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越前リョーマと徳川カズヤが目指すべきは平等院鳳凰と同じ阿修羅の神道なのか!?

皆さま、挨拶が遅れましたが開けましておめでとうございます、本年もよろしくお願いいたします。
昨日は幸村精市の救済と再生についての考察を書きましたが、今回は越前リョーマと徳川カズヤについて、スペイン決勝戦でS1とS2を担う2人ですね。
改めて新テニを最初から読み返していくと、実は平等院鳳凰こと10円先輩が出てきた辺りから許斐先生の中で徳川カズヤと越前リョーマの2人を主役にしようという構想はあったのかと思います。
越前リョーマに関しては23.5巻で「最初はアメリカチームに移籍して敵として出すつもりだった」と言っていて、これはいわゆる「不二が立海転校」の新テニにおけるリベンジでしょう。

しかし、そのリベンジ要素は成功せず越前は決勝トーナメントで日本に戻ってくることになったのですが、そこから越前と徳川のW主人公体制ができていたように思えるのです。
「新テニスの王子様」には青学以外の中学生や高校生の中で主役級のエピソードを貰っているキャラが沢山いますが、根幹にあるのは越前リョーマと徳川カズヤではないでしょうか。
日本チームの中で特にお頭が高く評価している中学生が越前リョーマや不二周助、そして高校生が徳川辺りですから、そういうメンツがスペイン戦のメンバーに残ったのは決して偶然ではありません。
阿修羅の神道についてもお頭VSボルク戦である程度の回答がなされていましたので、その辺りも含めて今回は考察していきますので、よろしくお願いいたします。

阿修羅の神道とその最終形態である阿頼耶識について


現在のところ、この阿修羅の神道に踏み込めているのは徳川カズヤ・デューク渡邊・平等院鳳凰の3名ですが、私はイレギュラーとして後2人それに近い人物がいると考えます。
それこそが越前リョーマと亜久津仁、旧作の山吹戦で対戦し全国決勝前のライバルズとしても戦った2人ですが、どちらも平等院先輩やプロの人たちからその才能を高く評価された2人です。
阿修羅の神道についてはお頭がオジイに弟子入りしたときに説明されていましたが、まずその道に行くにはオジイをはじめとする仏教関係者に弟子入りして座禅を組み瞑想を繰り返す必要があります。
その上で阿修羅の神道の門を開けることに成功した上で無限の暗闇に行く必要がある訳ですが、この時にオジイが言ったキーワードが「滅びよ、そして蘇れ」でした。

これは平等院が最初に徳川にかけた言葉であり、徳川と越前を光る打球で闇討ちした理由もそこにあり、お頭は既にこの2人の才能に目をつけていたのではないでしょうか。
そしてアマデウスとの戦いでは無没識を覚醒させた亜久津もまたその道に足を踏み入れていますが、それではこの阿修羅の神道がどのようなものかについて考察していきます。
この阿修羅の神道とは要するに無我の境地とその奥にある3つの扉「百錬自得の極み」「才気煥発の極み」「天衣無縫の極み」の修羅版のようなものといえます。
どのように違うのかというと、仏教における六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天(神))の中にある「修羅」と「天」の違いのようなものではないでしょうか。

無我の境地とその奥にある3つの扉が仏教の禅宗がベースにあることは話しましたが、その奥にある天衣無縫の極みは人間としての俗世的な価値観を全て捨て去った極楽浄土です。
越前リョーマが全国決勝S1で辿り着いてみせた天衣無縫の極みとは正にそういうものであり、他の天衣無縫ユーザーの覚醒と比べても特別性があったのはそこが理由でしょう。
あの時越前は幸村が見せた五感剥奪という地獄から一気に天上界へと駆け上がったわけであり、これもある意味では「滅んで蘇る=破壊と再生」のプロセスを辿っているといえます。
天衣無縫の極みが暗闇から光へと向かうのだとすれば、阿修羅の神道およびその最終形態である阿頼耶識は闇という闇を突き進んだ先にある究極の暗黒の悟りです。

つまり無我の境地の暗黒進化版が悪魔化や五感剥奪だとするならば、天衣無縫の極みの暗黒進化版が阿頼耶識、零感のテニス、青目モードであるといえます。
ドイツ戦で描かれた「アンチ天衣無縫の極み」として打ち出されたものの中で、平等院鳳凰が到達した修羅界の境地がこの阿頼耶識なのです。
天衣無縫の極みとの大きな違いでいうと、極楽浄土である天衣無縫には一切の怪我がなく能力を全て倍加させられますが、阿頼耶識には体の痛みが伴います。
それはそうです、傷つけ合い殺し合うことで己を保つ修羅の世界において強さを得ようとすると無傷ではいられず、どうしてもそこに代償は伴うものです。

