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【デーケン司祭(教授)を偲んで】「死」について自分なりに書いてみる

 台風10号の動向が日本中の注目を集めていた6日(日)夜、一本の訃報が飛び込んできました。

 実は、デーケンさんが提唱した「9つの死への恐怖」について、昨年末に学ぶ機会がありました。その際にデーケンさんの人となりについても教えていただきましたが、司祭として一度来日したものの、日本人の死生観を憂いてアメリカに留学されたと知って非常に驚きました。
 学んだ時に配布された文献コピーに基づいて、「9つの死への恐怖」の概要をご紹介します。
 「9つの恐怖」について、から転載(表記統一のため一部手直し)させていただく形で、概要のみご紹介します。

 1.苦難への恐怖
 2.孤独への恐怖
 3.不愉快な体験への恐れ
 4.家族や社会の負担になることへの恐れ
 5.未知なるものを前にしての不安
 6.人生に対する不安と結びついた死への不安
 7.人生を不完全のまま終えることへの不安
 8.自己の消滅への不安
 9.死後の審判や罰に関する不安

(10/2追記:文献コピーが見つかったため書き換えました。当初の1ヶ月弱は、筬島正夫さんのブログにお世話になりました。
 文献の紹介リンクも勘違いしていましたが、当該文献の続編にあたるのが「こころとからだ」事典だそうです。)

 今のところは「一度きり」の接点ではありますが、それがあるとないとでは、この訃報の受け止め方も確実に違っていただろうと思います。
(大学に入る少し前に、デーケンさんは母校主催の講演会で講演されていました。講演録が今でも販売されているようですので、関心のある方はこちらをご覧ください)
 今日は、デーケンさんの帰天(逝去)を受けて、自分と死との関わりについて振り返りながら書いてみたいと思います。
(本記事での聖書からの引用は、特記のない限り『聖書 新共同訳』に基づきます)

1.身近な人々との別れに関する思い出

 まずは祖父母との別れから。(すべて新潟での話です)

 母方の祖父
 小学校での最初の1年が終わろうとしていた頃に亡くなりました。(恐らく、亡くなったという知らせの後だったんでしょう)公文教室にいた時に親が迎えに来て、そのまま母の実家へ行ったというのは記憶しています。記憶が正しければその数日前に従弟(祖父にとっての孫)が生まれていたと思うんですが、祖父がそれを見届けるように亡くなったと言える訳です。

 父方の祖父
 中1の夏休みの真っ最中、ちょうどアテネ五輪の期間中でしたが、その頃に亡くなりました。どうでもいいことではありますが、祖父が亡くなる直前に自宅のテレビで見ていたのは、こんなとんでもない試合でした。

 まだこの頃は声を大にして「巨人ファン」と言っていた頃です。そう言わなくなったのは、この2年後くらいでしょうか。
 実は父がこの日東京へ日帰り出張に出かけていましたが、祖父が亡くなった頃にはすでに新潟県内には入っていたんじゃなかったかと思います。母の車で駅に迎えに行き、そのまま病院に行ったんじゃないかなぁと記憶しています。

 母方の祖母
 東日本大震災の約1週間後に亡くなりました。祖父母の中で一番よくしてもらった思い出が深いのが、母方の祖母です。
 最後に会ったのは震災の2日前だったでしょうか。祖母の好物を含む惣菜等を持って、母と共に自宅(母の実家)を訪れて食事を楽しみました。
 震災に言及するのには深い理由があります。実は、叔父(母の兄)が当時仙台に単身赴任をしていたのです。幸いにして命に別状はありませんでしたが、震災発生後に叔母が迎えに行き、叔父が無事に一時帰宅した数日後に祖母が亡くなったのです。祖母は亡くなる数日前に入院していましたが、叔父に会えてから亡くなったんじゃなかったかと思います。

 父方の祖母
 我が家は元々父の実家に同居していましたが、私が年長の頃から10年ほどの間は別住まいをしていました。しかし、祖父が亡くなって祖母が一人では大変だということで、高校入学のタイミングで実家に戻ったのです。そこから6年半祖母と共に暮らしました。
 祖母はいろいろと病気をしていましたが、最後は特養で亡くなりました。亡くなった日は両親がちょうど日勤(か休み)で、日の暮れたしばらく後に亡くなった祖母を一家で送ることができたのでした。この時は唯一、亡くなるしばらく前から傍らで見守っていました。そして、祖母の呼吸の確実な変化、すなわち息を引き取る瞬間を呼吸音で感じ取るという体験もしたのです。特養には心電図を測る機械がない訳で、だからこそできた経験だったとも言えます。今でも印象に残る経験でした。
 父方の祖母の死に関しては、もう一つエピソードがあります。実は、祖母が亡くなった前日に私の進路が確定したのです。大学院合格はその2週間前に決まっていたんですが、「前日」に判明したのは教採の不合格だったのです(母校での教職課程では、希望進路に関わらず教採は受けるようにという指導がなされていました)。それによって院進が決まった翌日に、祖母は亡くなったのでした。

