最近衝動買いしたもの
最近、noteでの『サポート』や『収益化』の話題が目に止まり、『noteってなんだっけ?』と今更ながらに振り返ってみた。
noteってなんだっけという疑問への考察は前の記事に譲るとして、自分がnoteを通して、何かしらお金を使った、もしくは使いそうになった経験を、『逆リサーチ』してみた。
1.善意に対するお礼
noteを始めた初期の頃、使い方や記事の表示方法など、読み手側の意見をコメントして下さる方がいました。
その善意が有り難く、何か恩返しをと思い、その方の有料noteとamazonの電子書籍を読ませて頂きました。
記事自体を読みたくて購入したというよりは、先に相手の方との交流があって、『手が動いた』という形でした。
2.noteを通して小説家の方と出会う
私の記事に『スキ』を付けて頂き、その方の記事を読みにいきました。
冒頭に引用にてご紹介した、『緒 真坂』さん。
当時の固定ページに貼ってあった、『切望ブルー、ピンクフォトグラフ、イエローラブ』という小説を読み、
『ガーン!!!』
と来ました。
(語彙力無くてすみません)
今現在『8話』まで出ているようですが、大好きなワンピースと進撃の巨人の次くらいに今後の展開が気になっています。
また、日々の記事や、過去の記事で、作者の『ひととなり』や、生活のための仕事を持ちながらも、文筆活動をやめられないという、『想い』を垣間見ることができ、『親近感』が湧きました。
まあ、そんな建前を置いといて、本音は、
『寂しい私にスキを付けて頂いて、日頃から励まされている』ことだったりします。
最近は、フラッと書店をパトロールをしても、本がいっぱいありすぎて、手に取るまでに至らないことも。
迷った挙げ句、古典文学に行っきがちで。それに、『とりあえず活字読めればいいや』と、ネット小説を読んだり。
で、結局ビジネス書ばかりに手が伸びる。
こんな感じで、小説や文学に対してお金使ってなかったなと。
そんな中、緒 真坂さんの新刊の告知をnoteで拝見し、『おお!』と思ったら、そこで『ワナ』が仕掛けられていました。
amazonで、検索してみてください。
タイトルは「君に届かない」ですが、読者には届いてほしい。
私、こういうユーモアに弱い。
一瞬、『Amazon=密林=南米の大河』が浮かび、
作者→配送業者→国際輸送→アマゾン川→国際輸送→配送業者→我が家
という意味不明な経路が浮かび、ひとりで笑ってしまいました。
また、『読者には届いてほしい』というさり気なくも切実な言葉に、
『応援をしたい』
そう、思い、予約をしました。
密林からはるばる届くのが待ち遠しい。
3.サポートしそうになる時
感動的な話、感動的な文章、感動的な芸術作品に出会った時に、サポートしそうになりました。
そのクリエイターさんが、『逆境の中頑張っている』と、『応援』したくなる。
でも、数百円サポートしてもなぁと思い、思い留まる。
でも、ウン千円をバラ撒けるほど、自分の生活が豊かではないんですよね。
よし!バラ撒けるように仕事がんばろう!
というモチベーションをモチ続けたい。
4.日本人は値段を自分で決めるのが苦手?
日本には『チップ』という文化がなく、『志』をお金で表現するという文化があまりないのかなと思います。
香典とかお祝いも、地域や風習である程度決まってたり。
値段のはっきりしているものであれば、それを必要としていて、金額が見合えば買いますが、
『値段は決まっていません。お気持ちで。』と言われると、困ってしまう。
あんまり小銭だと、かえって失礼とか、思っちゃう。
相手にどう思われようが、『自分の気持ちはこれで』と、言い切るのが苦手。
そういう意味で、緒 真坂さんがnoteを通して、『ご自身の活動を宣伝する』というのは、noteの良い活用方法だと感じ、何か見習えるものはないかと思いました。
5.付加価値を求められる時代
スーパーで野菜を買う時に、『〇〇さん一家が作った野菜』というポップと写真があると、安心して買えたり、ちょっと値段が高くても、そっちが先に売り切れていたり。
デジカメやスマホの普及で、誰もがアマチュア写真家になれる。
絵も漫画も、音楽も、インターネットを介して『沢山の人に見てもらえる』時代。
このように、『商材』が溢れかえっている。
だから、作品をそのままの状態でお金に替えるのって、難しいのだと思います。
『商材』を『商品』にするにはどうしたら良いのかを考えないといけないのでは。
相手が、『お金を出して買おう』と思うようなプロセスや、付加価値を添えないと、『商品』にはならない。
6.プロのクリエイターとは
経験や技術、芸術が『商品』になるには、その経験や技術、芸術を商品化する人たちの支えがあって、その過程を経て『値段』が決まり、世の中に届けられていく。
ありがちな話ですが、
『美味いラーメンを作れる人が商売繁盛とは限らない』
自分の作品が『商品』になるのって、大変ですね。
自分の作品がかつて大きなお金を生み出したという成功体験があると、自分の作品がそのままで価値を生むと錯覚してしまい、『自分を売り込む』という基本の努力を忘れてしまうのかもしれません。
例えるなら、1匹1,000円のマダイが、料亭で捌かれ1匹当たり10,000円の価値で提供されているのを見て、
『それ、俺の釣った魚だから、1匹売りで直販したら10,000円になるのでは』
と、言っているようなもの。
1,000円の魚が10,000円に化けるスキームを、一般消費者は意識していません。
なので、
『料亭で10,000円だから、そういうことでヨロシク』
と言われても、心が動かないのではないでしょうか。
そんなこんなで、noteってなんだろう第2話みたいになってしまいましたが、私も、評論家で終わるのではなく、noteを自身の経済活動に何かしら役立てられるよう、挑戦してみたいと思います。
多分、実名アカウントを別途用意して、自分の仕事を売り込むという形になりそうですが・・・
最後に、
『モノからコトへ』と言われて久しいですが、それはまさしく、
『モノからココロへ』という、時代の要請なのではないかと思う、今日この頃。
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