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オーロラの温もり

 
その老女は、毎日のようにキースの家にやってくる。
目つきは鋭く、少ししかめ面をしていることが多い。
おいそれと話しかけることができない空気を纏っている。

名前はベッシー。
キースの奥さんのドナは、
彼女に食事を振る舞い、
ビールも自由に飲ませている。
ベッシーは毎日、
当然のようにそのもてなしを受けている。

ベッシーはキースの母親の従兄弟だ。
年齢は76歳。
ひ孫が女の子だけで5人いて、
もうすぐやしゃごも生まれるそうだ。
クリンギット名はグーツ・ドゥティーン。
雲を見る、という意味だ。
なんと美しい名前だろう。

ベッシーは、キースが暮らしているカークロスの街から
50キロほど離れた山奥で生まれた。
クリンギット語を第一言語として話していた、最後の世代。
もうそうした人は、
この集落でも4人くらいしか残っていないそうだ。
キース自身、クリンギット語をある程度知ってはいるが、
英語を全く使わずに生活することはできない。
先祖から伝わる自分達の言語を絶やしてはならないと、
ベッシーはコミュニティセンターで
集落の若者たちにクリンギット語を教えている。
そうやって実際に、
流暢にクリンギット語を話すことができる若者が
出てきているという。
嬉しいニュースだ。

世界各地で、先住民は理不尽な迫害を受け、
先進国による同化政策が取られてきた。
少数民族の文化や言語は、次々と抹殺された。
2010年のユネスコの発表によると、
その時点で消滅の危機にあった言語は2500にもなるという。
日本では、アイヌ語、八重山語、与那国語、などがそれに該当する。
ユネスコは言語と方言を区別しない、という議論もあるようだが、
アイヌ語や八重山語をこの耳で聞いた印象としては、
それは方言と言えるレベルの差ではなく、
日本語とは全く別の言語に感じる。

お年寄りが古来の言語を話すことができたとしても、
若い世代がそれを引き継がない限り、その言語は滅びる。
ユーコンでは、ギリギリの瀬戸際で、間に合ったのだ。
そしてこの取り組みを、きちんと未来に繋げていく必要がある。
クリンギットは、北米先住民の中でも数が多く、
まだ生き残る可能性が高いと言えよう。
しかし、カークロスに暮らすもう一つの部族、
ターギッシュの言葉を操る人は、更に少ない。
こちらも誰かが、
懸命の保護活動に励んでくれることを祈るばかりだ。



キースの親戚の中にも、
クリンギット語を学んでいる若者は多い。
彼らが家を訪れると、
ベッシーは容赦なくクリンギット語で話しかける。
自分の言っていることが分かるか? と問い詰める。
目つき同様、語調も強い。
若者は懸命にベッシーの言葉を聞き取り、繰り返す。
ここでは老人がきちんと威厳を持ち、
若者はそれを敬う。
老人は文化や知恵を次の世代に伝える努力を怠らず、
若者にはそれを吸収する意欲がある。
その姿は清涼で美しい。

真剣に話しているかと思えば、
笑いを交えることもある。
マーシィシィ・イトゥークは、
こんにちは、クソッタレ(Hello, asshole)。
クレフェ・ドット・アウェは、
お前には関係ない(None of your business)。
若者からも笑い声が上がる。

食べものについても
ベッシーは色々なことを教えてくれる。
その昔、白人が初めてこの地に入ってきた時、
彼らはビタミン不足からくる壊血症で次々と死んだ。
しかしクリンギットは死なない。
それは、ヘラジカの内蔵、
特に消化器の内容物を食べていたからだという。
だから、内蔵をあまり洗いすぎてはならない。
それは汚れではなく、大切な恵みなのだ。

考えてみると私自身も、
以前キースが獲ったヘラジカの大腸を捌いている時に
あまり洗いすぎるな、と注意された。
キースの友人は、完全に綺麗に洗われた大腸が
鍋で煮込まれているのを見て、
それでは風味が足りない! と怒って
フンを鍋に投げ入れたこともあるそうだ。

