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思考の迷路からの脱出

「なんでこんなにモヤモヤするんだろう」
「あのときの自分って、どんなこと考えていたんだっけ」

最近のわたしのあるある。
あれ…?とか、うーん…とか、その連続。
思考の迷路に放り出された気分。
自分の頭の中の迷路なのに、ゴールがわからない。

こんな状態に陥るのはすごく久しぶりです。悩んだときの強い味方「時間」も今回ばかりはなかなか仲間になってくれません。時間経過とともに悩みも小さくなっていく…という「時間と悩み事の比例方式」は、どうやら思考の最終関門に到達した人に適応される方式のようでした。

時間経過とともにちょっとずつ深みへと沈んでゆく泥沼に片足突っ込んでいる気がしているので、いったん思考の迷路をウロウロすることをやめて、「なんで最近この状態に陥りつつあるのか」ということに目を向けてみました。


「なんで最近『わからない』のだろう」

まずはその問題を解決すべく、自分の思考が反映されていそうな場所を探し回ることに。読書や映画の記録、SNSでの書き込み、スマホに納められた写真の数々…と、ちょっとでも気になる箇所を片っ端から。それでも答えの出ないわたしはいったんスマホを置いて、自分の背丈よりも高く、中身もパンッパンに詰まっている本棚をひっくり返してみることにしたんです。

すると、一番右下の奥の方に、色も形もまったくおんなじノートが4冊眠っていることに気づきました。背表紙にはそれぞれ「2020」「2021」「2022」「2023」の文字…手帳です。毎年欠かさず記録を刻んでいる手帳。なんか懐かしくなって開いてみたら、そこからの時間はあっという間。過去に遡って「こんなことあったな〜」「あんなことあったな〜」ってしているうちに、どんどん時間は溶けていきます。

ふと、とある日のメモ欄に目が止まりました。

「日記」

心臓が止まるかと思うほどの衝撃を覚えたのは久々でした。思い返せばわたしは、2018年の冬〜2021年の秋くらいの期間、毎日欠かさず日記を書いていました。いろんなことが積み重なって迷子になりそうだったとき、「自分の気持ちを整理するために」という目的で始めた日記。「億劫になって途中で投げ出すことのないように」という理由で始めた、スマホアプリでの日記。

2021年の秋ごろにだいぶ気持ちが落ち着き始め、「もう日記に頼らなくても大丈夫」と終える決断をしたときのことは、すぐに、そしてはっきりとよみがえってきました。確かあのとき、なんとなく後ろ髪を引かれる思いがしてそのアプリは削除しなかったはず。

スマホアプリの海を泳いでみると、ほとんど忘れられた場所に日記アプリを発見。閲覧制限用にかけていたパスワードなんて覚えていなくて、ちょっとだけ手こずったけれど、ようやく少し昔の自分に再開しました。

日記を読み返していると、そのときの自分のことがすごくよくわかります。なにで悩んでいるのか、なにで躓いているのか、どんなことに心の引っ掛かりを感じたのか。そしてわたしは、問いへの答えを見つけました。

「文字に起こすことを辞めたから」
「自分と対話する時間が少なくなったから」

日記を辞めてから、自分の気持ちを文字に書き起こす時間がほとんどなくなりました。文字に書き起こすことを辞めてから、自分自身の気持ちと対話することが少なくなりました。気持ちと対話しても、考えても、その道のりや結果をどこかに残すことはなくなりました。

その結果、今まで迷路脱出の糸口になっていたものがなくなり、「わからない」ことが増えたんだと思います。日記をつけていた頃は、「なんでこんなにモヤモヤするんだろう」となることなんてほとんどなく、「あのときの自分って、どんなこと考えていたんだっけ」となれば、日記を遡ることで解決できました。この状況から脱する秘策は、日記なのかもしれません。


ということで、日記(ぽいもの)をまた書き始めようと思います。週に1〜2回とか、せめて月に2回とか。有言実行したいから、noteに綴ればいいよね。

思考迷路のゴールにいち早く辿り着けることを祈って。

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