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スーツアクターの「矜持」って何?自称特撮女オタク代表記者・鈴木美潮への違和感

どうやら調べてみたら私は巷で「スーパー戦隊専門家」なんて呼称されているらしいが、そんな烏滸がましいことを生まれてこの方思ったことは一度もないし、何なら「オタク」と思ったことも一度もない。
これというのには理由があって、ネット上でこんな活動を続けていると「オタクの誇り」というものを私の前にこれ見よがしに誇示してきたり、或いは自らの思想を人に強要したりする者たちがいるからだ。
私自身も昨年「ドラゴンボール」と「ジョジョの奇妙な冒険」である者と論争(?)に発展した時、どういう流れだったかは知らないが「オタクの誇り故のこだわりです」と言われたことがある。
全く意味不明だったのでスルーしたのだが、その「オタクの誇り」とやらは本当にそんなに大事なものであろうか?まさかの「海賊王にオレはなる!」とかじゃあるまいし。

そんな中でいわゆる「特撮女オタク」の代表とでもいうべき新聞記者・鈴木美潮が出したスーツアクターに関するこの書籍を読んでみたのだが、はっきり言ってスーツアクターの苦労など子供達にはどうでもいいことだ
やれ古谷敏がどうだ藤岡弘、がどうだ、今はCGがあるから再現できることも昔はCGがなかったから一から手作りでなければいけなかっただの、別にそんなのは撮影の裏方のみが知っていればいいことだろう。
そもそも「矜持」なんて言葉を使っている時点でこの記者は言葉選びのセンスがない、分かりやすく「誇り」「プライド」といえばいいものをわざわざ難しい言葉選びをしている時点で記者失格である。
わずかな視界しか確保できない面をつけ、危険なアクションをこなし、感情まで表現する」だのといった裏話なんて知ったところで、それが直接作品の評価の良し悪しにつながると本気で思っているのか?

近年は何でもそうだが、やたらと「作品製作の裏側」をやたらと取り上げて「いかに現場の苦労が凄かったか?」を語るようなものが多いが、私はそういう「美談」「苦労話」が大嫌いである。
ましてやスーツアクターの裏話なんて調べれば昔の資料に幾らでもそんな話は書いてあるし、何なら昔の方が生の一次情報で質の高いものを提供できていたのではないだろうか。
他のインタビュー等の受け答えを見ていても思うのだが、そもそもこの鈴木美潮という女性記者はどうやら自分が「特撮女オタクの代表」みたいにして矜持(笑)とやらを売りにしているようだ。
アホらしい、そんなことしなくても「自分が好きな特撮作品を今でも大事に思っています」と謙虚に奥ゆかしく振る舞えばいいものを、品がない女とはまさにこういう人のことをいう。

近年では芸能人でもYouTuberでもやたらに「オタク」であることを隠さず前面に押し出している人が確実に増えているが、そんなのわざわざ「誇り」と称して人生の座右の銘みたいに思うことか?
私も確かに以前はスーパー戦隊の中で「チェンジマン」「ジェットマン」「ギンガマン」の3作は我がバイブルみたいに書いたが、あれは半分ネタみたいなもので特別に前面に押し出すものではない。
別にその作品が好きであることは恥ずべきことではないが誇るべきものでもなく単なる「趣味」の問題でしかないし、だから私は今までもこれからも「オタク」を名乗ることはないだろう。
「スーパー戦隊専門家」なんてご大層なキャッチフレーズにしたって周囲が勝手につけたものであって、私自身はあくまで私がしたいことでを趣味として淡々と続けてきただけのことである。

そもそもオタキング岡田然り山本弘然り唐沢俊一然り鈴木美潮然り、どうも「オタク代表」として世間から崇め奉られている人たちは何故そんなにも「オタクの誇り」とやらを誇示したがるのだろうか?
答えは簡単、今のSNSで「いいね」とフォロワー数を獲得しようとやたらリア充アピールしたがる若者たちと変わらない「承認欲求」の現れなのである。
それが世間的な知名度や社会的地位を持っているか否か、趣味の対象がサブカルチャーか否かということ以外に大きな違いはなく、要するに「オタクである私凄いでしょ?だから見てよ」でしかない。

そんな昔のオタクの承認欲求と今の若者のSNS承認欲求をオタキングは「自己承認欲求」と「他人承認欲求」の違いとして説明し、承認欲求が内側に向かうか外側に向かうかで説明している。
そしてそれが「陰キャ」と「陽キャ」の区分でもあるらしいのだが、私に言わせればどっちも結局は「承認欲求」でしかなく、それに縋り付いて固執することでしか自我を保てない点で大差はない。
本当に自分に対する絶対の自信と信念がある人はそのような承認欲求に走ることはなく、誇りはあっても決して表には出さず胸の内側に秘めておくべきものである。
だから、私はオタキング岡田をはじめとする「オタク」「マニア」「好事家」であることを自称する人たちに対して尊敬したことは一度もない。

もちろん、その人たちの生き様や誇りそのものは否定しない、大事に思っているのであればそれは持ち続けた方がいい、ただしあくまでも胸の中での思いに止める形で。
その誇りとやらをまるで水戸黄門の印籠や人生の哲学みたくやたらと外に誇示するような品のないことだけは、私は決してしないししたくもない。
今時「特撮女オタク」なんて希少価値でも何でもない、素直に特撮が好きなんだったら「面白かった」と言えばいいだけのことである。


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