 お気づきいただけるかと思いますが、4人の祖父母がもれなく「不思議なタイミング」で亡くなっていったのです。祖父母は我が家(3人)とは違いキリスト教を信じてはいませんでしたが、キリスト教では「神はすべてのものに働いておられる」というスタンスを取っています。また、以下のような聖書の言葉を通して、偶然ということは決してないということも教えられています。

1何事にも時があり 天の下の出来事にはすべて定められた時がある。
2生まれる時、死ぬ時 植える時、植えたものを抜く時
3殺す時、癒す時 破壊する時、建てる時
4泣く時、笑う時 嘆く時、踊る時
5石を放つ時、石を集める時 抱擁の時、抱擁を遠ざける時
6求める時、失う時 保つ時、放つ時
7裂く時、縫う時 黙する時、語る時
8愛する時、憎む時 戦いの時、平和の時。
9人が労苦してみたところで何になろう。
10わたしは、神が人の子らにお与えになった務めを見極めた。
11神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終りまで見極めることは許されていない。 旧約聖書 コヘレトの言葉3章1~11節

 もちろん、突然の死や凄惨な最期を余儀なくされてしまった方(とその周囲の方々)のことも忘れてはいけないと思います。話を同級生・友人知人に広げれば、そのような方は何人もおられます。

2.一キリスト者が葬儀を通して教えられたこと(エッセイの紹介)

 続いて、キリスト教徒にとって葬儀とはどういうものなのか、自分の経験に基づいてご紹介したいと思います。まずは、ちょうど1年前に教会員向けの機関誌に投稿した文章を多少手直して掲載します。(時期に関する表記は、すべて当時のままです)

 今年に入ってから半年も経たないうちに、今までにないくらい多くの身近な方々が天に召されました。その中で告別の場面に実際に立ち会えたのは、奏楽者として関わったお二人にとどまりましたが、奏楽奉仕を通して招かれた葬儀から多くを教えられ、また励まされました。
 1月下旬にはYさん(教会員)の前夜式(通夜)・葬儀で奏楽させていただきましたが、私にとって葬儀奏楽は6年ぶりで、6年前は奏楽についてほとんど受け身だった頃でした。「何の備えもない」も同然の状態であたふたした結果、キリスト教音楽講習会でご一緒していた方にご連絡し、その方からいろいろとご教示いただくことができました。その結果2日後から始まった奏楽を無事に終えることができ、恐れ多くもご遺族の方から奏楽に対するお言葉をいただきました。
 それから2ヶ月もしないうちに、牧師の友人・Tさんの葬儀で奏楽することになりました。Tさんの病状等については闘病中から折に触れてお聞きしていましたが、とは言え生前は(恐らく)一度もお会いしたことがなかった方でした。ゆえに、葬儀を通して初めて知らされたことの方が多くありました。その中で特に印象に残っているのは、葬儀の中でご友人が語られた「思い出」です。Tさんは高校卒業後長い間教会から離れていましたが、その間にも周りの方々に対して大きな愛の実践をなされていたことが伝わってきたのです。たとえ教会から離れたとしても、神様は一度掴んだ魂を手放されることはなさらないんだなぁと教えられたのです。
(参考となる聖書の言葉:主も最後まであなたがたをしっかり支えて、わたしたちの主イエス・キリストの日に、非のうちどころのない者にしてくださいます。 新約聖書 コリントの信徒への手紙一1章8節)
 お二人とはほとんどお会いしたことがありませんでしたが、そうだったとは思えないほどに親しみを感じ、お二人を通して主から教えられたことは上記以外にもいくつもありました。主によって結ばれた神の家族とはこういうことなのかと実感したものでした。
 この他に送ったのは、出身教会や、上越にいた2年間に通った教会でお世話になった方々でした。これらの方々とのお別れの場面に立ち会えなかった残念さも相まったのでしょうが、しばらくの間ただただ呆然とする他ない心境に陥った時期もありました。そうした時に示されたのは次の聖書の言葉でした。
「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。」 新約聖書 使徒言行録1章11節
(※復活から40日後にキリストが天に昇っていく様子を呆然と見上げていた弟子たちに、いわゆる天使が語った言葉)
 また、最近の祈り会でⅠコリント15章とじっくり向き合えたのも感謝なことでした。変わることのない約束を与えられていても様々な出来事によってそれを見失ってしまうこともありますが、神様は様々な方法を通してそれを思い出させてくださいます。その一つの方法が葬儀なのだろうと思います。
 3年前に出身教会でお世話になった方の前夜式に参列した際、信仰の大先輩が次のようにおっしゃった言葉が今でも頭を離れません。「葬儀は、クリスチャンにとって最後の大伝道集会だね」
 すでに救われていたとしても、この地上では数え切れないほどさまよい出てしまう弱い私達。神様はすでに地上の生涯を終えた聖徒たちを通しても、私達を教え続けてくださるのだろうと思います。その憐れみを感謝しながら、生かされ・生かす存在として信仰の歩みを続けていきたいと思います。
「悩みつまずくとき、この友の歌が 私を連れ戻す 主の道へ
悩みつまずくとき、この友は示す 歩み続けてきた 主の道を。
この日、目を閉じれば 思い浮かぶのは この友を包んだ 主の光。」
讃美歌21-385「花彩る春を」1・3・4節後半 「この友」は、天に召された信仰の友のことを指します)

