見出し画像

非合法な夜の世界に住む人間に国語教育の重要性を説かれてしまうようでは世も末である!全国の国語教師たちよ、もっと悔しがれ!

最近、「軍神」と名乗るカリスマホストが何やら売り上げを叩き出すために小学生の国語ドリルをやらせる合宿をしているようだが、これを見て感心しているようでは危ないだろう。
本来であればホストという夜の世界はあくまでもアンダーグラウンド(非合法)な世界であり、まさに「闇」が蠢くような危険性があるのだから、そこにはそこでの「悪の美学」があるはずだ。
その「悪の美学」を持って動いているはずの人間が、なんと売り上げを叩き出すために小学生の国語教育を1からやり直させているようだが、これがなぜだか一周回って高く評価されているのである
コメントではやたら賞賛・驚嘆の声が溢れているが、これが逆説的に何を意味するのかというともはや学校の国語教育がまともに機能していないということだ。

それに関してサトマイがその理由・背景を説明する動画を上げているのだが、これがとてもわかりやすく日本における語学教育の問題点を明らかにしてみせている。
この動画で説明するところによると、日本の国語教育がダメな理由としては以下の3つが挙げられるという。

  • 文章を理解・把握する力は高い

  • 必要な情報を抜き取る力がイマイチ

  • 情報を総合的に判断し自分の考えを根拠を提示して説明する力が低い

これらのデータが何を意味するのかというと、日本人はインプット(入力)は得意だがアウトプット(出力)が根本的に苦手な民族であるということだ。
実際、日本の国語教育で何が行われているのかというと、ほとんどが与えられたテクストに対する読解あるいは作品鑑賞のノウハウ、あるいは言葉を機械的に詰め込ませるだけのインプット教育である。
しかし、その与えられた教材の中から自分にとって本当に必要な情報を正しく判断し抜き取る力、そしてそれを自分の中で咀嚼・吸収し自分の中で組み替えて考えを話す表現力は極めて低い
これに関しても理由は簡単で、日本では海外とは違って溜め込んだ自分の言葉を外に向かってアウトプット(出力)する機会がほとんどなく、またそのアウトプットする為の教育もまともになされていないのだ。

私がこのことを初めて理解したのは2004年に大学受験のために浪人した時だったが、そこで出会った現代文の先生がとても面白い先生で、「読書は現代文の国語力を伸ばす力にはならない」と説明していた。
実際、読書によって何が得られるのかというとその分野に関する専門知識・専門用語といった「語彙数」と「作者の思想」くらいのものであり、どこまで行こうとそれらは「インプット」でしかない。
本当に大事なのはそのインプットしたものの中から自分にとって本当に大事な情報のみを見極めて抽出する要約と、その要約を基に今度は自分なりの根拠を提示して示すことだ。
一応日本の教育ではそのために高校に入る小論文やディベートなどのアウトプットの教育も設けられているのだが、残念ながら現段階でまともに機能しているとはいえないだろう。

だが、軍神の動画を見てもらえればお分かりだが、今となってはそのインプット(入力)の根幹である読解力すらも危ぶまれており、要するに「小学校教育からやり直せ」と言っているわけである
そもそも軍神のやっている国語教育なんて私にとっては本来小学校の段階でクリアしておくべきことをサボってきたからそのつけが回っているようにしか見えないし、それを感謝するのは本来おかしい
これって要するに「お前らは所詮小学生レベルもまともにできないバカなんだ」と言われているも同然であり、本来であれば感謝などすべきではなくもっと悔しがらねばならないだろう。
しかし、合宿をやっているメンツを見るとどうにも悔しいという感情はなく、今一つ「ホストとして絶対のし上がってやる!」という覇気すら感じられない

要するに学校教育が生み出した落ちこぼれ・落ちこぼしを再度夜の世界の人間がスパルタ方式で叩き直しているということなのだが、これは裏を返せば今の国語教育では必要最低限の読解力すらまともに鍛えられてないことを意味する。
実際にそれが端的に見て取れるのがこちらだ。

これはもうだいぶ前の蓮實重彦が三島由紀夫賞を受賞「してしまった」時の記者会見だが、記者たちの質問のレベルの低さに辟易としている蓮實の愕然とした表情が読み取れないのだろうか?
おそらくここに出ている記者たちは蓮實が「作品について誰も質問しないのか?」と聞き返された時に全員が押し黙ってしまい、その後も的外れで頓珍漢な質問ばかりを繰り返していた。
これも結局のところは記者たちの総合的な国語力の低さが招いた醜態であり、逆に言えば今のマスゴミがいかに質の低い粗悪な連中揃いであるかが端的に見て取れるだろう。
蓮實ほどの人間に「馬鹿な質問はやめていただけますか?」と言わせた時点でインタビュアー失格である。

まあそれを自覚するような出来事が最近私の方でもあったのだが、元フォロワーで全く私自身と交流がなかった筈の刑太なる人物がわけのわからないコメントを寄せてきた。

ご覧いただければわかるが、この人はXにて私の書いた記事を「雑語り」扱いし「原作漫画版のゲッターロボに出てくる登場人物は決して戦闘狂ではない!」ということを宣ってきたのである。
私に言わせれば「そのような白痴としか思えない馬鹿なコメントはやめていただけますか?」であり、そもそも私は漫画版ゲッターロボの記事で「ゲッターチームの戦う動機」そのものは問題にしていない

