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『ドラゴンボール』が今尚バトル漫画の金字塔であり続けるのはコマ割りとアクションのダイナミズムが天才的だから

やはり未だに思うが、アクション映画が未だにバスター・キートンを越えられないように、ジャンプ漫画も今だに「ドラゴンボール」の戦闘シーンを超えられていない
これは誰に何を言われようと異論は認めない事実であり、少なくとも「ドラゴンボール以前とドラゴンボール以後」で決定的に違ったのが戦闘シーンの表現である。
「ドラゴンボール」以前のジャンプ漫画で代表的なのは車田正美の「聖闘士星矢」、ゆでたまごの「キン肉マン」、原哲夫の「北斗の拳」あたりだろうか。
それら先達の作品群と「ドラゴンボール」がどう違っていたかというと、迫力もそうだがそれ以上にバトルのダイナミズムとスピード感である。


キン肉マン
リングにかけろ

例に挙げるが、例えば車田正美の「リンかけ」「星矢」はジャンプ漫画の超人バトルの始祖と言われているが、革命的なのは「必殺技」という概念を導入したことだ。
いわゆるライダーキック・スペシウム光線・ブレストファイヤー・ゲッタービームなどのように代表的なフィニッシュブローを定着させ、それを1つの表現とした。
代表的なのは剣崎順のギャラクティカマグナムだが、あれはジャンプ漫画の歴史に残るフィニッシュブローであり、1コマで歌舞伎の見得を切るような外連味を表現している
その完成版が『聖闘士星矢』なのだが、このバトルシーンだと必殺技の迫力こそ出せるものの、バトルにスピード感や奥行きがないという問題があった。

これらを解決しようと試みたのが「キン肉マン」であり、戦闘力の数値化や様々なリングの上で戦うなどの外的条件を付け加えて臨場感を出そうとする。
加えて車田以上の「友情」を前面に押し出したスタイルがドラマチックなのだが、やはり今見直すとなんとも教条主義な感じがしてしまいクサいバトルシーンとなった
またゆで理論も今見直すとツッコミどころが満載で限界があり、またコミカルな絵であるが故にどうしても迫力やダイナミズムを出しにくい。
迫力を出そうとすると「北斗の拳」「ジョジョの奇妙な冒険」のように劇画タッチの戦闘シーンにするしかないのだが、これもこれで別の問題がある。


ジョジョの奇妙な冒険
北斗の拳

劇画の問題点は「どんな動きをしているかわかりにくい」で」あり、またジョジョはそれに加えてスタンドや波紋などの能力バトルの要素まで加わっている。
これだとアニメ化して具体的な動きを映像化しないと漫画のコマ割りだけでは見ている側には伝わりにくいという問題が発生してしまう。
加えてどちらもセリフがとにかくやかましく戦闘そのものに対する集中力が削がれてしまうという問題が発生するのである。
「ドラゴンボール」がジャンプ漫画も含め数あるバトル漫画・アニメの中でも金字塔として残り続けているのは正にここを解決したからだ。


悟空VSベジータ

サイヤ人編の悟空VSベジータの3倍界王拳をご覧頂ければわかるが、悟空がベジータを殴りつけてからのアクションシーンは誰がどんな動きをしているかがわかりやすい
溝口映画の「1シーン1カット」ならぬ「1コマ1アクション」で動きにダイナミズムを持たせるだけではなくスピード感と迫力も両立させることに成功している
これは「ドラゴンボール」という作品自体が決して物語重視の漫画だからではなくアクション・キャラ重視を徹底し無駄を削ぎ落とす引き算思考で誕生したものだ。
しかもアクションの最中は基本的に喋らずに表情と動きで演技しているため、台詞に気が散ることなく純粋にアクションそのものを楽しむことができるのである


ONE PIECE
 NARUTO

後続の「ONE PIECE」「NARUTO」もこのわかりやすさを継承しつつ物語の整合性を重視しているわけだが、やはりアクションそのものより物語の中でのアクションという位置づけだ。
つまりジャンプ漫画において「ドラゴンボール」という作品が未だに残り続けているのは思想が優れているからというより、やはりアクションそれ自体の面白さだと言って良い。
単純な強さのインフレだけったら他にいくらでもそんなことをやった漫画はあるし、物語やキャラのドラマが優れている漫画であれば他にいくらでもあるだろう。
だが、戦闘シーンそのものをその場面だけ切り取って何回もリプレイして楽しめるというのはまるで音楽やダンスのみを楽しむような感覚に近いのではないだろうか。

例えば嵐の大野智なんかはその典型だが、彼は歌・ダンス・演技・アートと芸においては嵐の中でNo. 1なのだが、ファンは何を一番見るかというと「ダンス」である
彼のダンスシーンを私も何度も見させてもらっているが、私は正直リーダーの歌にはあまり興味がなく、それよりも体の動きやアクションを純粋に見ているのだ。
大野智のダンスはとても細かい足捌きが主軸となっているが、曲のメロディと合わせて大野智のダンスセクションを楽しむのがとても心地よく楽しいのである。
まあ大野智以外にも中居正広や岡村隆史など優れたダンサーはいくらでもいるが、私が「ドラゴンボール」を楽しむのは大野智のダンスを鑑賞する楽しさに近い。

「ドラゴンボール」の映画で「ブロリー」が最高傑作なのは余計なゴテゴテした要素を削ぎ落とし、純粋に悟空・ベジータ・ブロリーのサイヤ人たちの血湧き肉躍るバトルに心血を注いだからだ
そしてそれがまるで音楽のセッションのように段々と高鳴っていき、まるで音楽を楽しむようにボルテージが上がっていくのが1つの快楽としてそこにある。
ベジータVSブロリー、悟空VSブロリー、そしてゴジータVSブロリーは音楽でいうAメロBメロサビのような三段構成になっており、とても心地よい。
実は鳥山明はこの音楽のような「形式」を何より重視して原作漫画なり映画なりのバトルシーンを作っているのではなかろうか。

だから確かに「物語」「思想」といった「内容」の部分だけでいえば「ドラゴンボール」は決して完璧な作品だとはいえないかもしれない。
しかし、「形式」「アクション」といったセオリーの部分をしっかり見ていくのであれば、実は「ドラゴンボール」ほど純粋に感性で楽しめる漫画もないのである。
キャラも素晴らしいが、それ以上にそのキャラが表現するバトルの迫力・ダイナミズムが1つの極みに到達し、他の追随を許さないほどに完成されているのだ。
荒木の「ジョジョ」や富樫の「幽白」「H×H」はやはりアクションそのものというよりそこに付いている物語や思想・心理描写などの「装飾」を追求したものである。

だから私はそれらの作品も好きなのだが、やはり感性が純粋に揺れ動くという点において「ドラゴンボール」には敵わない。


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