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【沖縄にある城の名を冠しながら城を消された街①】地元を調べたら素晴らしい計画があった件

沖縄県豊見城(とみぐすく)市 

僕の地元は沖縄県豊見城市。
読み方は難しく豊見城(とみぐすく)と読む。"ぐすく"は沖縄の方言で"お城”という意味で、湖を眺望する高台に城を築いて「とよみ城」と呼んだことを由来に持つ街だ。

人口は2022年1月31日時点で6万5969人で人口比率で全国一子供が多い自治体。2004年に村から市へとなった。町を飛び越えて市になったのは豊見城が全国初。それほど人口増加が著しい街でもある。地元ながら素晴らしい。
しかしだ。この街には"城"が無い。

”豊見城”が無い豊見城市

正確には"今"お城が無い。
この違和感は幼い頃からあった。

14〜15世紀の沖縄、三山時代に南山王の汪応祖(おうおうそ・わんおうそ)が築いた豊見城はあった。その後、中山王の尚巴志により落城される。現在は豊見城の遺跡は戦争の影響と公園としての整備によりほとんど残っていない。

僕が小さい頃、豊見城跡地は豊見城城址公園として民間が管理しておりそこへに親がよく連れて行ってくれた。そこでよくBBQ大会も行われてよく参加していた。
城があった場所だと知っていた僕はその公園に行くたび広がる草原地帯を見て城のあった気配すらないことにモヤモヤを抱えていた。

今は無いのに城が昔はあったからこの街を今もそのお城の名前にしている。
実際にある城で例えたらわかりやすいだろう。
那覇市が仮に首里城市だとする。
その街に首里城や城壁の影や形が無かったら変に思うだろう。
ディズニーランドにディズニーを感じるものが何も無いのと同じだ。

違和感とモヤモヤを長年僕は抱え続けているが豊見城市が豊見城城址公園跡地を利用した計画を立てていることを知る。

豊見城復元計画

豊見城市は2014年に豊見城城址公園跡地の利用基本計画を発表した。

その計画の中身は三本柱と称され
・沖縄空手会館の建設
・おきなわ工芸の杜の建設
・豊見城復元整備事業(城壁のみ)
この3つを掲げており
2022年5月現在、沖縄空手会館おきなわ工芸の杜は既に完成している。

豊見城復元整備事業に関しては滞っており建設においては手付かずの状態。
課題が多いのだ。
元々城の細部にいたる資料自体が少ないらしく戦前の数枚の写真、米軍の資料、ベリー来航時に残した記録や挿絵などしか事前情報はない。上記情報に加え再現性を高める為に遺構の残存状況を確認する発掘調査を2012年から継続して実施している。

『豊見城グスクの城門写真についての分析・考察』より
http://www.kuniken.co.jp/technology/pdf/planning/tomigusuku.pdf
『豊見城グスクの城門写真についての分析・考察』より
http://www.kuniken.co.jp/technology/pdf/planning/tomigusuku.pdf
『豊見城グスクの城門写真についての分析・考察』より
http://www.kuniken.co.jp/technology/pdf/planning/tomigusuku.pdf
『豊見城グスクの城門写真についての分析・考察』より
http://www.kuniken.co.jp/technology/pdf/planning/tomigusuku.pdf


歴史ある建造物の復元は文化庁からはっきりと「史跡等における歴史的建造物の復元等に関する基準」が出されているため簡単にはいかない。

豊見城市が発表した2019年8月29日時点のグスクゾーンの状況からも条例や基準による滞りが発生しているのがわかる。

「グスクゾーンは、事業見直し」
「事業個所は市街化調整区域となっていることから建築物に対しては、沖繩県の『開発許可制度に対する運用基準』『建築基準法施行条例』などを確認して整備できるか検討を要します」
沖縄県豊見城市
https://www.city.tomigusuku.lg.jp/sp/undefined/11330

発掘調査が2012年から行われているのはそれまで民間の土地だったからである。
調査はかなり長引いているようだが慎重に進めていき可能性を膨らませていってほしい。

この豊見城に城が無いモヤモヤが晴れるのは僕の1つの夢でもある。
そして多くの豊見城市民が望むことでもあるだろう。

城壁復元後の利用方法にも注目しているので次回書きたい。

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