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原爆の日に「その地」に立ったことの意味

 一昨日6日(金)は広島に、明日9日(月)は長崎に、原爆が投下されてから今年で76年。この時期には必ず、自らがその地に立った時のことを思い出します。
 12年前の2009年8月、私は高校3年生でした。この年はオバマ氏がアメリカ大統領に就任し、4月にはプラハで「核なき世界」演説を行い、秋葉忠利・広島市長による平和宣言(テキスト)にもオバマ氏への期待がかなり盛り込まれていました。

 私が在学していた高校(ミッションスクール)は平和教育に力を入れており、3年次の選択科目の中に「英語でヒロシマを学ぶ」授業がありました(在学当時は被爆二世の先生が担当)。その課外授業として位置づけられていたのが、8月6日前後の広島を訪れる「ヒロシマ碑巡りの旅」だったのです。
 私はこの授業を取ってはいませんでしたが、希望する3年生にも開かれていたので参加したのです。引率の先生2人を含めて10人前後の旅でした。出発したのは8月3日夜。夜行バスと新幹線を使って広島に着き、3日間あまり滞在しました。
 この期間いろいろなところを巡り、何人かの方のお話(被爆証言を含む)を聞きましたが、やはり6日当日の経験が一番印象に残っています。

 6日は、下記の集会に参加しました。
・平和記念式典
 希望者は、原爆ドーム周辺での「ダイイン」に参加していました。参考になる記事を貼ります。

・証言集会
 参加者が数人のグループに分かれ、それぞれのグループで被爆者の証言を聞きました。全体の規模は100人に満たない程度だったと思いますが、コロナがなくとも今はこういう集会が可能なのか(お元気な被爆者がどれだけおられるのか)と思ってしまいます。
・とある学校での追悼集会
 広島に着いた初日に、この学校の生徒のガイドで平和公園周辺の様々な慰霊碑等を巡りました。広島県内の小中学校では、8月6日を登校日とする学校が多いと聞きます。
原爆供養塔前で行われていた諸宗教による追悼集会のうち、プロテスタントの部
 リンク先の通り、供養塔には身元が分からなかったり、近親者によって引き取られていない遺骨が納められています。その前で、朝から夜まで様々な宗教・宗派による集会が行われます。在学校はプロテスタントの流れを汲んでいたので、その部分に参加したという訳です。
(旅程には自由時間も多少はありました。当日の広島市内では数多くの集会が開催されていたことと思います)

 これ以前にも平和式典をテレビで観ていましたし、平和都市宣言を打ち出している地元新発田市が市内の中学生を広島に派遣していることを羨ましく思っていた記憶もあります。しかし、当時はネットを家で使えなかったこともあって、広島に行ってみて初めて知ったことがいくつもありました。
 一つは、広島のテレビ局全局が式典を生中継することです。今年も、最短で30分という局もありましたが、全局中継ということには変わりありませんでした。NHKの全国中継では式典の途中で放送が終わってしまいますので、式典のフルバージョンを経験できたのもこの時が初めてでした。今は下記のような配信で全編見聞きすることができますが。
 また、式典中の街宣車の騒音にも現地で初めて気づきました。今年は広島ホームテレビのYouTube配信を後で聞きましたが、チャット欄には街宣車への非難の声がかなり見られました。

 街宣車問題については数年前の式典の来場者アンケートで質問項目に上がっていたと、fbで見かけました。具体的な対策はこれからということのようですが…

 最後にご紹介したいのは、式典後の原爆ドーム周辺でいくつかの団体がビラ配布などのアピール活動を行っていたことです。中には、核問題や平和に直接関係しない団体もありました(最も記憶に残っているのは法輪功)。平和を願って式典に出席した人々に自分たちの声を聞いてもらいたいという思いがおありだったんだろうと思います。広島が「非核平和」を超えた象徴的な場所と認識されているんだなぁと実感した出来事でした。

 長崎には、その5年後の2014年(大学院1年目)に初めて訪れました。そもそも九州自体が初めてでしたが、9日の始発で博多を出て、普通列車を乗り継いで長崎に到着。この日は台風接近が危ぶまれていましたが、無事に予定通り開催されました。
 「怒りの広島、祈りの長崎」という言葉は最近死語になりつつあるのかもしれませんが、少なくとも式典の雰囲気や街の様子に関しては今でもかなり対照的ではないかと感じます。象徴的なエピソードは、長崎の式典入口でのセキュリティチェックと「いろはすと雨具の支給」です。その5年前の広島は超開放的でしたが、コロナ後(がいつ来るのか…)はどうなるのでしょうか。
 もちろん、式典の内容についても両社は結構違います。2019年の式次第を併載します。

 この記事の結論がどこに行き着くのかと言えば、あまりにもありきたりですが「何だかんだ言っても、現地に行かないと感じられないことはある」ということです。個人的には、駅構内の掲示物とかでもその土地・時期の空気管を感じてしまう人間です(^^;; 高校の学年主任は「現場に立て」と事あるごとにおっしゃっていて、それが以前記事に書いた「一人で広島に行った」ことや、長崎へ行ったこと等にもつながった訳です。

 その後は広島へ行く動機も変化してしまいましたが(主に野球^^;)、もう一度は式典に現地出席したいものだなぁと思います。あとは、一度も行ったことない沖縄にも訪れたいものです。

 なお、本記事は当時の資料や写真等を掘り返せばより充実した内容になったと思いますが、作成時間の最小化を優先させたためシンプルなものとなりました。カバー画像は2009年9月15日、広島を2回目に訪れた際の原爆ドームと旧広島市民球場です。
 最後に、広島で出会って印象に残った2つの歌をご紹介します。


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