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宗教改革記念日を前に

 10月31日は宗教改革記念日です。1517年のこの日、マルティン・ルターが「95か条の論題」を発表したことに由来します。ただし、これはユリウス暦での10月31日であり、現在使われているグレゴリオ暦では10月17日なんだそうです(^^;; まあ、クリスマスも厳密なキリスト誕生日ではない訳ですし、細かいことを過剰に気にする必要はないとは思いますが。
 また、ルターだけが宗教改革をした訳ではありません。ヨーロッパの他の地域でも様々な改革の動きがありました。(個人的には、改革というよりも復古・温故(知新)なんじゃないかとも思わなくはないです。ルターはカトリック的要素も随所に残していますし)
 ルターの流れを汲む教会はルーテル教会と呼ばれますが、他に改革派と呼ばれる教会もあります。これはスイス・ジュネーブで宗教改革を行ったカルヴァンの流れを汲むグループです。音楽では「ジュネーブ詩編歌」で有名です。(ルターに関連する音楽用語はコラールでしょうか) さらに、ルター・カルヴァンより早期にチェコで宗教改革を行った人物について、佐藤優さんが最近新書を出版されました。

 とは言え、やはり代表的な人物はルターになるんだろうと思います。広く浅くを標榜している人間は、4年前までは宗教改革について全くと言っていいほど関心を持っていませんでした。しかし、いくつかの要因が作用して今はある程度は気にするようになっています。今回もfb投稿の焼き直しを中心に、宗教改革に関する個人的関心史のようなものを綴っていくことにします。(見出し画像は言うまでもなくルターです)

2016年

 所属教会では以前から、10月31日を前にした日曜日の礼拝を「宗教改革記念礼拝」と銘打っていました。しかし、2014~15年度は所属教会にいなかったので、個人的にはこの年が久々の記念礼拝となりました。
 牧師が語った礼拝メッセージの中で、カルヴァンの遺した名言「世界のすべては、神の栄光の舞台だ」が紹介されました。これが私の胸に響いたのです。
 神がすべてのものを創造され、今も治めておられることはそれまでも分かっていたつもりでしたが、それを一風変わった切り口で力強く表現してくれたカルヴァンには感謝してもしきれません。これが宗教改革へ関心を向ける第一歩となった訳ですから。
 なお、この年の記念礼拝から、ルターの作った「主の祈りを歌う賛美歌」(教会福音讃美歌372=讃美歌21-63)を歌うようになりました。今年はオンライン礼拝の賛美節数制限(一曲あたり2節のみ)のため歌えませんでしたが、後奏で弾きました。
 以下、その礼拝の後に書いた投稿です。(冒頭で例の名言を紹介した後に)

 ルターは、決して自分の名声や私欲のために宗教改革を始めたのではなく、悩める一信仰者として信仰の道を追い求めていたと言います。ルターがドイツ語聖書の翻訳を果たしたことはよく知られているかと思いますが、宗教改革前の教会では賛美歌もかなり高度化していて、一般庶民には馴染みのないラテン語を知っていたり、高度な歌い方をマスターしていたりしなければ歌えない状況になっていました。救いを含めた神の恵みは、そのような一部領域に限られた狭苦しいものではなく、天よりも高く海よりも深い(※)はずなのに…
 ルターは自ら数多くの自国語賛美歌を作詞作曲しましたが、この時期ドイツをはじめとした多くのプロテスタント教会で歌われているのは「神はわが砦(一部歌集では「やぐら」)」で、宗教改革のテーマソングという異名もあるほどです。
※天が地を高く超えているように わたしの道は、あなたたちの道を
わたしの思いは あなたたちの思いを、高く超えている。(旧約聖書 イザヤ書55章9節=新共同訳)
 主は再び我らを憐れみ 我らの咎を抑え すべての罪を海の深みに投げ込まれる。(旧約聖書 ミカ書7章19節=新共同訳)

 カトリックとプロテスタントの壁は、以前よりも確実に低くなってきていると聞きます。礼拝刷新運動(リタージカルムーヴメント)しかり、宗教改革を再評価する(カトリックの側からも)動きしかり。長崎での研修でご一緒したある先生が「迫害の中にあったキリシタンの信仰から、プロテスタントの我々も学ばなければならない」と強調しておられました。
 宗教改革記念日は、殊更にカトリックとプロテスタントの違いを再認するものではなく、謙虚に互いを理解し合う時であるべき、と今日のメッセージで語られました。都会ではそういう機会が比較的多く持たれているでしょうし、世界祈祷日(3月第一金曜)や一致祈祷週間(1月18~25日)といった機会は全国的に集会が行われますが、互いの違いを超えて一つに集う場が各地で多く持たれるようになればいいなぁと思います。

2017年~宗教改革500周年~

 日本でも大小様々な記念イベントが行われました。新潟ではと言うと…

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 講演の前後に歌う賛美歌の奏楽をさせていただきました。持っている歌集の中からルター作品をかき集め^^;、それ以外の讃美歌もありましたが「賛美歌作家としてのルター」を参加者の方々に知っていただく機会としました(資料も配布)。「教えることによってこそ学ぶことができる」という教育名言そのままに、自分にとっても有益な経験となりました。

