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一応それらしい投稿を…

 新年2本目の投稿ですが前作は去年の積み残しだったので、実質これが初投稿ですね(^^;; 改めて今年もよろしくお願いします。
 正月気分は今年に限らずさほど感じないんですが、noteを始めて最初の年明けでもあるので関連する話題を書いておこうかと思います。

年賀状

 小学生時代(1998~2003)は個人情報のあれこれが騒がれ始めた頃だったんじゃないかと思いますが、友達との年賀状(住所)交換は普通にやっていました。(→個人情報保護法(Wiki)は2003年成立だそうなので、やはりそのようです) 今の小学生はどれくらいやってるんでしょうかねぇ。
 このエピソードに限らず、自分の世代は子どもにケータイが浸透し始める直前の時期で、いわゆる「古き良き時代」らしさを享受できた末期に当たるんじゃないかなぁと思っています。

 高校は全国各地から生徒が集まる学校だったからか、ここでも年賀状交換を結構やりました。卒業して割とすぐにそれは途絶えていきましたが、それに代わって登場したのはTwitterのフォロワーさんとの年賀状交換でした。最盛期にはそれなりの枚数(40枚くらい?)に達していたかと思います。
 振り返ると、この時期の作り方をもっと楽にしていれば…と思わなくもないのです。というのも、学生だったので年賀状作成に割ける時間もあったこともあり、送る相手の属性に合わせた写真を4枚選択していたのです。さすがに一人一人に全く違う写真を選んでいた訳ではなく、例えば野球・サッカーファンなら競技に合わせて旧年中に観戦した時の写真を…といった感じです。アルビカープ等、多数派の皆様にはそのチームに絞って選んでいました。そういった属性がない県外の方には新潟の風景を選んだり、旅行・遠征好きの方には県外に出た時の何気ない風景などを選んだ訳です。さらに小さいながらも手書き欄も設けていたんですから、そりゃ時間もかかります(^^;; そういうことができなくなればできないなりに全員に同じデザインでもよかった訳ですが、変なこだわりがあったのか、年賀状を送る習慣自体が5年前に崩壊することとなりました(汗
 一つ言い訳をするなら、5年前は修士論文の締切が間近だったという事情がありました。だとしてもその年は返信だけにするか、仮に全く送れなかったとしても翌年からふさわしいスタイルで出直すこともできたと思うんですけどね(^^;; 年々返信すらおぼつかなくなり、今年はとうとう「元日ゼロ」。
 もちろんSNSを中心にそれなりに新年の挨拶のやり取りはしていますが、少々心許なさを感じるのも事実です(^^;; ちなみに、年始の挨拶がメール中心だったのは大学時代の前半にとどまったんじゃないかと記憶しています(※ネットを自宅で使えるようになったのが高卒直前)。その頃にLINEが周囲で一気に広まり…

帰省(親戚回り)

 近い親戚は割と近場に住んでいて、お盆・年末年始に必ず出向く最も遠い親戚は車で片道1時間の母の実家です。見出し画像は、そこの玄関に依然飾ってあった正月飾りです。(今回は年末のうちに「玄関先のみ」で挨拶をしてきました)
 以前は帰省のために長距離移動する方々を羨ましく感じていましたが、混雑や渋滞の現実が分かってくると自分の立場の方がいいのかなと思ってみたり(^^;;
 年末年始に関しては一人旅もしたことはありません。冬は寒いので行動意欲が大きく減退するからです(爆

家庭の風景

 両親は比較的長く高齢者福祉施設(入居型)で働いているため、冒頭に書いた通り我が家には元々正月感が漂いにくい傾向にあります。他の要因としては「日曜日は必ず教会へ行く」という習慣で曜日感覚がズレにくいというのもあるかもしれません。(ちなみに、元日の午前中にも元旦礼拝と銘打って礼拝を行う教会がそれなりにあります)
 とは言え食卓にはそれなりに季節の料理が並びますが、比較的少なめかもしれません。