 エッセイは以上ですが、もう1ヶ所聖書から引用したいと思います。

このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、一切の重荷とまとわりつく罪を捨てて、自分の前に置かれている競走を、忍耐をもって走り続けようではありませんか。 新約聖書 ヘブル人への手紙12章1節(新改訳2017)

 多くの証人というのは、すでにこの地上での生涯を終えた信仰の先達たちを表します。また、競争とはこの地上での人生のことです。

3.キリスト教における「死の記念」

1)キリスト教式葬儀とその前後・周辺

 結婚式と比べると、キリスト教式葬儀に出席したことのある方は限られるのではないかと思います。葬儀や葬送の形は教派(宗派)・教会によって多少違いはありますが、葬儀も日曜礼拝も主目的が同じであることは共通しているかと思います。故人の人生を守り導いてくださった神を礼拝するのです。もちろん、ご友人による「思い出」や弔電披露、遺族挨拶や献花(飾花)など、葬儀特有のプログラムもあります。また、キリスト教式葬儀に慣れない方のために「いつくしみ深き」等のよく知られた賛美歌が選曲されるのも、葬儀の特徴かもしれません。
 都会を中心に、キリスト教式葬儀を専門に扱う会社も存在します。以前父が勤務していたのは、東京にあるこちらの会社です。

 今ではエンディングノートが一般的になっていますが、教会でも自分が亡くなった時のために事前に書類を作成することを推奨することがあります。その内容はエンディングノートと共通するものもあれば、葬儀で歌ってほしい愛唱賛美歌や愛唱聖句(聖書の言葉)など、キリスト教式に特有の内容もあります。
 こんな本も出版されています。

※2つ目のリンクでは、ここ5年で出版された3種類4冊のエンディングノートが見られます。

 葬儀後は、遺族の要望に合わせた日程で納骨式が行われます。キリスト教の墓は、基本的に「教会ごとの、共同の墓」です。今回の見出し画像は、所属教会が地元の霊園に所有している墓の一部を撮った写真です。管理料等を払わなければならないという話は聞いたことがありません。礼拝での献金(するか否か、金額も含めて自由)と同じ感覚かと。また、「家の墓」との分骨や、むしろ教会の墓に納骨しないという自由も認められます。
 また、遺族のみ、あるいは教会関係者も加えた「記念会」のような行事も、牧師に要望すれば計画してもらえるのではないかと思います。(いわゆる命日に毎年行うというのも、選択肢としては考えられます)

 「キリスト教は先祖崇拝をしない」というご指摘を見聞きすることがありますが、決してそうではありません。多くの教会では年1回、召天者(死者)を記念する礼拝や墓前礼拝を行います。そのような礼拝の時に遺影を礼拝堂の正面に置く教会もあります。(例:日本基督教団埼玉地区の紹介ページ
 ただ、時期は教会によってまちまちで、主なパターンは以下の通りです。

 3月下旬~4月下旬:イースター(復活祭)に合わせて。死を打ち破ったキリストの勝利が、信じる者に与えられる永遠の命を保証することから
 イースターの日付は年によって異なり、基準は「春分の日を過ぎて最初の満月の、次の日曜日」
 8月中旬・9月下旬:お盆や彼岸の時期に合わせて帰省するご遺族も多いことから
 11月上旬:教会暦では11月2日が「諸聖徒の日」であることから

