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Seiji

 毎朝目が覚めてすぐにチェックする夫とのチャット。今朝入ってきたニュースは私にとってもとても大きく。でも、悲しみよりも、本当にお疲れ様でした。という言葉しか浮かびません。そんな穏やかな感謝を込めた気持ちで小澤征爾さんの訃報を受け止めました。

 小澤征爾さんの偉業については、今更私のようなものが綴る必要もなく、
今日は感謝を込めて、我が家の次男坊の名前についてお話ししたいと思います。


ボストン交響楽団の本拠地シンフォニーホール
その歴史を伝える廊下の展示にも、
たくさんの小澤征爾さんの偉業を垣間見ることができます。

 「流石書店」での思い出

 私は2000年からボストンでの生活が始まり、ほどなくして次男坊がお腹に宿ってくれました。
インターネットが生活の中に入ってきてはいましたが、まだまだ日本語の活字に飢えていた時代、その当時、隣町のPorter Sq. には「流石」さんという日本人経営の本屋さんがありました。
少しでもお兄ちゃんを日本語に触れさせてあげたい。そう思っていた私は、「こどものとも」を定期購読していたのです。

 そして本を受け取りに行って、ついでに立ち読みを少しさせてもらう。それが毎月のささやかな楽しみでした。

可愛いお母様の気持ち

 そんなひとときの中で、ある日、多分お兄様が書かれた本ではないかと思うのですが、ご家族からみた小澤征爾さんの思い出を綴られた本を見つけました。
その中で、お母様のエピソードがとても心に残りました。

 ご存知のように若かった小澤征爾さんは、バイクに乗ってヨーロッパへ向かわれ、そして大きな評価を受けて日本に帰国されます。
その時に一位を取られたコンクールの賞状。それが今家にあるのは、砂まみれの荷物の中からお母様がくしゃくしゃになった賞状を見つけ、シワを伸ばして額に入れたからだ。というそんなお話しでした。

 私にはそのエピソードの中に、なんとなく母親として憧れる姿があったのです。
自分の信じる道をひた走る息子の中に、形のような賞状は必要ない。でも、母親の気持ちとしては、なんてこと、こんな素晴らしものをいただいたのに。と埃を払って綺麗にして額に飾る。
 そんな一連のことがなんとも可愛らしくて、私の琴線に触れました。

次男坊の名前


 お兄ちゃんの名前には、夫と親友への思いを込めました。
だからこそ次男坊にも夫の名前を入れたい。そう考えていた私たち夫婦は、次男坊の名前に二郎を入れることは決めていました。
 でも、何二郎にしよう。と思った時、私にはこのお母様のエピソードが頭をよぎったのです。

 自分が歩んでいきたい世界をしっかりともち、権威などに縛られず未来を切り開く。そんな母親としての願いを込めて、漢字は違いますがSeijiro と私たちは名付けました。

 Seijiro はこちらの方には発音しづらく少し長い名前です。ですから人に聞かれるとSeiji と答えました。すると、たくさんの方が、 Oh! Seiji Ozawa!
とわかってくれるのです。ボストンならではの幸せでした。

ボストンシンフォニーホール

ボストンシンフォニーは、ボストンに暮らす我々の宝です。
少しですが、紹介させてください。

開演前のシンフォニーホール
こののぼりを見ただけでワクワクします。
椅子にも歴史を感じます
公開リハーサルは団員の皆様も普段着で
演奏が始まる前に、
本番とは違って曲について説明してくださるおしゃべりがあるときも。
そんな気さくな時間がとても楽しみです。
お値段も、お財布にとても優しく、
ボストン観光の一つとしておすすめしています。
もちろん本公演は楽団の皆様も正装で。
ライブならではの緊張感が至福の時を与えてくれます。

 小澤征爾さんのボストンでの功績は計り知れず、訃報が流れてすぐにウェブ版のニュースになっています。きっと明日のBoston Globe の一面を飾ることでしょう。

 1970年代、閉鎖的な差別意識が今でも残るボストンで、東洋人として尊敬を集めること。それがどれほどの偉業であったか、どれほどの戦いであったか。私には、想像に余りあることです。
本当にお疲れ様でした。心からご冥福をお祈りいたします。
ありがとうございました。

後記

 取り立てて音楽好きというわけでもない私ですから、小澤征爾さんが亡くなられても喪失感を熱く語るわけでもありません。でも、私の中に残る小沢さんへの素朴な感謝の気持ち。誰かと語り合いたい。そんな思いでいた日、友人の塚本晶子さんが、主催するボストン音楽サロンで小澤征爾さんの思い出を共有する会を開いてくれました。

 常に自然体でいらした小澤征爾さんは、様々な場所でボストンの人々に思い出を残されています。
私もこんなことを思い出してシェアさせてもらいました。

懐かしい思い出です。

タングルウッドの思い出もたくさんの方がシェアされていました。
タングルウッドは、私にとっても夏のお楽しみです。またゆっくり綴ってみたいと思います。

小澤征爾ドキュメンタリー「わが街ボストン」マーラー5番を中心に

 こんな動画も見つけることができました。
少し前のボストンの様子も感慨深い思いがします。

小澤征爾 ザ・リハーサル 1992 / Seiji Ozawa / Saito Kinen Festival Rehearsal 1992

 こちらも、ボストンにとって懐かしい方々のお顔を見ることができます。
潮田益子さんが亡くなられた時の衝撃を思い出して、胸がいっぱいになりました。

1988年、セサミストリート「アニマルオーケストラ」


余談ですが。。

今年の我が家の家庭菜園のお豆は、こんな銘柄にしてみました
どんなお味か。。楽しみです♪

苗の成長はこちらでお楽しみください


1992年からのアメリカ暮らし、ボストンはそろそろ四半世紀になりました。 「取材」と称していろいろ経験したり、観光ガイドも楽しんでいます。 https://locotabi.jp/loco/hyacinth 応援していただけたらとても励みに思います。