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悩んでいないと不安になる症候群

この漠然とした不安や、自ら茨の道を探す行為はなんと名付ければ良いのだろうか。

前コミュニティから逃げ出し、2ヶ月ほどうつ状態で引きこもっていた春

「次は、自分が穏やかにいられて、自分の特技を活かして働くことができて、たくさん感謝される職場に巡り合うんだ」と毎日毎日願っていた。

やっと見つけた現在の勤め先は本当に至って穏やかで、みんないい人たちばかりだ。決して裕福に贅沢はできないが、生活も少し安定してきた。

毎日怒鳴られることもなく、自信を削がれるようなこともなく、
自分の存在価値を確認せずとも、淡々と過ぎていく現在に心地よさを感じながら過ごすことができている。

が、不思議なことに私の頭というのは、悩みがないと死んでしまうのかというほど、常に悩み事や考え事を探してしまうようなのだ。

このままでいいのだろうか、こんなに普通に暮らしていていいのだろうか、もっと努力して厳しい毎日を送るべきなのではないか…

平和に過ごしているふりをしながら、脳内はずっと、この先のことや、過去に浴びせられた罵声などを思い返しては、不安を感じたり焦りを感じたり、いやいや、今はこれでいいんだよ、と思い直したりとフル回転している。

毒親に支配されて育った子どもにはよくある現象のようだ。
もっといい子でいなきゃ、もっとちゃんとしなきゃ、と、親に認められるために必死で生き抜いてきた癖が抜けないのだ。

これは、モラハラや暴力を受け続けた被害者にも当てはまることらしい。
ある医師は、「暴力の空白」と表現していた。

毎日毎日暴力を受けたり、精神的に張り詰めた状態が当然になっている人が、突然その加害者から離れることができ、全く被害を受けなくなった場合、

「この静かな時間がいつ崩壊するのか」
「私はこんなに平和でいてはいけないのではないか」

と、自分の安定を受け入れられないのだ。むしろ、今夜にでも加害者が乗り込んでくるのではないかと恐怖さえ感じる。(PTSDもある)

いくつか本を読んだり、精神疾患を持つ親と子の研究をされている方などの有識者の意見を聞いたので、今はようやく、この私の思考は、あって当然で、何もおかしいことではない、と、自分に言い聞かせることができるようになった。

自分にできるのは、今は大丈夫、やっと穏やかに過ごせているんだから、大丈夫。
今は心地よく過ごしていいんだよ、と、目を閉じて自分に言い聞かせることだ。

焦ったり不安になった時は、一度思考をここに戻す。

何十年も他人の顔色や機嫌をうかがって生きてきたのだから、自分の人生を楽しめるようになるには同じくらいかかっても仕方ないとある意味割り切っている。

一日、また一日を大切に味わって
少しでも穏やかな時間を積み上げていこう。

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