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あの日々は帰らない

コロナになってからは普通になりましたが、

わたし自身は結婚してからあまり実家に帰ったことはありませんでした。

遠かったからではありません。

お金がなかったからでもありません。

元夫であった人の実家が非常に遠かった為、

年末年始、お盆は当たり前のように元夫であった人の実家に行かなければなりませんでした。

あなたの家は近いのだからいつでも帰れるけど、
家は遠いのだから行事毎に来て当たり前だと言われたこともありました。

とにかくもう、年末年始やお盆にはわたし達が行くことが決定されていて、

子どもが車酔いすることや、飼い猫のことなどを言っても理解されることは1度もありませんでした。

特に子ども車酔いは酷く、新幹線で行ったことも
ありましたが、
乳飲み子だったため、非常に荷物が多く、宅配などを駆使しても乗り換えが多かったので1度で断念しました。

子ども用とはいえ、酔い止め薬を連続して飲むのは、見ているわたしも辛くとにかくそうした思い出しかありません。

たまにわたしの実家へ行けましたが、それは日帰りであり、何日も泊まれるものではありませんでした。

それでもわたしの両親は歓迎してくれて、

バーベキュー用に庭を改造してくれたり、子どもが触れても大丈夫な王砂利を敷いてくれたりなど、
本当に有り難いことばかりでした。

母は料理上手ではありませんでしたが、お迎え上手と言うか、子どもが喜ぶものを知っていて、

近所の子ども達も呼んで、スイカ割りや花火、そうめん流しなど、本当に子どもも楽しみにしていました。

今思うと、あの頃の母親の年齢と、わたしの年齢が同じだったのです。
今のわたしがそれを出来るか?と問われると、
かなり難しいです。

子どもが大きくなり、わたしが離婚をし、

わたしが実家へ帰っても、嫌な顔ひとつせずに、

痩せたみたいだから、食べろ、食べろと、

好物の焼き芋や煮物などをたくさん出してくれて、

わたしも久しぶりの実家の布団に安心して寝たものです。

ですが、昨今の両親はめっきり体力が落ち、

できないことが増えてきました。

食べ物などは生協などからも取り寄せできますが、

お布団の上げ下ろし、大好きだったお庭の世話すらも困難になってきたようです。

わたし自身がワクチンを打っていないので、

高齢の両親がいる実家に行くのは憚れるので、

もしかしたらこのまま生きている両親には会えないのではないかと思ったりもします。

当たり前だったような、母親の手料理も、

太陽で干されたフカフカのお布団も、

相撲を見ながらあれやこれや言う父と母の話し声すらも、それすらも見ることができずに終わりそうです。

まだ若かった父が子どもの手を引いてハワイに行った写真、

バス停まで遠かったので、いつも見れなかった朝の連続小説。

クラスの合唱コンクールの為に何度も練習したピアノ。

姉弟3人で遊んだ実家の廊下。

父が気まぐれで買ってきた大きな卓球台。

本当に走馬灯のように思い出されます。

わたしに作ってくれたたくさんの着物。

もしかしたら、あの喪服を着るのはわたしの両親なのか、と考えると、本当に悲しくてなりません。

それが一生だとするなら、

わたしの一生は、

ただただ、感謝の一生だったと思います。

たくさんの愛情をくれた両親への、

感謝の一生だったと思います。