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ゲームをするだけで活きた経営学、活きた経済学が身につく、画期的なマネジメントゲーム(前編) 対談者:西研究所 西 順一郎様

皆さまこんにちは!ヒューマングループnote編集担当 朝永です(^o^)

ヒューマントークVol.20は、MG(マネジメントゲーム)開発者である西研究所 西順一郎先生にご登場いただきました。今回のトークは前編・後編と2週に渡ってお送りいたします。

まずは弊社社長 内海と西先生との出会いからご覧ください!

西先生との出会い

創業者の急死を受け社長に就任、一番に相談した方がMG開発者の西先生でした。

経営者にとって一番大事な経理がわからん私と知って、西先生曰く”だったら全員でMG、全員でコンピューター”の社員教育に取り組んだらと言われ

”はい やります…先生指導お願いします!”

ひたすら続けました…今振り返ると、この意思決定が間違いでなかったと確信しています。

多くの学び、多くの出会い、そしてタヒチスマイルほんとうにありがとうございました。


※対談の本文は、2008年2月にヒューマンニュースレターに掲載したトークを当時の文章で掲載いたします。


ゲームをするだけで活きた経営学、活きた経理学が身につく、画期的なマネジメントゲーム(前編)

note ノート 記事見出し画像 アイキャッチ (14)

<ヒューマンニュースレターVOL.31(2008年2月発行)より転載>

西研究所 西 順一郎 様
ヒューマングループ 代表取締役 内海 和憲

内海:西先生こんにちは。
先生に初めてお会いしたのは、PMCマイブレーンの吉原英令君の紹介でMG研修を始めたのがきっかけでした。
1989年、父が急死した後、どういう経営をしたらいいのかと先生に相談にいき、「全員経営・全員コンピュータ」の指導を受け、それが基礎となって今日に至っている次第です。
まずは、先生の経歴からお話くださいますでしょうか?

西:僕は、長崎県平戸市の一番南端の志々伎というところに生まれて、中学校までそこで暮らしていました。地元の中学校から昭和28年に佐世保北高校に進学し、その後大学に進学するならば東京大学に行きたいと思っていましたので、高校3年生で東京の都立西高に転校し、昼間は都立西高で勉強、夜は代々木学院に通い、高校3年と浪人を同時にやるという方法で勉強をしました。それがうまい具合に実って、無事東大に入学することができました。卒業してからすぐに三菱重工業長崎造船所に就職しまして、5年後たまたまチャンスがあってソニーに入社することになって、あとはトントン拍子にラッキーチャンスが続いていったんです。

ソニーに移ったのが昭和41年10月ですが、翌年2月にはソニーの創業者の井深・盛田両トップのマスコミ担当秘書という仕事につきました。その後、昭和46年から50年まで直接部門である現場に5年間行かせてもらい、そこで誰がどういう尺度で何を意思決定しているかというのを勉強させてもらいました。その経験が後日マネジメントゲームという経営ゲームを開発するベースになるんです。

内海:私は二代目で、経営の本を読んでも、減価償却も経営用語もまったくわからなくて悶々としていたときに、MGゲームを体験しました。MGは理論ではなく、体験学習で経営の本質とか意味とかを理解することができます。西先生はこのMGゲームを開発するときは、どういうきっかけで、どういう思いでつくられたのですか?

西:きっかけは、昭和47年前後だったと思うのですが、ソニーの研修課でドイツ製の経営ゲームを1台買ったんです。そのゲームは、「ボス(社長)をやってみよう」というゲームで、それを私も一晩やらせてもらったんですが、やってみた感想は「これはダメばい!」・・・。自分が今働いている音響事業部やテープレコーダー事業部には、たくさんの設計マンや開発マンがいて、土日もなく、休みもないという感じで仕事を頑張っている。その厳しさに比べれば、さいころをコロコロ転がして6が出れば売れたとか、今は売れていないとか、経営というのはそういう風な気楽なものではないというのが僕の第一印象でした。ところが、昭和50年11月、そのゲーム開発の仕上げの段階で、何の因果かたまたま僕がそれにタッチすることになったんです。