 所属教会では数年前まで11月でしたが、新潟におけるこの時期は「寒くなり始めるか、そうでなくても天気が崩れやすい」ため、4月に移りました。

2)たとえ場所が究極的に離れていたとしても

 キリスト教では、この世界の終わり(終末)にキリストが再びこの地上に現れ(再臨)、その後すべての人々が審判を受けると信じています。ですから、地上での生涯を終えた人々はまだ天国に入った訳ではなく、神の御もとで安らいでいるという考え方をします。
 教会の特別な行事としてそのような人々を記念する礼拝は年1~2回しか行われませんが、月ごとにその月に亡くなった方を記念し、遺族のために祈る時を日曜礼拝の中や後に持つ教会は少なからずあると思います。(同様に、誕生日や洗礼記念日の方々を祝福する教会も多いと思います)
 また、天に召された「同じ神の家族」と共に礼拝していることを実感できる場面が日曜礼拝の中にいくつかあります。代表例として2つのタイプをご紹介します。

◇賛美歌(の歌詞)
・讃美歌21-29
 天のみ民も 地にある者も…神をたたえよ

・讃美歌21-390「主は教会の基となり」4節
 世にある民も 去りし民も  共にまじわり、神をあおぎ、
 永遠の勝利を 待ちのぞみて、イェスの来ますを せつに祈る。
 ※イェスの来ます=再臨

◇日本聖公会祈祷書の「代祷」
 神よ、世を去ったすべての人(ことに〇〇)を顧み、彼らの上に主の愛の御旨を成し遂げて下さい。私たちは、世々に主の証し人たちに与えられた主の恵みのゆえに、御名をたたえます。どうか、私たちも彼らとの交わりを保ち、共に御国の栄光に与らせて下さい。
※代祷は執り成しの祈りとも呼ばれます。礼拝や祈り会の中で、他者のため、あるいは地域やこの国の人々、また世界のために祈ることです。

 地上を離れた以上私たちと隔絶されてしまっている部分も当然ありますが、その一方で一体性は確かに残っているのです。そのことを忘れないようにしたいなぁと、これを書きながら改めて思わされます。

3)究極的な「死の記念」

 キリスト者にとって、同じ教会で信仰生活を共にした人々を悼むことは大切ですが、最も大切にすべきなのはキリストの死と言えるのではないかと思います。それがなければキリスト自身の復活もなく、それによってもたらされる私たちの救いや復活もないからです。(Ⅰコリント15章参照)
 日曜礼拝の中でそれが最も強く想起される場面は「聖餐式(主の晩餐)」です。多くのプロテスタント教会では毎月第一日曜に行われ、またクリスマス(降誕日)・イースター(復活祭)・ペンテコステ(聖霊降臨祭)の「三大祝日」に行う教会もあります。(カトリックや聖公会等では毎週行われます) ダ・ヴィンチの名画「最後の晩餐」でピンと来る方も多いかと思います。

23b主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、
24感謝の祈りをささげてそれを裂き、「これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。
25また、食事の後で、杯も同じようにして、「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。
26だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。 新約聖書 コリントの信徒への手紙一11章23節後半~26節

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(右側に写っているのが、所属教会の聖餐用具です。左側は洗礼盤ですが、教会によっては浴槽のような「洗礼槽」を有するところもあり、用具は聖餐以上に多様です)

 聖餐式では、引用した聖書の言葉が読まれることが多くあります(他にマタイによる福音書26章26~30節等)。死を記念すると言っても、ただ悼み、悲しみに暮れるのではありません。もちろんそういった側面もあり、自分の罪のために十字架で死んでくださったキリストに悔い改めの祈りをささげるのも聖餐式の大切な一要素です。しかし、それだけでは終わりません。なぜなら、その死から3日目にキリストが復活されたからです。最近多くの教派の教会で歌われるようになった聖餐式の賛美歌に、次のような一節があります。
「主の十字架をおもい、主の復活をたたえ、
 主のみ国を待ち望み、主にあってわれらは生きる。」

(典礼聖歌325、讃美歌21-81、日本聖公会聖歌集260、教会福音讃美歌265「主の食卓を囲み」2節前半)

