おもしろ、くないわ!

ぶっ続けで書き通します。






◯いつまで新人ですか? “闇のなか走る”


消化器外科病棟で過ごして2ヶ月は経ったのか。

いつも通り、朝から緊張する日々。

いつも通り、1時間早く出勤して情報収集。


朝ごはんの介助が終わり、オムツ交換が終わると一気に部屋周りだ。

この部屋周りがどれだけ早くこなせるかで1日の終わりが大体わかる。




『カトさん、この人の腹水穿刺するんだけど準備しといてくれる?』


主治医のウメ先生から電話。


終わった。

っていうか準備は完全にはわかんねぇ。
介助は先輩見守りでできるけど。



『カトさん担当患者呼んでる〜』

別の患者からもナースコール。

訪室すると、お腹周りが滲出液でびっしゃびしゃ。

ガーゼと包帯交換しないと。

ほかにも採血待ちの患者や便まみれの患者。



この日、私は完全にパニックになっていた。


誰かに聞かないと進まない!

「分からないので教えてください!」


無視された。

ミタさんのプリセプターだけは立ち止まってくれた。


私の気が動転していることに気づいたのだ。


『落ち着こう!カトさん、パニックになってる。』


いやいや、先生がもう上がってくる。
準備は終わってないし、ほかの患者はびちゃびちゃだし、部屋周り一人も終わってないし。


『大丈夫!死なないと思うから。大丈夫だからとりあえず落ち着いて』


そこからその先輩が準備を見てくれて、腹水を抜く介助についた。



めっちゃ時間が掛かった。



一人も部屋周りできていない。
ヤバい、ありえない。

でもどうしようもできなかった。


腹水を抜いた後の患者は血圧が下がりやすいのでフォローが必要で、びしゃびしゃのおじさんはびしゃびしゃのまま待ってくれている。申し訳なかった。



『カトさんもう休憩はいって!』


終わってないけど、無理矢理休憩室に押し込まれた。



先輩が休憩室に溢れている。
それぞれみんな悪口を言っている。




とてもじゃないけどご飯が食べれなかった。


チロルチョコを一個だけ食べて、スマホに集中した。


トイレに行くふりをして、処置室で記録を書いた。


おじさんのガーゼは変えたけど、あれじゃ絶対またびちゃびちゃだ。
他の患者も早く処置しないと。
腹水を抜いたあの人、大丈夫なのだろうか。
終わらない、終わらない。


今日も帰れないのか?



その日、プリセプターから呼び出された。
パニックになっていたことを先輩が伝えたのだろう。



◯ポッキリ折れた心 “涙が止まらない”


『最近はどうですか。』

ぶっきらぼうに質問してくる私のプリセプター。

私は正直に伝えた。

ちょっとスピードが早い。
手術後の患者さんと処置が長い患者さんを同時に見たら私の速さじゃ追いつけていない。
受け持ち患者の重症度を今よりあげるのは待って欲しい。




『いつまでも自立した患者をみるんですか?』

そうじゃない。そうは言ってない。



『情報これだけしかとってないの?ありえない。殺す気?』

この小さな紙にカルテの情報全部書けぬ。
なんのためのパソコンなんだ。



フルボッコで30分くらい言われたと思う。


最近異動してきた先輩も隣で記録を書いていた。
私とプリセプター先輩の話を最初から全部聞いていたと思う。

そしてドン引いていた。


「カトさんは頑張ってるよ。」


かなり心配された。
先輩の家は反対方向なのに、その日は家まで送ってくれた。


私は自分でいうのもなんだが、結構めげないキャラだ。
その日も帰り道は『あんなこと言われても無理っすよ〜』とヘラヘラしていた。
笑顔で「また明日!お疲れ様っす!」と先輩を見送った。


定時は16時、帰り着いたのは21時すぎ。


母親がキッチンでテレビを見ていた。

「今日いつもより早くない?」


なんだか、私のこころの水栓が外れた。


涙が止まらなくなってしまった。

私は親にも涙を見せることはない。


母親はビビり散らかしていた。


そこからは今まであったことを泣きながら支離滅裂に吐きまくった。ずっと泣いていた。


私はなにがあっても解決策を見つける人間だが、どうしようもできない悔しさに泣いていた。


母親は冷静だった。というか怒っていたのかもしれない。


『あんた。もう行ったらダメ、私が電話する、うちの娘がこんなになる職場に行かせれない』


大の大人が親に電話させるなんて有り得んわ。

と、私は笑った。



『大の大人がこんなになる職場に親が黙って行かせる理由は?


