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手塚国光が言う「本来の不二周助」とは何なのか?才能があり過ぎる故に対人能力に恵まれなかった男の本質

今回は手塚(と不二)の考察ですが、本当にこの2人の関係性は考えれば考えるほど複雑で、似たところもあれば違う部分も当然にある2人なわけです。
不二周助が新テニのドイツ戦で生まれ変わった時、手塚国光は「ずっと待っていたぞ、本来のお前を」と言いますが、このセリフってめちゃくちゃ意味深だと当時から散々議論されてきました。
でも手塚がいう「本来の不二周助」ってよくよく考えれば手塚自身の理想の押しつけにすぎなくて、しかも本人は一切の無自覚でそれをやっているのが本当に怖いなと。
二次創作も含めて手塚と不二の関係は色々語られてきましたが、改めて手塚国光という人物は「テニスの王子様」はもちろん歴代の漫画・アニメの中でも「人でなし」ではないでしょうか。

いわゆるサイコパスとか故意犯とかそういうわかりやすい悪人や犯罪者のようなタイプじゃなく、天才故に人としてあるべき情緒や人間味が希薄な気がしてなりません。
私は毎回思うのですが青学で一番人間味があって優しいのは大石秀一郎であり、彼がいなければ青学が空中分解していたというのがもう手にとるようにわかります。
特に関東大会前の校内ランキング戦から手塚の本性が露呈していきますが、本当に大和部長といい竜崎先生といい何で手塚を部長に任命しちゃったんですか?と毎回思うんですよね。
だって桃城がレギュラー落ちして3日も無断で部活を休んだのに何のフォローもなし、どころか帰ってきた桃城にラケット持たせずグラウンド百周ってどうなんでしょう?

しかもその校内ランキング戦で乾がデータテニスで手塚に肉迫して3ゲーム取られたからといって、手塚ゾーンと零式ドロップで乾に埋めがたい才能の差を暴力的に見せつける始末。
何が言いたいかって手塚国光という人間には「話し合い」を持つ気すら一切なく、ハナからテニスで相手を潰すこと前提で忠告や口上ですら「結構だ」で流してしまう天然ぶりです。
特に跡部戦の時といい真田戦の時といい、誰も求めていない自己犠牲を延々とやってしまうあたり怖いのですが、でもこれが許斐剛先生が描く手塚国光という男なんだと思います。
アニメやミュージカルなど他媒体で見る手塚はね、幾分カリスマ性や部長らしさを誇張して頼り甲斐がある男に見せていますが、原作の手塚は一貫して「人でなし」です。

これは1年生の時に才能の暴力で先輩の嫉妬と反感を買って傷つけられたトラウマがあるからというのもありますが、桃城を青学に繋ぎ止めたのは越前と大石なんですよ。
桃城と最も距離の近い越前がそっけないふりして助けに行き、大石が胃を痛めながら何とか部の空気が険悪にならないように努める、並大抵のことではありません。
手塚ももちろん相手を恨み続ける人ではないから、相手がちゃんと反省して戻ってきたら許すでしょうが、自分からそれに働きかけることはないのです。
それは相手が越前であろうが不二であろうが、基本的に誰に対しても手塚は一貫してそうで、だから手塚って対戦相手に対してもチーム内でも無用な軋轢が多いんですよね。

生徒会長もやってて跡部様や真田と並ぶカリスマ性で部長やってた手塚ですが、基本的に彼はスタンドプレーで実は団体行動が嫌いでワガママで協調生がありません
それこそ大石や桃城みたいに「みんなでやろうぜ!」なんてことはほとんどなく、レクリエーションだって決勝前の焼肉にしか参加していないじゃないですか。
部内では手塚の次くらいに協調生がない不二でさえ場の空気を読んでレクリエーションには参加しているというのに、手塚は滅多に参加しません。
だから青学って手塚の背中が有するカリスマ性にみんなが引っ張られているだけなんですよね、優勝できたのもやはり柱を継いだ越前のおかげですし。

そんな手塚が不二相手には珍しく「本来のお前」とか言い出すわけで、これって多分不二に問いかけた「本当のお前はどこにある?」の伏線回収のつもりなのでしょう。
でもその本来の不二周助が守るだけのテニスをやめて風の攻撃技を繰り出して「テニスって楽しいな」なんてアグレッシブになってる姿だなんて恐ろしすぎます。
だって不二は元々テニスを辞めたいと思っていた後ろ向きの人間だったわけで、でもそんな人間にテニスを辞めさせてすらくれなかった人なんですよね。
テニスの才能がない人のことなんて微塵も興味がないくせに越前や不二のようなテニスの天才にだけは自分の理想を押し付けてしまうのが自分勝手じゃなくて何なのか?