 ある教会の集会案内に「聖餐を祝います」という表現があり、驚きました。上記の歌詞で「たた(讃)え」とあるように、聖餐式に明るい要素があることは薄々分かっていましたが、「祝う」とまで言い切ることができるのかと思ったのです。
↓この段落は少々マニアック(^^;;
 「主の食卓を…」もそうですが、聖餐式のために作られた賛美歌の中には比較的メロディの明るい曲がそこそこあります。聖餐式で「受難(キリストの十字架)」に関する賛美を歌うケースも結構あると思いますが、できれば歌集の「聖餐式」の項目からより多く選曲されてほしいなぁと思うのです。
 個人の葬儀にこれが完全に当てはまるとは言いにくいですが、たとえ肉体が死んでも、信じる者には永遠の命が与えられると信じるキリスト者にとって、葬儀は決して悲しみだけではないのは事実だと思います。
※なお、聖餐式が行われない礼拝でも、牧師等による説教(聖書の話)は行われます。飲食という所作は伴いませんが、この説教もまたキリストの死を示し、想起させるものとして位置づけられています。

4.まとめ

 今後ますます「多死社会」化が進むことが目に見えている日本では、葬儀の持つ意味は大きくなるのではないかと思います。しかし、デーケンさんが日本人の死生観を憂いてから半世紀以上経って、日本人はますます死からかけ離れていっているのではないでしょうか。
 以前「ホンマでっか!?TV」(フジテレビ系列)で次のようなことを言っていました。
・動物の飼育をしない学校が増えている
・祖父母の死を子どもに見せない親が増えている
 前者については、私が小学生の頃には普通にウサギを飼育していたので驚きました。まあ、感染症やアレルギー等の事情は分からなくもないですが…
 後者が意味するのは、恐らく「死に際に立ち会わせない」ということなんだろうと思います。私も4例中3例ではそうでしたので、残念ではあるものの偉そうには言えない立場です。葬儀でも「死」は十分感じられるでしょうし、アウシュビッツ博物館では14歳未満の見学を推奨していないそうなので、小さい子どもにショッキングなシーンを避けさせるというのは一理あります。(そもそも「誰にも看取られずに死んでいく」人が増えているという話を以前テレビで見た記憶があり、そちらの方が気になりますが…)
 ただ、そういった事情や高齢化の傾向等は考慮するにせよ、自宅での看取りや葬儀が普通だった過去に比べれば、死が日常から遠いものになっているのは事実なんだろうと思います。その一方で思うのは、教会というコミュニティの中で比較的身近に死を思うことができることはある意味感謝なことではないかということです。

 死と同様に、日本人が宗教離れしているのではないかということも気にかかります。個々人というよりも、その集合体である社会の方向性という点で。
 ちょうど宗教学者の島田裕巳さんがこんな新刊を出されるそうです。

 これについても、オウム真理教による数々の事件や多くの新興宗教による厄介な勧誘(私も何度も遭いました)等で宗教嫌いになることは重々分かるので何とも言えない部分もありますが、何か心が落ち着かない時にでも一度訪れていただきたいなぁと思います。日常と違う環境に身を置き、普段あまり聞かない話を聞いてみるというだけでも、気分転換につながるのではないかと思うからです。(コロナ禍の現状においては礼拝の動画配信が盛んに行われています。下見には打ってつけかと思いますが、できれば教会での礼拝に足を運んでいただきたいです。「日常と違う環境」は自宅での動画視聴だと成立しづらいと思いますので)
 教会には人情味溢れる方が結構いらっしゃいますが^^;、個人情報の記入や新来者紹介は断ることもできます。(せっかく来てくださったのだから、ぜひまた来ていただきたいと思ってしまうのも事実ですが)

 最後に、所属教会の墓に記されている聖書の言葉を念のためテキストでお読みいただきます。

わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。(続き:彼らは永遠に、決して滅びることがなく、また、だれも彼らをわたしの手から奪い去りはしません。) 新約聖書 ヨハネの福音書10章28節(新改訳2017)

 礼拝もまた、新たに命と力をいただく場と言えます。そもそも、日曜日そのものが「安息日」と呼ばれるのです。
 と書いたところでこんなツイートを思い出しました。

 文字通りの「礼拝」も入っていますが、瞑想・音楽・読書など、礼拝に含まれる諸要素が結構入っています。科学的にもおすすめということです。

 だいぶ宣伝がましくなってしまいましたが、この記事の結論は、一人でも多くの方に「自分なりのメメント・モリな生き方」を探求していただきたいということになります。

より多くのアウトプットをするためには、インプットのための日常的なゆとりが必要です。ぜひサポートをお願いしますm(_ _)m