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兄のFB投稿『異論反論との対話の実践』と、それへの私のコメント

津吹純平『異論反論との対話の実践』

人は、ある事象に対して、既存の情報により知識と思念と判断を予め持っているものだ。
その既成事実と大きく異なる言論や感情に直面すると、まず、動揺と衝撃が走り、自己防衛意識が働く。
それは、やむを得ない話ではないだろうか。。。
ただ、問題はそこから先にある。
その己が抱いていた既存の認識や思念や感情と異なる見解に対して、立場の相異を以て、「分断」と「敵対」の関係に陥るか、それとも、他者が示した情報や見解に対して、当の本人にその根拠を明示することを強く求めるにとどまるのではなく、自ら、「真実の究明」という行動を取るのか。
「異論反論との対話」をテーゼにもつ私は、当然、後者でありたいと思う。あらねばならないと思っている。
その時、デカルトがそうであったように、また「構造主義」ではないが、いったん、自身の認識や思念や感情を白紙にして、ニュートラルな位相に立つことが大切だと思う。
その自由な態度により、偏見と思い込みから解放されることが可能となるであろう。

https://www.facebook.com/JunpeiTsubuki/posts/pfbid023SvBBqgnvP9HPmixxn8jUQkAHAuxAa15foQerVVT2WxhSJUfr7d5poPycsAZHt66l


夏秋レイ
こういうときに「ふ~ん」とか、「う~ん。。そうかもしれないねえ」などの判断保留にさえしないで、すぐさまこちらの意見 or 伝達 を蹴散らかし、居住まいを正す傾向にある方々こそは、またしばしば、他者をその偏見と思い込みから解放させなければ、という使命感?を持って居られる傾向の方々であるともいえます。これまでの経験上そう。
自らを、知的だと思っておられる方々。
そのため余計に「陰謀論」の壁は厚く、あらかじめ絶望的になって、伝える方も自分が知性が足りないと思われるのを回避したいという、人一倍の欲動があると、かえって口をつぐんでしまう という傾向も生じます。

問題は、‥と言うか興味深いことは、 こういう方々に一致する傾向として、すぐさま返す反応が、探究欲ではなく自己防衛意識、だという点だろう。つまり、前頭葉ではなく 爬虫類脳の側の反応――freeze・パニック・レジリエンス不足‥。

何処ぞの財団やDSのような先衛部隊ではなく、そのもっと「奥の方々」は、おそらく解剖学的・遺伝学的レベルで、どういう反応が起こるはずで、それは脳の何処が働くためであるか?というメカニズムまで(から!)知っているのであろうなあ、という印象。

話が位相ごとずれていくので、それにしたがってリポストのリポスト(TwitterX上)という形を取るが 、たとえば ↑ こういうカンが働くというのは、食文化からも来ていると思う。これを発育させ、護って来たのは、発酵商品などではないか?(腸脳相関)
これもカンであるが。。。 奥の闇はそれを知っていると思う。 戦後日本文化のうち、もっとも初めに壊されなければならなかったのは食文化であった。 コンビニエンスストアやファストフードに席巻され、衰弱していった「やまと」の発酵のフェイズこそは、じつは分別知――分断的知性――の反対がわであったように思われる‥。
ちなみに発酵とは、聖書――ユダヤ(ヘブライ)からの教えにある形――でいうと、種のある●●という記述。そのヘブライ、十二支族(失われた十支族)のもとが、やまと(日本)だったのである。

補足すると、発酵文化をなくすというのは、つながりを失う・結びつきを失う・熟成を失う・愛を失うのである

【食事と栄養のマガジン】


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