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安西先生と谷沢君の痛い過去に学ぶ師弟関係と教育の難しさ(前編)

さて、「スラダン」ライバル校コラムも残すところ豊玉と山王のみになってきたわけだが(愛和学院・名朋工業・大栄学園あたりは情報量が少なすぎるので省略)、その前に語るべき湘北高校のコラムがあった。
それは白髪鬼・安西と呼ばれていた頃の安西先生の過去、そう大学バスケ界時代のデビル安西と期待の新星・谷沢龍二の師弟関係であり、これを語らずして全国大会の強豪は語れない。
「SLAM DUNK」の安西先生と谷沢君の関係性はそれまでのジャンプ漫画やスポーツ漫画でのタブーとされていたであろう「破綻した師弟関係」というダークサイドに切り込んさエピソードである。
ネットでは「まるで成長していない…」というセリフばかりが切り取られて煽りのネタとして用いられているが、原作の内容を知っていればこれが安易に使っていいセリフではないことは原作を読めば明らかだ。

今でもこの白髪鬼・安西と谷沢君の過去はファンの間で様々な切り口の論争・考察・解釈がなされてきたが、私が思うにこの2人の師弟関係の失敗もまた起こるべくして起こったとしか言いようがない。
昨日の陵南のコラムで私は田岡監督の指導者としての問題点を指摘したが、実はその田岡監督よりも更に複雑に捻れた問題点を抱えていたのがこの2人の師弟関係であった。
誤解しないでいただきたいのは決してどちらが良くてどちらが悪いかという責任の所在ではなく、どのようにして2人の関係性にすれ違いや破綻が怒ったのかを分析するためのコラムである。
今回は2人の関係性についてをじっくりと深堀りし、次の後編ではそれを踏まえての安西先生の指導者としてのあり方を見ていきたい。

白髪鬼・安西の指導法に見る古き軍隊方式の問題点


大学でバスケットの指導をしていた全盛期の白髪鬼・安西は決して唐突に出てきたものではなく、物語の序盤で最初に安西先生が登場した時からチラッと出ていたものだ。
その白髪鬼時代の安西先生は噂通り本当に怖い人で、腕を組み髪型もオールバック、さらにはその筋の方々のごとき鋭い眼光と圧をたたえて相手を睨み、淡々と選手に説教をかます。
こんなことをされた日にはどんなに精神的に強い人でも怖がりそうなものだが、その白髪鬼が目をかけて期待していたのが期待の新星・谷沢龍二だった。
安西先生は大学のバスケット監督人生の最後に谷沢を日本一の選手に育て上げるつもりだったことを明かしているが、そんな彼の真意は在学中の谷沢には伝わらない。


白髪鬼・安西

それもそのはず、当時の安西先生がやっていたことは古き軍隊方式の指導であり、ガチガチのシステマチックなものの押し付けでしかないから谷沢からしたら目の上のたんこぶである。
これは同時に当時問題視されていた根性論や受験戦争に代表されるような詰め込み教育の問題点をバスケットというスポーツの中で描いていたともいえるであろう。
私は詰め込み教育の全てが悪いとは思わないが、何が問題といって「努力すれば何でもできる」という歪んだ努力信仰の押し付けが大量の落ちこぼれを生んだことだ。
これに関してはスポーツに限らずどの分野でも起こることであり、例えば「ドラゴン桜」の英語講師のモデルである竹岡広信先生はNHK「プロフェッショナル」でまさにそういう失敗をした。

自分が経験してきた英語の勉強法を3年かけて教えた生徒が何と大学受験で全滅、更に他の生徒も同じように受験に失敗して挫折してしまい希望の人生を歩めなくなったのだ。
竹岡先生はこの時「生徒の未来の芽を自ら摘み取ってしまった」と良心の呵責に駆られ、それからは指導方法から何からガラリと変えた経験が今につながっているのだという。
また、同時期にやっていた「ドラゴンボール」のセルゲーム編で悟空は皮肉を言うベジータに対し「これ以上カラダをムリに鍛えても辛いだけだ。そんなのは修行じゃねえ……」と言っていた。
ただ只管肉体を鍛え上げれば無敵の強さを手にできると信じられていた昭和の軍隊じみた方式に一石を投じたわけであるが、この白髪鬼・安西もまさにそれではないだろうか。