お年玉

 成人する頃までは親戚の方々、時には教会の方からもいただいた記憶がありますが。すべて母に一旦取り上げられました(笑) そして、両親からは一度ももらったことがありませんでした。これは珍しいんでしょうかね(^^;;

今年の年越し

 大晦日の夜は、テレビの紅白をBGMにひたすらnoteに追われていました(^^;; ごく稀に例外はありますが、ほぼ紅白派です。
 その後、例年ならゆく年くる年以降もNHKのままですが、今回に関してはこちらのライブ配信を見ていました。

 日本基督教団 霊南坂教会東京都 港区)とはそれなりにご縁がありまして。2回お邪魔したことがあります。

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 初めて訪れたのは19年2月の日曜夜の礼拝@小礼拝堂。昔ながらの佇まいに、厳粛な雰囲気が漂っていました。

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 同じ年の11月に関東に数日間滞在した際、聖歌隊に属しておられる友人の方にお声がけいただいて「一日聖歌隊員体験」(実際は2時間程度ですが^^;)をさせていただきました。
 念願の大礼拝堂に入れただけでも感激でしたが、母校校歌の作曲者・大中恩氏(故人)の父・寅二氏はこちらの聖歌隊長を務め、礼拝中に倒れたという逸話が残っている方です。そういった意味で、この教会の聖歌隊に一瞬でも加われたのはそれなりに大きな出来事だったのです。

 話を元に戻すと^^;、コロナ禍で日本全国の教会が動画配信をするようになりました。大抵は日曜日の礼拝や教会学校(子供向けの礼拝)、中には平日の祈り会を配信される教会もありますが、こんな配信をした教会はあまりなかったのではないでしょうか。年越しの瞬間を祈りの中で過ごせたのは印象深い経験になりました。

 実は配信が23時半~なのを完全に忘れて紅白を見終え、配信が終わってから生さだ「遅刻」の上で見逃した部分もすぐに見ました(アーカイブが残るかどうか読めなかったので…)。そしてテレビを再びつけたらこんな光景が…

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 まさかまっさんも遅刻したとは(汗 当初の目論見なら国技館での年越しライブの中で紅白に出演したんでしょうが、鉄道各社の終夜運転中止等が要因となりライブが中止に。その結果、こんなことになっていたんですね…

 もっと負担を軽減できるようにできなかったんだろうかと思ってしまいます(汗 しかも、生さだのスタジオに着いた途端を含めて番組でも異例の3曲を歌わされ… 少々気の毒だったのは否めませんでした。

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 コロナ禍でコンサートができなくなったのが幸に転じ、今年度の生さだはほぼ月一の放送となっています。ご本人はやはりコンサート再生の方をご希望のようですが(放送では真逆のこと言ってましたがw)。

 生さだが終わったと同時に本来の年末記事を途中で切り上げ、入浴。その後ねほぱほ一挙放送の誘惑に負けかけるも、多少見ただけで就寝しました。
 何となくお気づきかもしれませんが、割とテレビっ子で、NHKを愛する人間です(笑)

 今朝目覚めた時の自室からの風景がこんな感じでした。

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 正月にこれだけ積もるのは割と久々ですが、だからと言って大雪というレベルではありません。ここ数年がいかに少雪だったかということですね。

 Zoomでの元旦礼拝や昼食を終えてnote執筆に戻りましたが、BGMは昨夜の文化放送の3時間特番でした。

(正直言うと、音楽番組の中にはタイムフリー対象外の場合もあるのでホッとしました)
 去年の今頃はまだラジオ(radiko)にハマり直していませんでしたし、そもそもdocomo wi-fiのデータ使用量の面からこんなことはできない身でした。プラン変更はコロナと直接関係ないものの、これだけステイホームな年末年始も珍しい訳ですから(元々さほど出歩かないが)、何かと新しさがあるなぁと改めて書いてみると実感します。

 ということで、明後日がもう日曜日なのでやはり正月気分はすぐに終わってしまいそうです(^^;;

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