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 左下の講演では在学中にお世話になった先生の語りを久々に聞いて懐かしみ、先生の研究フィールドであるドイツ各地の宗教改革ゆかりの地を写真で数多く見ることができる、貴重な機会でした。
 講演会・コンサートでは、県内最大のチャペルではあるものの在学していないとほとんど入る機会のない会場に久々に足を踏み入れました。この講演では、どちらかというとルターの人となりにスポットが当てられていた気がします。最後の方で、ルターのこんな言葉が紹介されていました。
人は美しいから愛されるのではなく、愛されるから美しい」(この言葉の背景には、人間は皆罪人であるという内容がありましたが)

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 少し遡って9月のシルバーウィークには、東京・銀座で行われた関連イベントに出かけました。土曜日午後には、日本基督教団銀座教会ビル1階の東京福音館センターで行われた音楽に関するレクチャーを聴講。(2枚目の中・右は教文館での購入品です)

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 そして、1日挟んで月曜日(敬老の日)午後には、浜離宮朝日ホールで行われた記念講演会へ。その資料(画像)と共に投稿した文章を、次にお読みいただきます。(最後にクリスチャントゥデイの記事も貼っておきます)

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 講演会はこういう構成でした。博士が事前に原稿(英語)を聖書協会に送り、協会が訳して(聴衆に冊子として配布/スクリーンにも表示)。そういう訳で、英語の講演を聞きながら手元の翻訳を目で追うという1時間半あまりでした。
 質疑応答に至っては、聴衆が質問し、司会の廣石望先生(立教大)がそれをドイツ語に訳して博士に伝達し、博士が英語で答え、それを廣石先生が翻訳・要約して聴衆に伝える…という壮大な行程に(^^;;
 さて、講演の最後に博士は「一番問題視しているのは、福音派とリベラル派の大きな違い」とおっしゃいました。これは日本だけの話として述べられた訳ではないので、世界的な課題なんだろうと受け取りました。
 これについて博士は「それぞれの賜物と愛を結び合わせながら、世に対して『共通の愛の証し』を」(『』は原文になし)と呼びかけました。この言葉自体は目新しくないと思いますが、この部分を聞けただけでも来た甲斐があったと思ったものです。大きな課題でしょうが、それを乗り越えた時に生まれるものはとても大きいんだろうなぁと思います。
 そして、質疑応答の最後に博士は「ルターそのものを学ぶだけでなく、そのテキストから今を生きるための指針を見出し、議論する」ことを日本のクリスチャンにお勧めされました。

 一応残っていたイベントHPも貼っておきます。

 このような学びを経て、「500周年当日」に満を持して…と思ったんですが、fbに投稿できたのはその翌日になってしまいました(^^;;

 昨日(10/31)のバウンダリー(境界線)の学びの中でも、ルターの生きざまを思い出させるような内容がありました。当初予定のペースより遅れているため、元々は記念日にこの内容をやる予定ではなかったはずです。
・レジュメで紹介された聖書の言葉
 明るみに引き出されるものは、みな、光によって明らかにされます。明らかにされたものはみな、光だからです。それで、こう言われています。「眠っている人よ。目をさませ。死者の中から起き上がれ。そうすれば、キリストが、あなたを照らされる。」(新約聖書 エペソ人への手紙5章13~14節=新改訳)
・別の項目におけるレジュメの文言
 神は、私達が人生の扉を積極的・活動的に求め、扉を叩いてほしいと願っておられる。神は、受け身な人を用いない。(タラントのたとえにおける)「悪い怠け者のしもべ」は受け身な人だった。自ら努力しようとしなかった。神が懲らしめる罪は、努力しない怠け心。

 あの「提題」が教会の扉に貼り付けられたというのも、今や史実ではないそうです。その実相もドイツの有力な聖職者に対する「意見書」程度のもので、ルターは「学年末レポートくらいの感覚で」送ったというのです。(そういう文献からの引用が講演で紹介されました)
 言うまでもなく、ルターは自分の名声のために立ち上がったのではなく、ましてや新たな派閥を作ろうなどとは思っていなかった訳です。あくまでも「どうやったら罪人は救われ、神の恵みに与ることができるのか」という問いに真正面から向き合い、その結果与えられた気づきを素直に提起したら、いつの間にかラテン語からドイツ語に訳され、流行りの印刷術で一気に広まっ「てしまっ」たと。
 改めて、神への素直な応答の大切さを教えられます。応答した時に、神様は人知を超えたスケールでさらに応えてくださる…
 この1年間に聞いた宗教改革者たちの名言が印象に残っています。
・今年(2017年)のペンテコステ礼拝説教から
 「聖霊はみことばによって、みことばを通して、みことばとともに働かれる」(カルヴァン)
・日曜日(10/29)の記念礼拝説教
 「福音は、説教、洗礼と聖餐、そして兄弟姉妹の会話と慰めによって伝えられる」(ルター)
※残り2つは、すでに太字で紹介
 彼らの言葉にさらに学ばないとなぁと思いつつ、まずはすでにこれらのきっかけが与えられていることに感謝しなければいけません。幸いにして6月から月1ペースで何らかの関連の学びの機会が与えられました。一応ルターのコラールも、手持ちの歌集に載っている限り弾きつくしました(笑)
 この500周年の年に「整えられた状態で」生かされていたこと(←日本プロテスタント宣教150年(※)の2009年は高3。そういう年だということは知っていましたが、それ以上は深く考えてませんでした^^;;)は本当に感謝だったなぁとつくづく思います。
※この数え方は本土基準であり、それ以前に宣教されていた沖縄のことを忘れてはいけません
 宗教改革によって再発見された様々な原理に生き、改革によって分かたれてしまった諸教派の和解に向けた動きにも注目・参与しつつ、500周年に生かされた者としての歩みを着実に踏み進めていきたいと思います。

