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主観VS客観の対立から脱出しよう!

Hundreds Colorsです。
キーワードは「何かが重なり合う場所」をどこで作り出したらよいか?

日本で春を待つ季節になると、人材育成業界では「新入社員研修どーすんの?」という話題になる。

今回の話は、なかなか書籍にはならないと想像するが、よくある話。
苦労する人事部長がさらに悶々とするシーン。

「経験によると。。。」VS「データによると。。。」という不毛な議論から脱出しませんか?

2種類のデータに振り回される人事部長

よくある会議での一般論。

人事部長:「〜というニーズが高まっておりまして。。。〇〇研修を導入し
     ます。
     つきましては、対象となる層は・・・となりまして合計・・名
     です。
     この研修は8時間かかる予定なので、各部署において、
     暖かい送り出しとスケジュール調整をお願いします」

エライ人:「ところで、この研修の目的はなんだね?」

人事部長:「目的は・・・・です。今回に導入して、3年後には●名に受講
     してもらう予定です。
     そういたしますと、社内の●%が共通言語を持つので組織が変わ
     ると思います。」

エライ人:「うむ。。。目的はわかった。
      では、その研修によって、その事業にとってどれくらいの効果
      があると思うのですか?」

人事部長:「えーー、・・・・・すぐには業績としての金額には・・・・」

エライ人:「そこが、肝心なことだよ!
     それじゃあ、今日は決められないなぁー。
     また、来月にしようか?」

人事部長:「は、はい、承知しました。
      私の準備不足で申し訳ございません。あらためます。」

 主観と客観にまつわる話

次の2つの言葉を見てみよう。

主観:物事を認識する働き(を担うもの)。外界に対する自我(が持つ意識内容)。俗に、自分一個の意見。
客観:主観の認識、または主体の行動の対象となるもの。また、主観または主体の作用とは別に、独立して存するもの。

この2つの言葉に、「データ」という言葉をつけてみる。
主観データと客観データ

では先ほどの会議で、ビジネスシーンで、どちらが賛同が得られるだろうか?と想像する。
現実的に想像すると、「客観データ」の方ではないだろうか?

実際に、もし、人事部長が「●●というような状態にしたいのです」と言ったら、どのような返答が来るだろう?
「それは、あなた自身の主観または人事部の主観であって、私(エライ人)の主観とは違う。だから、客観的なデータを予測してほしい」となる確率は高いと思う。

では、主を客の関係を身の回りから集めてみると。。。

主人とお客さんの関係。
もちろん、主人は主(あるじ)であり、お客さんはどこまでいっても客である。

お酒を飲むバーでも、レストランでも、そのお店の「主人」は「お店側の人間」である。
そこに、豊かな時を過ごそうとして「お客さん」はその主人がやっているお店に入ってくる人である。
お店全体にとって、やはり主人はお店側である。
お客さんはいくら頑張っても、お店側の人にはなれない。

もしかしたら、家の作りもそうかもしれないとさえ感じる。
もっとも外に近い玄関の側には客間がある。
家にとってもっとも大切な主人の部屋は奥にあるのではないだろうか?

主と客を使った言葉はないかと探してみると、
「主客一体」という言葉がある。
「主客転倒」のように、主客が逆になると数値を上げることが目的にすり替わってしまったりすることがある。

【考えたこと】主観と客観は両輪だよね!

話を戻して、企業にとっての最重要と位置付けられる資産は「ヒト」と言われる。
その思いを込めて、「人材」ではなく「人財」という字を使う場合もある。

そうであるならば、企業の中でヒトを扱う時、人事の人は自信を持って自分の思いの主人になることが重要ではないだろうか?
主観VS客観という構図に振り回されない方がいい。

そうはいっても、現実的には、私も含めて客観データに振り回されそうになることはよくある話だと思う。
大切なのは、「客観の罠」にハマったな!という感覚を持てるかどうかだと思う。
その感覚を持てれば、あとは抜ければいいのだ。

落ち着いて考えてみると、「人の成長が企業を通して社会をよくするんだ」という熱い主観に立ち返ることができる。

主観データには感情は乗るが、客観データには感情はのりにくい、いうのは人間として自然な気がする。
人事や育成の仕事をするとき、主観データと客観データを「両輪」として組み合わせ、かつ統計的に理解できるようになることは、必須の能力と思う。

主観 VS 客観 が対立する議論から脱出したいものだ。

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