でもそれって本人が単に「テニスが好き」だからやった結果であって、なおかつ手塚自身もプロになるためドイツに行くというのを素直に実行した結果なんですよね。
別に相手をいじめたいわけじゃないけど自分の進むべき道はテニスしかないとわかっていて、でもそこまでついてこられない人のことは平気で「邪魔」くらいの勢いで見捨てています。
で、その不二周助はかつて手塚と同じように才能の暴力で弟の裕太との角質を生んでしまったのもあって、自分の才能を憎み捨てたがっていたことからテニスへの動機がありませんでした。
だから手塚を道標として戦っていたわけですが、それができなくなった新テニで先生は圧倒的なエゴと表裏一体の圧倒的な優しさを不二に押し付けたのだなあと思います。

ドイツ戦の幸村VS手塚という、日本代表の最強中学生の2人の戦いですが、あれは正に「テニスの光」VS「テニスの闇」の戦いでした。
手塚も幸村も同じくらい暴力性があるわけですが、そんな2人が全力を出してぶつかるからこそあの圧倒的な美の暴力を誇る名試合になったのであろうなと。
まあ立海の場合はわからないでもないんですけどね、幸村が難病にかかってテニスができなくなるという過去のトラウマがあり、なかなか払拭されませんでしたから。
その点手塚はトラウマが払拭されて人間らしくなるどころかますますテニス狂というか戦闘狂みたいになっているのが恐ろしいところです。

こうして見ていくと、手塚・不二・越前・幸村・真田・赤也・跡部様の関係ってこうなっているんですよね。

  • 自分が他人を振り回していることに無自覚=手塚

  • 振り回していると知ってて意図的にやる=幸村

  • なるべく振り回したくないから他人と距離を取る=不二

  • 振り回すが、相手が嫌がることはなるべくしない=跡部・真田(普通は大体ここ)

  • 振り回している自覚がありつつ要所要所で気にかける=越前

こんな感じで振り分けると、許斐先生が「越前リョーマには良くあるマンガのパターンにハマって欲しくない」と言った理由もわかります。
振り回して好き勝手に行動しているようで、意外とちゃんと相手の本質を見て相手に必要な言葉もかけてあげているんですよねリョーマって。
決して理想的な人間ではないにしても、才能の暴力で人を傷つけまくっている手塚と比べたらまだマシです。
んで手塚の無茶振りをちゃんと昇華して己の強さに変えてしまう力が越前にはあるわけで、だからこそ本作の主人公たり得るのでしょう。

話を手塚と不二に戻しますが、不二はそんな手塚の天然ぶりに振り回されつつも、そんな手塚の姿がまるで英雄のように見えてしまうのかなと思います。
ここで言う英雄というのは世間一般で「かっこいい」「正しい」とされる正義の味方の姿であり、不二にとって手塚はそういう位置にいる人に見えるのでしょう。
もちろん手塚はそんなことを微塵も思っていなくて、本当にただ自分の好きなテニスを素直にやり続けた結果でしかないエゴイストなんですよ。
だけど、それを貫き通せる覚悟が不二にはないものであり、だからこそ手塚が常に不二の一歩先を行く形になっているのではないでしょうか。

でもそう考えると不二(というか青学)には越前リョーマというもう1人の天衣無縫ユーザーがいて良かったと思います。
彼のおかげで不二はもう一度テニスに出会い、才能を真正面から受け入れてようやく前向きになれたのですから。
手塚は本当に越前や大石ら青学のメンバーにちゃんと感謝した方がいい。

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