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「ニーチェの視点」で見たユニクロの服

こんにちは、ひょっとこボウイです。

かつて、GAPの売り上げを追い抜くと豪語し、気が付けばGAPはおろか、世界のH&Mさえをも抜いてしまったユニクロ(ファストリ)。
このまま、ZARAを擁するインディテックスを追い抜き、世界1位のファッション企業になるのではないかと期待している人も少なくないのではないでしょうか。

TシャツのディレクターにNIGOを起用したり、ルメールの起用、JWアンダーソンやエンジニアードガーメンツコラボ、そして最近ではジルサンダーの復活など、今や、ユニクロは「安い」ではなく、「安いのに、上質でデザインが秀逸」と無敵の布陣を形成してしまいました。
そして、たかがファストファッションとは、もう誰も言うことはできないブランドに成り上がったと思います。

YouTubeやSNSでも「プチプラコーデ」と題して、さまざまなコーディネートが発信され、低価格でもおしゃれは楽しめる!という意見が加速し、ファストファッション肯定派はどんどん増えています。

そんな現代のおしゃれ事情において、ハイブランドとユニクロの関係性をニーチェの視点で少し話してみたいと思います。

この、ユニクロ肯定派(もちろん私も好きです)の多くは肯定するものに対して否定するものを作り上げてしまいます。

例えば、ユニクロで全身済ますことのできる人は、

「なんでこんな高い服を買う必要があるの?」
「ほとんどデザイン変わらないじゃん」
「原価はユニクロと一緒」

とハイブランドを仮想敵にしてしまう傾向にあるのです。

実際、二ーチェはこういった人間の性をルサンチマンという概念で表記しています。もっと噛み砕いて言うと、ハイブランドに対する「妬み」ということです。

もし、仮にお金に不自由がなく、経済的に豊だった場合でも、ユニクロの服を優先して買うのか?と自分に問うたとき、どう考えるでしょうか。

もちろん、その答えは千差万別だと思います。
ですが、もし少しでも「ハイブランドかもしれない」と頭によぎったのであれば、モノの価値基準が、このルサンチマンにかなりの邪魔されていると認識した方が良いのです。

実際に、「お金持ちより、普通くらいの方が幸せ」のようなメッセージ性の本は世界的に売れているのは事実ですし、何かを肯定する時に、同時に何かを否定するのは人間の本質であり、自然の道理です。

これが欲しい!これが良い!と思った時、なぜそう思ったのか。
ルサンチマンが邪魔をしているののではないか?
と、日常で少しだけでも意識するだけで、自分のモノへの価値基準は洗練されていくのではないかと思います。
もし、それが何か否定的なものを解消するためのものであれば、無駄な買い物になるし、心は満たされません。

ユニクロを引き合いに出しましたが、確かに品質も良く、デザインもよく、コスパも高い。そんな三拍子揃ったモノですが、それが実際に本質的に自分が求めているものなのか?
ハイブランドのデザイナーの服がユニクロの価格で買えるが、実際はハイブランドで買いたいと思っているのか。

一つの消費行動でそういったことにフォーカスすることで、無駄な買い物はなくなり、より審美眼は磨かれるのではないでしょうか。

僕はエアリズムを買ってきます。ではまた。