まとめに入るが、石川漫画はあらゆる漫画の中でも徹底した「外面」を見つめることのみを重視した作りになっており、それがこれでもかと顕在化したのがこの漫画版『真ゲッターロボ』である。
だからこそ、私は決してこの動画の最後の方で語られている「集合精神」だの「仏教」だの「SF」だの、宇宙の真理だのといった学術的な抽象概念に引き寄せて特権化=骨董品扱いする論調に些かも賛同できない
確かに仏教・神道をはじめとする宗教的価値観が石川漫画のベースにはあるのだろうが、私にとって石川漫画がもたらす衝撃から来る驚きや刺激はそのような「内面」からは出てこないのである。
漫画はあくまでもコマ割りとデフォルメによる「外面=表層に刻まれた豊かな細部の連鎖」であり、漫画それ自体を全身で受け止めることこそが最大の礼儀というものであろう。

ここで書いたように、私はこの記事だけではなく、ゲッターロボという作品を徹底した「動く絵」としてどうなのか?ということを具体例を挙げながら詳らかに論じただけである。
戦いの動機だとかそういう文芸面に関してはほとんど語っていない、なぜならばそんなものはどんなにやったところで抽象的な解釈論争しか引き起こさないからだ。
ところが、氏にとってはどうやらその文面は汲み取っていただけなかったらしいのだが、コメントで交流をある程度もち、また彼の書いたnoteの文章なども拝見したところ、どうも彼にはそもそも評論のセンスがない
文体といい内容といい、明らかに私の表面だけをパクった粗雑なエピゴーネンでしかないし、しかもコメントで散々私に言われたことが影響したのか、後日自身の記事に「創聖のアクエリオン」の批評記事を上げていた。

客観的にも主観的にも、「アクエリオン」ほどの駄作もそうそうないのだが、あんなゴミクズをまるでゲッターレベルの神作品などと持ち上げている時点で「お前さんは何を見てきたのか?」と言いたくもなる
余計な論争に無駄なエネルギーを割きたくないのだが、そもそも私はあの記事のコメントで「アクエリオンを擁護しろ」などとは一言も言ってないのだがなあ。

まさにこれである、刑太氏は必死にコメントの中でいかに私の記事が間違っているかという反駁を試み羞恥心を抱かせようとしたのだろう、かつての八景島やまぐみたいに。
しかし、それが上手くいかないと見るや諦め、その上で私がブロックすると今度はサブ垢まで作ってタメ口でなりふり構わずプロレスに出ようとし、そのプロレスでも私に無様に負けた。

なんだか「テニスの王子様」の立海ビッグ3に挑んで返り討ちに遭った切原赤也を彷彿させるが、あの時私が言ったのは「私に対する異議申し立てがあるなら、自ら論拠を挙げて反駁し、自分なりにゲッターを擁護して見せろ」と言ったのだ。
本当にその作品に対する愛があれば、命懸けで擁護して見せろということを私は言ったのだが、彼はそれをどう曲解したのか、それとも私の言い分を素直に聞くのが癪だったのか、ゲッターの擁護記事を書かなかった
その代わりにゲッターとほぼ同コンセプトで作られている『創聖のアクエリオン』を擁護するという暴挙に出たのであり、私の半分親切心半分煽りで言ったアドバイスを彼は素直に聞けなかったらしい。
もしくはアドバイスを素直に聞いてこれだったとしたら根本の読解力に問題があるとしか思えず、だから私はそれも含めて「小学1年生からやり直しなさい」と言ったのである、それこそ軍神のように。

まあこれは卑近過ぎた例ではあるが、決して他人事ではなく最近特に若い世代の方々がそれなりに作品を見ている割には、読解力の低さから作品に対してしっかりした感想・批評が出てこないのが残念である
何せ「Gガンダム」を「逆シャアの焼き直し」という(何回引き合いに出すんだこのネタ?)センスのカケラもない言葉で評している人がいる時点で、今の若者の国語力の低下と学校の国語教育の機能不全は由々しき問題だ。

全国の国語教師たちよ、もっと悔しがれ!
非合法な夜の世界の人間に国語教育の大切さを説かれて悔しくないのか!
聖職者であるあんたらがもっとしっかりしてれば、夜の世界の人間がこういう無駄なことにコストを割かなくて済むんだ!

まあ何せ英語教師ですらない私の元に英語教師が英文法や英単語に関する質問をするくらいだから、よっぽど今の教師たちはそもそもhow to teach(教え方)以前にwhat to teach(何を教えるのか)がわかってないのだろう。
そんなダメな教師たちに教えられた子どもたちは自分たちがいい加減なことしか教えられてこなかったことに対する自覚すらないまま大人になってしまうわけだから世も末である。
我が国の国語教育の衰退の深刻さをもっと真剣に考えなければいけないのじゃないか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?