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父からの電話

父から電話があり、現在住んでいるアパートを出て近くの高齢者住宅に引越すという報告を受けた。以前にわたしが提案したとおり、わたしが受取人になっていた生命保険は既に解約し、そのお金は今後の生活資金に充てるとのことだった。彼は電話口で「ありがとう」と繰り返していた。

わたしがまだ幼かった頃、父は勤務先の資金を使いこんだ上に借金を残して行方をくらました。その後も彼は借金を重ね、やがて両親は離婚した。幼少期の数年間以外、わたしは彼と共に暮らしたことがない。彼は確か二十年ほど前に現在の配偶者と再婚したが、飲酒癖やDVが原因で同居を拒否されている。わたしは彼の配偶者のことは殆ど何も知らない。

5年前の祖母の死後、相変わらず自滅的な言動を繰り返す父に、わたしは「いい加減にあなたは自分で自分を引き受けなければならない。先に死んだ家族という物語にどれだけ逃避しても、自分自身からは決して逃げることはできない。あなたは自死した自らの父親と似た道を選びたいのか?」と厳しく問うた。

そうして、新たに借金を作ろうとした彼を阻止し、彼が祖母から相続した不動産の売却を手伝い、新しい生活へ踏み出すよう促した。あの時も彼は、わたしに何度も感謝の言葉を述べていた。

今回もまた、わたしが現実をつきつけたことをきっかけに、彼は行動を起こした。わたしが彼に解約を促した生命保険は、彼が祖母の死後に受け取った財産によって支払われたものだった。わたしは彼に「わたしは何も要らないし、何も遺してもらいたくない。そのお金はあなた自身の生活と生き死にのために使ってください。」と話した。


最終的に父がどのように生きて死ぬかは、彼自身が決めることであり、彼の行く末がどうなろうと、わたしはそれを事実として受け止めるだけだ。

祖母がまだ生きていた頃、彼が飲酒の末に事故や暴力沙汰を起こしたと聞いたことが何度もあった。当時のわたしは、いずれ彼は事故死をするか、あるいは殺されるかもしれないとすら思っていた。やがてわたしは、そうなったとしたら、それもまた仕方ないと思えるようになった。誰にも他者を変えることはできないと知り、諦めたのだ。

そうしたいくつもの経験の末に、わたしはこのような意識と在り方にたどり着いた。それは、母との間においても同じだった。わたしは最終的に、親子としてではなく、一人の人間同士として彼女と向き合い、対等な個人同士として関わりあって、彼女の最期を見届けた。それは過度な依存も無理もない、快適な関係/バランスだった。

祖母の死後、わたしは父に「自分で自分を生きてください。あなたがやるべきことはそれだけです。」と伝えた。あれは、わたし自身が、母や父との関係から脱して彼らを一人の個人として眺められるようになり、そうして自分自身を作り、生きるようになったからこそ、出てきた言葉だったと思う。

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