あぁ、確かに、それはそうかもしれない。

だけど泣いたことで私はすこしスッキリした。


明日は行く、行って考える。
先輩にはスピードを落として欲しいと伝えたし、明日は行くよ。と、答えてベッドに入った。



翌日、泣きすぎたせいで目が開かなかった。笑


泣いて腫れまくった目で出勤した。


当時、偶然だが感染性の結膜炎が流行っていた。


夜勤の先輩1人と巡回しにきた当直師長が私の目を見て驚いていた。


『結膜炎の可能性があるね、今日は帰ってもらって良い?』

結局、その日は出勤停止にされてしまった。


朝一番に出勤していたので誰も知らないうちに帰らされた。

早退、いや、もはや欠勤だ。


私は病院の近くにある公園のベンチに座った。


病院スタッフが出勤する姿が見える。

また涙が出た。


よっぽど親も心配していたのだろう。

『精神科に行け、診断書もらいなさい。』

一言だけ親からラインがきた。


えぇ、なんで?

診断書?


ただ、私自身も休むか休まないかは置いといて、動悸や涙を止めないといけなかった。


ずっと胸が痛くて、ドキドキして、涙が急に止まらなくなる。



まじでやべぇ。



薬で治るのか?とか思いつつ、精神科に向かった。


数件、断られた。



予約でいっぱい、みんな病みすぎだろ!


やっと受け入れてくれたところも1時間は待った。


初めての精神科。


何を話せばいいの!?


愚痴か!?


ついに呼ばれて、個室に入室した。


先生は杖を使うレベルのおじいちゃん。


高いヒョロイ声で『どうしたの〜?』と。


どうしたんだろう?なんでここにいる?
何を話せば良い?辛かったこと?


咄嗟にカレンダーを眺めた。
目が合うと、見透かされる気がした。


ちょっと、職場がキツくて。


そんなことを言おうとした。

言い終わる前に、涙が止まらなくなってしまった。

外にいた看護師さんが気づいてティッシュを持ってきた。


『あ〜〜〜。看護師さんだったっけ?次の出勤は?明日?あ〜。ダメ、明日休みましょう。僕が診断書書くので。どれくらいかな?3ヶ月くらいだな。頑張りすぎ、いつからこうなった?こんな状態に今までなったことは?今は眠れてるの?』

なんか色々問診された。

今までこんな感じになったことないわ。だから困ってるんだ。


ハッキリと出勤停止を食らった。
診断書をくださいとか、言わないものなのか。

まじ?ってか3ヶ月?
長すぎない?
明日はとりあえず行かないと!とか言ったかもしれない。

ダメだよ、完全に壊れたら治らないよ』

診断書を勝手に出してくれた。

加えて、睡眠薬と精神安定剤の処方。

私はメンタルブレイクなんてしたことない。
嘘みたいだった。

師長になんて言おう。




◯どうすれば良いの? “孤独な戦い”

