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自己決定

苦痛なことをたまに思い出す。

この世で1番と言っていいほど苦手な朝に自分の身体と各臓器を叩き起こして
日が登って暮れて光が無くなったあとも
まだ苦しんでいる


そんな具合で苦しい日々があったのだが
自分が選んだことだから不満はなかった。



自分が決めたことじゃないと、全うできない。

以前から薄々勘づいていたが私は不本意なことに折り合いを付けることが酷くできない。

長い間、「言われたことをやること」が正しいのだと思っていた。
利口であることが一番良い事なのだと思っていた。


そうやって過ごしていると、言われた通りのことが出来なかったときに言い表しようのない不安や恐怖を感じた。
聞き分けが良いから、言う通りにできるから怒られない。教育の世界は大概そんな感じだった。
言われたことをできなかったら、決まってお咎めを食らう。

褒められたい以上に怒られたくない私は聞き分けの良い子どもでいることに全集中して1つでも多くの叱責を回避したかった。
でも大人が要求してくることはときに非常にハードでどう頑張っても満点の子どもではいられない瞬間が当然あった。


その瞬間がやってきたとき、「合わす顔がない」というシンプルな理由で簡単に機能不全に陥ってしまった。



過去の自分へ
他人の感情を逆撫でしたくない
とか言って自分の感情には目も向けず
他人の要求に応えるだけの生活のどこに魅力があるのか考えろよな?


人が良いと言うものをその通りに実行して
人が良いと言う進路を志望して
人が良いと言うものを選ぶ

このサイクルで誰が幸せになるのだろう
(みんなハッピーになることもあるとは思う)

人の言うことを聞いてばかりいるから犠牲になるものがいっぱいあるのに。それが本当の大切なものだというパターンばっかりです。

やっていることに不満が止まらないのとか納得がいかないのは、
それを自分が望んでいないから。
もちろん望んだことが簡単に実現するとか思っていない。
にしても自分の意思がない未来で、どう満足できるのか甚だ疑問なのである。


他人にとってどんなに正しいことでも自分にとって価値がなければ意味は無い。
逆に他人がどんなに馬鹿にしていることでも自分が誇れるなら大義があるのだ。



誰かが正しいとするお手本人生を歩むことが、果たして自分の望むことなのか。
大変だけど、自分で決めたことだから不満は無いと言って突き進んでいる人はやはり素敵ですね。

失敗してもいいし上手く行かなくてもいい。
そんなことより他人の圧に押されて自分を抑えつけることがどれだけ残念なことか考えないといけない。

他人の為にやるなら失敗は恐ろしいものだが
自分の為にやるなら最後さえ満足出来ればそれでいい。



突出するものを叩いてねじ伏せる
コストがかかるものを無駄だと言い切る
そういう人々の言うことなど聞くに値しないということを常々覚えていましょう。
特に私とか私とか私とか。

自分が決めたことをやろうや!!

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