暮らしの知恵に加え、神話も語られる。
昔、魚は皆、水に潜ることができずに水面を泳いでいた。
ある日、グレイトスピリットが、
魚の頭に小さな石を錘としていれた。
そうやって魚は水中に潜ることができるようになった。
だから、魚を頭から食べるのは
素晴らしいメディスンになるという。
確かにヒグマも、魚の後頭部にあたる部分を
よく食べていることを思い出した。

この世には、
我々人間が生きている領域と、
スピリットが暮らしている領域の、
二つの世界があるという。
それらは実は並び立っていて
とても近しく存在している。
たまにほんの少しの時間だけ、
二つの世界を行き来することもできる。
自分の目で見たこと、耳で聞いたことが、
信じられないくらいすごかったとき。
あれは本当に現実だったのだろうかと、
と後から考えてしまうような出来事。
そうした瞬間、
人は皆知らず知らずのうちに
スピリットの世界と交わっているのだという。

グレートスピリットはクリンギットの言葉で
Haa aankaawu(ハ・アンカウ)、
もしくはDikee aankaawu (ディキ・アンカウ)。
※kの下には下線、uの上には`
敢えて訳せば、
大いなるもの、全てを統べるもの、創造主。
ハー・イーシュ、
我らが父、と呼ぶこともあるそうだ。



皆の後ろに座り、
黙って話を聞いていた私に向かって
ベッシーが突然話しかけてきた。

“Young man, you listen to me.
The northern lights keep us warm.”
(若者よ、よく聞きなさい。
オーロラが、私たちを温めてくれているのだ)

突然のことで驚いた。
睨みつけるような、鋭い目つきだった。
そしてベッシーはすぐに私に興味を失ったかのように、
再び他の人たちに語り始めた。

なぜ唐突に、その一言を
彼女は私に投げかけたのだろうか。



若者たちが帰りはじめ、
ベッシーが残された。
私は、先ほどの言葉の意味を、
もう一度詳しく教えてもらおうかと悩み、
しばらく考えた後、やめた。
そしてベッシーの言葉を、
そのまま大切な贈り物として
自分の心の中に仕舞うことにした。
言語化する必要のないレベルで、
私はそれを理解できている気がしたからだ。



話は1998年の冬に遡る。
私はアラスカで凄まじいオーロラに出会った。
北の空でユラユラと揺れる淡い緑色のカーテン。
それが徐々に頭上に広がってきた。
オーロラは勢いを増し、
緑に加えて、青、オレンジ、赤などの色が加わった。
それはまるで光の濁流だった。
気付くと、オーロラの光は
地面を覆う雪にも反射していた。
頭上も足元も、私は七色に踊る光に包まれていた。
あまりに激しい動きとは対照的に
夜の森に音は無く、しんと静まり返っている。
その時に感じた、恐怖に近い畏敬の念。
自分を含めた幾多の命が、
何かとてつもない大きな力により
人智を超えた大いなる力に
自分が生かされているんだという直感。
ベッシーが言っているのは、
きっとあの時に私が感じたものと一緒だ。
クリンギットの言い伝えを、
若き日の私も、自分自身で体感していたのだ。
あの瞬間、ベッシーが言うように
人間とスピリットの世界が交錯し、
私は大いなるものと
言葉のない言葉を交わしていたのだと
今になって知った。

過去の荘厳な体験と、古老よりの教えが
大きな一つの円弧を描き、
15年間の歳月を経て私の中で実を結んだ。

これもまた、
Haa aankaawuのお導きなのだろうか。

この一言に出会えたことだけでも
ユーコンに来た甲斐があったと
心から感謝しながら、
ゆっくりとした足取りで自宅へ帰ってゆく
ベッシーの後ろ姿を見送った。


“The northern lights keep us warm.”




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