その上で白髪鬼・安西の指導上の問題点は何だったかというと、谷沢君の適性や能力・性格に見合った個人指導をきちんとしていなかったことである。
谷沢に人一倍期待して目をかけて可愛がっているのはわかるが、それならそれでどうやったら谷沢の能力をより引き出せるかをきちんと考えるべきだったのではないだろうか。
生徒は決して先生の所有物ではない、しかしそのことに気づけなかった当時の白髪鬼・安西は自分が得意としていたバスケットの指導法をただ押し付けるしかなかった。
これでは谷沢君が反発して逃げるような形で渡米するのも無理はなく、詰め込み教育をはじめとする日本の教育現場の問題点を浮き彫りにしていたようにも見える。

「あーそういうことね、完全に理解した」を地でいく谷沢の性格的欠点


とはいえ、そんな白髪鬼・安西の指導法だけが問題だったのではなく、谷沢も谷沢でその人間性には大きな問題があったということがきちんと物語の中で明示されている。
谷沢龍二の人となりを説明すると、おそらくバスケットの才能やセンスはピカイチであり、相当自分に自信があるタイプの選手であったことは想像に難くない。
しかし、その自信が谷沢に関しては傲慢さや自惚れに繋がるところがあり、言ってみれば挫折する前の三井寿やバスケ部に入った頃の桜木花道のような感じだったのだろう。
流川も谷沢君と少し似ているところはあるが、流川は谷沢君と違って増長したり基礎をおろそかにしたりするようなタイプではない。


ダニング=クルーガー効果

そんな谷沢を見ていると、ネットで有名な「あーそういうことね、完全に理解した」を地で行く、いわゆる「ダニング=クルーガー効果」を体現した存在であることがわかる。
白髪鬼・安西にしごかれていた時代の谷沢は才能はあってもステージとしてはまだまだ初心者の段階であり、基礎から徹底的に鍛え上げなければいけない段階だった。
だが、谷沢はこの頃「自分が最強」として絶対的な自信に満ち溢れており、だからこそ安西先生がやらせていた基礎訓練の重要性を全く認識できずにいたのである。
そうして基礎が中途半端にしかできていない段階で、まだ安西の教えを十分にマスターしていない谷沢を待ち受けていたのは絶望と孤独という最悪のルートだった。

谷沢はその体躯とパワーを売りにしたプレースタイルで挑んでいたようだが、それが通用するのは日本だけであり、バスケの本場であるアメリカでは全く通用しない。
誰もバスケの基礎を教えてくれないしパスもくれない、さらには英語の勉強もきちんとできていないためアメリカでの大成長と活躍は望むべくもなかった。
ここで初めて谷沢は自分が所詮「井の中の蛙大海を知らず」でしかなく、白髪鬼・安西が口を酸っぱくして言っていたことが正しかったということを改めて思い知る。
かといって、チームメイトにも監督にも散々迷惑をかけた手前日本に戻ることもできず、意固地になって無謀な挑戦を続けるという最悪の泥沼にハマってしまった。

「SLAM DUNK」という作品では基礎の重要性を序盤から徹底して上級生たちが素人・桜木に説いているわけだが、それが谷沢君という失敗例でより生々しい説得力を生んだ。
谷沢は結局自分を最強だと思い込んで基礎をおろそかにし、さらには監督やチームメイトとの人間関係といった基礎も怠っており、その性格的欠点が絶望と孤独へ繋がってしまった。
上には上がある、その至極当たり前の、しかしだからこそ誰もが無意識にないがしろにしがちな事実を谷沢はアメリカ留学で失敗という形で身をもって味わうことになる。
安西先生の指導法だけではなく、谷沢も谷沢でその性格的欠点をほったらかしにしていたことが何よりこの悲劇を生んだのではないだろうか。

日本でもアメリカでもチームメイトに恵まれなかった谷沢


谷沢がもう1つ可哀想だったのは日本でもアメリカでも最後までチームメイトに恵まれなかったことであり、これが何よりも谷沢が孤立化した原因であるように思えてならない。
日本での様子はわずかにしか描かれていないようだが、あのチームを見ると谷沢と実力や才能で対等にやり合える存在がいなかったのではないだろうか。
これが桜木や流川との大きな違いであり、桜木も流川も谷沢君を超える逸材と評されながら谷沢君のようにならないで済んだのはお互いに切磋琢磨できるライバルだからだ。
特に桜木はバスケットが4ヶ月程度の初心者でしかなく、他のメンバーが皆「バスケットプロ予備軍」と言える上級者であるという壁がいい感じに突きつけられている。


