てられており、それによってもはや「感情の変化」を楽しむ作品ではなくなったことが示されている。
原節子演じる紀子は本作においては「準主役」であって「主人公」ではなく、あくまでも未亡人のお客様として描かれており、必ずしも常々作品の中心に存在しているわけではない。

物語の筋だけを抜くと本作はだいぶ酷いもので、老父婦がせっかく東京にいる家族に会いに行ったのに素っ気ない対応でたらい回しにされ、挙句の果てに杉村春子の気まぐれで熱海にまで追いやられてしまう。
しかしその熱海の宿屋は若者たちが飲めや歌えのどんちゃん騒ぎでゆっくり寝られず、結果として骨折り損のくたびれもうけに終わったのだから、物語そのものに素晴らしさがあるわけではない
さりとて「もののあはれ」「無常」「輪廻転生」だのといった日本独自の神道や仏教といった宗教的価値観・文化といった形而上学の普遍的真理といった抽象概念に還元しうるものでもないだろう。
そのような具体から何かを抽象するにはあまりもキャメラは卑近過ぎるし、とみの死因やそれをめぐる周囲の感情に関してあれこれと考察を重ねても無駄であり、そこに本質はない。

そうではなく、本作が素晴らしいのは老夫婦を中心に撮られていながら、決して抒情に流されずあくまでも厳しく形式の中で登場人物の日常が淡々と綴られ行き、それが最後まで崩れないのだ。
だからこそ最後の周吉と紀子のやり取りが異質のものとして浮くわけであるが、実はこの会話は決して感動的なものではなく、むしろ原節子と笠智衆の断絶をも示しているようでもある。

こちらの記事が典型的だが、蓮實重彦も指摘している原節子の「とんでもない!」のくだりは未だに衝撃であり、何度も見直すたびにここだけが唯一完全に物語から浮いてしまっていた。
それを笠智衆演じる周吉視点で見れば感動的な温かいシーンのようでもあるが、私にはそうは見えずむしろ紀子は単純に的外れなことをいうこの老人にイラついていただけなのではないか?

そう、この老夫婦は紀子が決して本来はいい人ではなくむしろ他者にどこか気に入られようと聖人君子を演じてる「ずるい人」であるという本質を見抜けずに買い被ったままなのだ。
それを紀子は彼女なりの最大限の思いを込めて「とんでもない!」と顔を背けて否定する形で表現するのだが、それでも周吉の買い被りは収まることなく肥大化し、最後には時計をあげて泣かせてしまう。
普通に見ると紀子が親切にしてもらったことに感激して泣いたようだが、紀子視点で受け止めると単なるありがた迷惑でしかなく、過剰な思いやり・気遣いがかえって無自覚に傷つけているようでもある。
でなければ、汽車の帰り道であんなにも憂いを帯びた表情で古時計を眺める原節子のカットは違和感でしかなく、達観した視点で綴られる感動を小津監督は紀子を解放することで破壊しようとしたのではないか?

つまり『東京物語』は一見老夫婦の視点から家族の絆の儚さとその中で日常として綴られるとみの死を淡々と描きつつ、「いい人」という原節子の神話をも自ら破壊した作品であるといえる。
そしてそれを含めて最初と最後を広島の日常の風景というショットによって映し出すことによって必要以上に説明的にも感傷的にもなることなく引き締めて見せたことで、最高の形式美を持った作品となった。

『東京物語』が最高傑作たる理由は「物語」でも「ショット」でもなく「形式美」である

このようにして言語化してみて、改めて私の中でなぜ『東京物語』が小津映画も含めて日本映画の最高傑作なのかというと、結局のところ「形式美」にあるのではないだろうか。
小津安二郎の映画を語る上でみんな「ローアングル」「リバースショット」といった個々の演出や台詞のやり取り、単調さといった部分を論じることが多い。
もちろんそれはそれで間違いではないのだが、もっと大事なのは小津安二郎は溝口健二と並んでサイレント期から映画を撮っていて「画面で語る」ことを体得している作家であるという事実だ。
この差は思いの外大きく、サイレント時代から映画を撮っていない黒澤明との決定的な違いでもあり、まただからこそ小津映画のルックやショットは彼にしか出せない独自性がある。

こと『東京物語』はイギリスの映画雑誌『サイト&サウンド』で2012年に批評家たちが評価するランキング部門で一位を取ったが、なぜそれが可能となったのか?
それは「物語」でも「ショット」でもなく、それを含めて画面全体の「形式」が最高に美しく、当時にして1つの極みに到達したからではないかと思う。
最初と最後を同じ風景の別角度のショットで締める繰り返しの図式にしつつ、その中で確実に変化した老夫婦の関係性とその中に還元されない紀子の色気(存在感)は本作にしか出せない。
感情豊かにその推移を描き画面も人間関係もわかりやすく変化した『晩春』『麦秋』と『東京物語』の差は正に形式(構成)の美しさそれ自体にある。

少なくともショットが持つ力や物語の内容といった幾分主観の混じる部分でこの3作に大差はなく、むしろ『東京物語』は物語として見るなら決して上手いとはいえない。
しかし、形式そのものを繰り返し用いることによる分かり易さを出して冒頭と末尾をしっかし結び、その上で文法破りも含む「物語からの逸脱」を紀子と周吉を通して描いている。
むしろこの1点の衝撃を見せるためにこそそれまでのシーンが存在しているといっても過言ではなく、これを超える美しさを画面として持った作品は今の所映画では見ていない。
もっとも、小津に関しては『美人哀愁』のように見られない初期のフィルムもまだ沢山あるので本作が真に最高傑作かは現時点ではわからないが、少なくとも邦画黄金期の括りで見るなら間違いなく最高傑作だ。

形式が美しければ意味や内容は後からついてくる、それを私に感じさせてくれたのが紀子三部作であり、その中でも『東京物語』は時代・国・人種を超えて見る度に新鮮な驚きを与えてくれる珠玉の逸品である。

この記事が参加している募集

おすすめ名作映画

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?