実は越前リョーマも阿修羅の神道に片足突っ込んでいる可能性がある


こう見て行くと、越前リョーマも実は無意識のうちに阿修羅の神道に片足突っ込んでいる可能性があることがこれまでの描写から見て取れます。
というのも越前リョーマの実家はお寺であり父が住職、しかも苦手なものに「早起き」「寺の雑巾掛け」がありますから、普段の暮らしの中で仏教に触れている可能性が高いです。
つまり無我の境地やその奥にある3つの扉を切り開こうとすればできる環境が既に実家にあったわけであり、その意味では桃城の「天衣無縫になれる資質を持っていた」も納得はできます。
越前は日常的に父親から「目に見える側に囚われず、心の本質を見抜け」という教えを授かっているため、条件がきちんと整えば天衣無縫にたどり着くのも難しくはなかったのでしょう。

しかし越前リョーマにはもう1つサムライのスタンドがあり、これがお頭が越前リョーマを評価し徳川と2人で日本を託した理由なのではないかと思っています。
越前のテニスは仏教的な禅宗の悟りであると同時に阿修羅のような攻撃的なテニスでもあって、特にドライブAやCOOLドライブのような相手を破壊するテニスもしているのです。
そして新テニではお頭から教わった光る打球を「破壊」としてではなく「希望」として昇華し、更に反撃を食らってもSSS(スーパースイートスポット)のその先を見極めました
つまり越前は旧作の時点で既に滅んでは蘇るというのを繰り返して強くなってきたわけであり、その意味では徳川共々お頭の価値観に近い2人だといえます。

越前リョーマのサムライのスタンドが見えたのは手塚国光と真田弦一郎、そして新テニでは平等院鳳凰とプランスのみであり、これは魂のステージが高いもののみが見えるものでしょう。
正直な話越前リョーマは天衣無縫の極みももちろんかっこいいのですが、どちらかと言えば価値観としては平等院鳳凰が提唱する阿修羅の神道の方が似合っている気もします。
テニスそのものである越前リョーマは確かに天衣無縫の極みに辿り着く資質は十分にありますが、でも同時にお頭のプレイスタイルや美学もまた認めるほどの人間性もあるのです。
だから最初は「テニス舐めんなよ」と平等院に喧嘩を売って平等院と戦うつもりでアメリカに渡ったにも関わらず、平等院は本当に敵だと言えるのか迷いが生じてしまったのでしょう。

そこで越前が最終的に出した答えが「日本に戻る」ことであり、アニメ版でもお頭から越前が日本を託されているところやフランス戦の描写からも平等院の考えを理科していたのだといえます。
だとすれば、越前リョーマと徳川カズヤが最初に敵として戦い負け組に行ったのも納得の話であり、実はこれ平等院も徳川もみんな同じようにして通ってきた道なのです。
阿修羅の神道に足を踏み入れるものは阿久津のような一部の例外を除いて大体は負け組に行ってから蘇り、そこから何度も破壊と再生を繰り返して強くなっています。
そうなれば、越前も実は天衣無縫の極みという「光」と同時に阿修羅の神道という「闇」もまた経験してきたという意味では貴重な人材ではないでしょうか。

越前と徳川はスペイン戦でどのような進化を遂げるのか?


このように見て行くと、実はドイツ戦でお頭が越前と徳川に日本を託した時から、許斐先生の中で越前リョーマと徳川カズヤを決勝戦のシングルスに据える構想が決まっていたといえます。
平等院鳳凰が認めた数少ない後継者にして日本を背負える逸材が越前リョーマと徳川カズヤという運命の2人だったわけであり、こうなると決勝戦の展開やテーマがある程度見えてくるでしょう。
決勝戦で越前リョーマと徳川カズヤがなすべきことは「滅びよ、そして甦れ」を繰り返して彼らにしか辿り着けない独自の進化をすることにあるのだと考えています。
許斐先生自身が守るのではなく攻める人なので越前と徳川には是非最後まで「攻めのテニス」を見せて世界を獲っていただきたいというところです。