私は診断書をもらった旨、師長に報告した。

病棟スタッフ全員ビックリしたと思う。

いつも笑顔だったし、休んだこともなかったし。

飄々と爽やかに、新人らしい明るさだったと思う。


ミタさんによると師長は怒っていたらしい。

私のラインの内容が書かれたスクリーンショットをみんなが見れるコピー機の上に置いていた、と。

ミタさんのプリセプターだけはラインをしてきた。

遅れを取らないうちに来た方が良い、フォローはする、と。


私も遅れはとりたくないと思っていた。


診断は3ヶ月の休職、大変なことになった。


ここまで大事になると私と師長だけの問題ではなくなる。

病院トップに報告が行くだろう。

とりあえず休んでいるけど、どういう流れかもわからない。
病院側も新人が急に休んだことしか知らされていない。

どこに話をすればよいのかも分からず、私は誰もいなさそうな時間帯に病院にコソッと行って師長室らへんをうろちょろした。



新人研修のときによくしてくれた副総師長さんなら話を聞いてくれると思った。

けど、迷路みたいな病院でどうやったら会えるか分からなかった。


たまたま通りかかった事務員さんが、奇跡的にコソッと呼んでくれた。


副総師長の顔を見た瞬間、また涙が出た。

むかつく、なんで涙がでるんだ。

私は今までのことを紙にまとめていた。
泣いたらお話にならないから。


こういうことがあって、
いつから症状があって、
こんなことを言われた。

辞めたくはない。
今は出勤できない。
このままのスピードだと人を殺しちゃうかも。先輩にだって人を殺すよ?と言われた。

事の経緯をすべて話した。

副総師長は親身に聞いてくれた。

あとは任せてと言われ、私は全てをこの人に任せることになった。


他病棟の同期には心配されたくなかったので、『休職きまりましたぁ!笑』と一斉ラインを送った。


◯強者たちと話し合い “流れに任せる”


私は何回も体調報告のために職場に行った。

大きくて広い会議室。

急性期担当の総合師長、企業精神科医師、人事部長、書記の事務員、

たまに病棟の師長。


何を言われるかわからず怖かったが、私は事実だけを何回も説明した。

私はいじめられた訳ではない
スピードについていけなかった
人が足りていない 先輩は悪くない
部屋持ちすらできない2年目がいる
他病棟の進め方と私達の進み方が全然違う
ちゃんとフォローしてくれる人はいた
外科は嫌いじゃない
今は体調も良好

ただ、今は戻れない。


病棟の師長は一度も目を合わせてくれなかったが、意外にもみんな親身に話を聞いてくれた。


心の風邪を引いたと思いましょう、と怖い顔の急性期全体の師長が笑って言った。





◯突然の人事発表 “さよなら消化器外科”


私はこの3ヶ月間、好きなことをしていた。

犬の散歩をして、ご飯を食べて、寝て。
猫と一緒に自室の大リフォームをした。
好きなバンドのライブに行ったり、病院のことは考えるのは辞めた。

精神科の先生からもらった薬は睡眠薬だけ使った。

精神安定剤は飲んだら自殺衝動に駆られた。

飛び降りないといけない。いやなんで?死なないといけない、いや3階から落ちても死なんよ。でもすぐそこにベランダがあるよ。飛べ。

めちゃくちゃ怖かった。
一回使ってすぐに捨てた。

自殺願望が強くなる、副作用の方が強く出たらしい。


結果、3ヶ月特に薬のお世話にならず過ごした。


そんなこんなで突然職場から呼び出され、また話し合いが設けられた。



最後の話し合いかなと、自然に思った。




『カトさん、来週から整形外科に異動が決まりました。』





えーーーーーーーーーーーー。
外科は嫌いじゃないけど整形外科?
興味ねぇーーーーー。


とか、思った。

私は急性期のスピードに着いていけなった人間だ。
回復期とかゆっくりしたところに飛ばされると思ったが、また急性期。


今度は病ませないから、怖い顔の副総師長が笑って言った。




私は来週から整形外科病棟へ出勤となった。


ちょっと色々端折りましたが、ド休職しました。恥ずかしながら入職者70人のなかで一番はやい脱落。まさかカトが?と、大ニュースでした。ごめんなさい、私は心が弱かった。悔しかった。残っているミタさんとウエムラちゃんのことも考えて病棟のダメなところを師長の目の前で全部吐き出しました。師長からしたら相当嫌な新人だったと思う。結局ウエムラちゃんは心が病んで突然退職、ミタさんも同様に病んで異動しました。優しかったミタさんのプリセプターもまた、精神薬を飲んで出勤していたらしい。私のプリセプターは医師と不倫をしていて。それで飲み会のことを聞いてきたようでした。その人は子どもを捨てて、先生と他県の病院で働いている。師長も、医師との不倫で師長に成り上がった人だった。こわっ。女の先輩たちはみんな病棟の男性看護師とデキていた。なんだよこの病棟!!!


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