 ちなみに、9月に教文館で買ったものにはこんなものも。ドイツで作られたんでしょうか。

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 そういえば、「500周年当日」には朝日も社説で取り上げていて驚いたものです。

2019年

 2018年には特に何もなかったようで^^;、2年後にこのように投稿していました。

 500周年の一昨年を中心として宗教改革に対する関心もかなりありましたが、2年も経つとだいぶ落ち着いたなぁという自覚が非常にあります(^^;;
ただ、個人レベルではどうにもならないところを補ってくれるのも「暦」の一つの役割ではないかと思うんです。宗教改革記念日は教会暦ではありませんが。
 熱を上げる前と後では、後の方が確実に意識は高まっていると思います。それも、所属教会での記念礼拝が今年なければどうなっていたか分かりませんけれども。
(注:その後、祈り会の中で宗教改革に関する学びが2回行われました。その時に使われたのはこちらの本でした。)

 当日の投稿はあっさりしたものでしたが、その後日本ルーテル教団新発田ルーテルキリスト教会との接点が与えられました。勝手に平日の集会にお邪魔しただけのことですが(^^;;
 新発田駅の地下連絡通路を出てから徒歩3分もかからない立地に恵まれています。

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「宗教改革のテーマソング」の裏話

 少々誇大な小題だったかもしれませんが、冒頭で言及した「神はわが砦」についての詳しめな話を紹介します。
 まずは『讃美歌21略解』(377)の内容に基づくものから。

 ルターは約50曲の賛美歌を残しましたが、昨夏出版された『ルターと賛美歌』ではそのうち38曲の歌詞私訳(著者・徳善義和氏による)と楽譜が収録されています。22曲については作られた背景などについても詳しく触れられているのでおすすめです。
 「神はわが砦」は今やルター作品の中でもっとも有名ですが、数奇の運命をたどった曲でもありました。ナチスドイツ時代に「ドイツの勝利の歌」として兵士が戦線に出ていく時に歌われ、「神の国」の部分がヒトラーの支配する第3帝国になぞらえられたのです。私達も、この曲に対して「勇ましい歌」というイメージをどうしても持ってしまうかもしれません。
 しかし、1529年にこの作品が初めて賛美歌集に載った時には「慰めの歌」という表題が付けられていました。ルターは慢性的なうつ傾向を抱えており、この作品を作った当時(1526~28年頃)は肉体的な健康不安やペストの流行など、複数の不安要素が彼に襲いかかっていました。そのような苦境にあって、ルターは「神はわたしたちの避けどころ。わたしたちの砦。」(新共同訳 詩編46:1)に支えられてこの作品を手がけていったのです。詩篇46篇をベースとしつつも、その大半はルターによる自由な信仰告白であると言えます。
 敗戦後のドイツ教会は「誤用」への反省に立ち、当初は曲の扱いに困惑しつつも、研究の結果「慰めの歌」として捉え直す方向へと向かっていきました。

 最後に、『ルターと賛美歌』で紹介されている、著者徳善義和氏(ルーテル学院大学名誉教授)による「直訳を楽譜に合わせて歌えるようにしたもの」をご紹介します。「やぐら」の楽譜(讃美歌267、新聖歌118他)でも歌えます。
 直訳がどうなっているかは、ぜひ本でご確認ください。

「われわれの神こそ堅い岩」
1.我が神はやぐら よい守り、力 神は我々を 悩みから守る
  悪い敵が 地の思いを 超えた知恵や 手立て尽くし
  攻め襲ってきても
2.我々の力は 弱くて空しい 神の選んだ方が 代わって戦う
  それは誰と 問われるなら イェス・キリスト 万軍の主
  主こそ勝ちたもう
3.世が悪魔に満ち 我らを呑もうとも 我らは恐れず 勝ちは主の御手に
  世の君など 攻め襲っても 何もできず さばきに合う
  御言葉が打てば
4.敵は御言葉を かえりみず捨てる 主は御霊により 戦いに臨む
  敵が身体 妻、子、宝 求め尽くし 奪おうとも
  御国は我が手に

 なお、「教会」を歌ったルターの賛美歌作品については以前記事を書いていますので、よろしければこちらもどうぞ。



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