まず徳川ですがデューク渡邊との決定戦で義で世界を獲ると啖呵をきったので、阿頼耶識とはまた別の阿修羅の神道を極めて行くことが考えられます。
勝敗よりも義を優先するということをモットーとする徳川ですが、決勝戦ではこの勝敗と義を両立させて世界を獲ることでメダノレに打ち勝つことでしょう。
流石に何の進化もないということは考えにくいし、平等院も滅びてから蘇るプロセスを繰り返してきたので、徳川もそのルーツを辿って行くことが考えられます。
そしてまだ「阿修羅の神道」に関してもあの平等院戦だけで全てが説明できたわけではないので、その意味でも徳川カズヤの底知れぬ可能性に期待できるでしょう。

越前リョーマですが、VS不二で全ての技・能力を破られているという前提があって決勝の対戦相手として来ると予想されているのが生き別れの兄・越前リョーガです。
この展開は言うなれば旧作の一球勝負→全国決勝S1と似た流れであり、越前は実は遠山との一球勝負で自分の得意技から真似した相手の打球まで全て破られています。
そして天衣無縫の極みに到達するためにまず記憶を喪失し、更に試合中に五感剥奪という二度の「滅び」とそこから「蘇り」として天衣無縫の極みへの到達を経験しました。
不二と試合した中で天衣無縫を含めて全ての技が破られており、しかも不二にはもう1つの決め球まで見せられている以上これは新しい進化への布石ではないでしょうか。

こうなると越前の進化を描くルートとして残されているのがサムライのスタンドに基づく阿修羅の神道の開花ですが、こんな程度は多分読者の誰しもが予想できると考えられます。
リョーガの能力剥奪がどこまで機能するかにもよりますが、本当にテニスを一度失うところまで行く可能性も考えられるので、大事なのはそこからどう再生のルートを辿るかです。
流石に天衣無縫の極みを全て取り込んでテニスの神になったQ・Pと同じ路線に行くとは考えにくいので、もしかするとサムライのスタンドと天衣無縫の融合とかありえるかも知れません。
手塚もゾーンとファントムを融合させて至高のゾーンを生み出しましたし、赤也も天使と悪魔を融合させるというアウフヘーベンをやっている以上、越前もそんなありえないことを普通にしてきそうです。

他のメンバーはどうなるのか?


ただ、そうなるとどうしても気になるのは越前と徳川以外の他のメンバーなわけですが、遠山は阿修羅の神道を潜り抜けていないし日本を託されるにはまだ早いです。
跡部様に関してはぶっちゃけ手塚へのクソデカ感情その他に縛られすぎて本質を見失っているので、スペイン戦で一度徹底的に滅びて負けたほうがいいと思います、そこからどう蘇るかが大事ですから。
そして残されたメンバーの中で気になるのは不二周助ですが、どうにもこうにも彼だけポツンと浮いているような感じで収まりがつかず、どうなって行くのかわかりません。
彼は越前との戦いでようやくテニスを「面白い」と思い始めたばかりなので、どうしてもスペイン戦で日本を背負って戦うという段階ではまだない気がします。

不二も越前や徳川と同じように進化の余地は残しているのですが、彼の場合はとにかく「強者と戦う経験」と「日本を背負う覚悟」がS1・S2の2人に比べて圧倒的に足りないものです。
平等院がデュークに託した不二の心の成長とはおそらく「手塚の呪縛からの解放」だけではなく「日本を背負って世界と戦う覚悟」も含まれていたのではないでしょうか。
そして何より不二には強者との経験が足りません、リョーマと違って手塚以外の真田・跡部・幸村といった破格の強者との戦いに競り勝つという極限の修羅場を経験していません。
唯一それに近かったのが白石戦だったのですが、白石戦はぶっちゃけ不二が負けても大丈夫な先発であったため、まだそこまで本気のメンタルではなかったような気もします。

不二がとにかく思い知るべきは「才能だけでは越えられない壁がある」という経験を積み、カウンターや風の攻撃技に頼らずとも戦える精神力と胆力を身につけることでしょうか。
こればかりはそれこそ場数をこなさないと身につかないので、実績の点でどうしても手塚と越前にまだ及ばないところであり、まだまだ手塚と真に対等になれるのは先のようです。
遠山もその意味ではまだ越前リョーマや徳川カズヤのように日本を背負って世界を獲る段階にはない(ので白石に「越前君に勝てへん」と思われている)ため、もしかすると負けるかも知れません。
いずれにせよ、平等院の思いを背負いつつもそれぞれに日本を背負った越前と徳川がどのような答えを決勝で出すのか楽しみに待ちましょう。

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