谷沢の成長のなさに唖然とする安西

一方でそれは流川にとっても同じであり、流川も湘北内では凄腕のルーキーであるが、県内だけを見ても自分の上に牧や仙道といった強者が存在しており、まだ彼らを超えられていない。
そして何より全国大会で出くわす強豪たちが上にいる以上まだまだ伸びる余地はあるわけであり、全国大会の経験値が少ないという点では桜木とそんなに変わらないのである。
だからこそ、お互い嫌いで憎み合いながらもバスケットを通じで少しずつ歩み寄っていき、お互いを意識することで強くなっていくわけだが、谷沢にはそういう存在が周囲にいない
勉強でもスポーツでも、それからビジネスでもそうだが、やはり「対等に切磋琢磨できるライバル」の存在があるかどうかでその人の伸び率はとても大きく違ってくるのではないだろうか。

谷沢がアメリカで無様な結果しか残せなかったのに、今更おめおめと引き下がれなかったのは何より日本に帰ったところで対等なライバルがいないからという理由が大きいであろう。
ちょくちょく手紙も来ていたけど徐々に来なくなったと谷沢の友達は言っていたが、実力の上でその友達が谷沢と対等の実力を持っていたとは言い難く、所詮同じ部の仲間でしかない。
確かに白髪鬼・安西が言っていた「環境次第で白くも黒くもなる」はその通りだが、日本に帰ったところで谷沢が再びモチベーションを取り戻せるかというと甚だ疑問である。
つまり「才能にも指導者にも恵まれていながら、チームメイトに恵まれなかった」ことが谷沢君にとっての大きな躓きのタネだったのだと私は思う。

こうしてみると、本当に一流のスポーツ選手になるには様々な要素がしっかり噛み合う必要がある、というのが谷沢君の失敗例を通して我々が教えられていることだ。
具体的には「人並み外れた才能・素質」「競い合えるチームメイト」「優れた指導者」「最後まで投げ出さずにやり遂げられる人間性」「人間関係」「時の運」といったところだろうか。
これらが複合的に絡み合って本当に素晴らしい一流のスポーツ選手は生まれるわけであり、白髪鬼・安西と谷沢の関係性が破綻したのはこれらの重要な要素が欠けているからだ。
そうしてズレが生じていき、失敗する要素が連鎖的に積み重なって、最終的には谷沢の交通事故死という目も当てられない悲惨な結末へと繋がってしまったのである。

谷沢の死がもたらした白髪鬼・安西の終焉


谷沢龍二という白髪鬼・安西が集大成として育てたかったであろう逸材である谷沢の死は同時に白髪鬼・安西の終焉をも意味するものだった。
谷沢は最期に遺書にも近い安西先生への置き手紙をアメリカのアパートに残しており、そこにはこのように書かれている。

「安西先生──いつかの先生の言葉が近ごろ、よく頭にうかびます。
お前の為にチームがあるんじゃねぇ チームの為にお前がいるんだ
ここでは誰も僕にパスをくれません。先生やみんなに迷惑をかけておきながら、今おめおめと帰るわけにはいきません。
いつか僕のプレイでみんなに借りを返せるようになるまで、頑張るつもりです。
バスケットの国アメリカの──その空気を吸うだけで僕は高く跳べると思っていたのかなぁ…」

そう、谷沢はアメリカに渡ったことで白髪鬼・安西が正しいことを教え、それに対して谷沢なりの形でその恩に報いようとしたことが伺える。
しかし、谷沢個人がそれで良かったとしても、指導者であった安西先生からは自分の教えが未来ある若者を潰したと思っても仕方ないであろう。

安西先生からしてみれば、それまで指導者として大きな失敗を経験したことのない自分が初めてその指導法で教え子を追い詰め死に至らしめたという監督不行き届きを犯した。
そして谷沢にとっては、自分自身の若さ故の過ちを自覚してもそれをすぐさま改善につなげられるだけの素直さがなくどうしていいかわからず薬物に走るしかない。

このように、双方の思惑がこじれにこじれた結果、どっちが正しいとか間違いとかではない悲惨な結末が起こってしまったわけである。
これ以降、安西先生は白髪鬼の姿が消え、全国大会の山王戦になるまで白髪仏の穏やかな安西先生が誕生するわけだが、そんな安西先生の元に現れたのが流川と桜木という2人の逸材だ。
2人の逸材が湘北に入ったことで安西先生も全盛期の情熱や勝負師としての側面を取り戻し、湘北高校を全国大会まで行けるチームへ押し上げるのだが、それは後編にて語ろう。
こう見ると、「SLAM DUNK」は三井寿がそうであったように、一度落ちたエリートが全盛期の輝きを再生させていく物語でもあったのかもしれない。

過去の記事も併せてどうぞ。

湘北高校のコラム

ライバル校のコラム


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