内海:MGを開発される途中で、「ああこれだ!」というビビッとくるものがあったのでしょうか?」

西:戦略会計というのを自分の中でつくり、そのあと昭和50年11月に自分の希望で子会社に移ることになった。そこで動いていたのが、先ほど言ったドイツからきた経営ゲームの改造版でした。子会社は10~15人の会社だったのですが、僕が11月19日に移ったばかりなのに、周りのスタッフは「この経営ゲームはここへ持ってきて半年以上たっているし、開発の時間も結構かかっているんだから、早く販売に踏み切って年末にも出したいんだ」と言う。
僕から見ると、ゲームそのものもできているとは言えないし、ゲームの情報系統も全く駄目だと思いました。このゲームを見ながら僕は、ゲームはゲームとして仕上げて、ゲームの決算である情報管理は正規の簿記の原則、企業会計原則とか原価計算基準とか、そういう本当の学問をとりつけてしまえば、非常におもしろいものができると思ったんです。世界で初めて、遊ぶだけで経理がわかるゲームができる。僕は夜間、経理学校に通って経理を学んでいた時期があって、行くと苦しいというかつまらないというか、眠気が来てあくびが出るようなそんな感じで、でもそれを全部乗り越えて勉強せざるを得ない状態だった。でもこのゲームに経理システムをとりつければ、苦労して経理を学ばなくても、遊ぶだけで経理がわかる、世界で初めての画期的な開発ができると思いました。

僕はソニー創業者井深大さんの考え方を非常に尊敬していますし、井深さんの考え方は、本田宗一郎さんの考え方で、本田さんの考え方は世界のピーター・F・ドラッカーの考え方なんです。だからこの考え方をゲームに染み込ませてそのゲームを散々やれば、小井深、小本田、小ドラッカーになれる。そういうゲームを作りたいというのが一つのテーマでしたね。あと、情報システムを正規の簿記のやり方でやりたかったのですが、決算システムを正規の簿記の原則でやると、優秀な課長さんでも、額にタテジワができるくらい厳しい状況でした。そこで何とかこれに代わるものはないかと考えていたところ、昭和51年1月5日、通勤の途上、マトリックス会計をやれば二ついいことがあると閃いたんです。

一つはどんな人でも決算が早くできる、二つ目はMGにつければマトリックス会計は必ず広がるし、今の右左会計の天下をひっくり返すことができるとそう確信しました。「マトリックス会計」という言葉は僕が考えたのですが、当時は「行列簿記」と言っていまして、行列簿記の研究者の越村信三郎先生に直接お会いしてアドバイスを受けたいと思いました。

2月11日の建国記念日で雪が降っている寒い日でした。1~2時間越村先生とお話しして、かなり刺激は受けましたが、残念ながら得たい回答は得られずに帰宅しました。締切り日を決めないと開発は進みませんので、まずマスコミ発表の日を、2月23日(月曜)朝10時、営業開始は4月1日という風に、まず自分で締切をきめて進めていくことにしたのです。そうこうしながらとうとう2月23日がきてしまったのですが、これは今だから言えることですが、マトリックス会計はまだ未完成でした。

でも発表の日に一緒に出てくださった越村先生が、非常にいい提灯持ちをしてくださって、どうにか発表は無事済ますことができました。その日の夕方、数人でビールを飲みながら打ち上げをしていたときに、「西さん、項目の並べ方は、決算がやりやすいように並べりゃいいんだよねって越村先生がポロっと言ったんです。それが大きなヒントとなって、3月6日土曜日の朝10時、調布の我が家でパーっと回答が来た。それまでは経理の常識というのは一番上が現金でその次が売掛金で・・・と流動性配列というものになっている。マトリックス会計も同じように、流動性配列でつくるのが当たり前だったのですが、でもそれは当たり前の発想であって、ユニークな発想じゃなかった。その並べ方を壊すことにした。それでできたわけです。

ワルツというのを踊って、途中から逆ワルツを踊るというおもしろいやり方ができた。完成したので、3月10日ソニー本社の特許部へ「実用新案がとれると思うのでやってくれないか」と持って行った。ところが、ここで特許部の人がいいことを言った。「西さん、これね、まずはワルツでしょう、次に逆ワルツでしょう、でもう1回ワルツでしょう。で次にまた逆ワルツでしょう。4回になっていますが、この左回りを1回にして、次に右回りを1回にすれば2回で済むでしょう」と・・・!!

ということで今のマトリックスができたんです。このようにいいアイディアはもらって、悪いアイディアはどんどん遠慮なく全部拒否してできたのが、今のMGであり、マトリックス会計なんですね(笑)。 このマネジメントゲームが完成すれば、倒産件数を半減できるだろうし、このMGで47都道府県全部回れるから、大好きな旅行もできるとそういうことを考えながら、非常に楽しみながら開発していました。

内海:私どももMGを最初にやったときは、本当にチンプンカンプンで、今まで使わなかった頭を使わないといけないという事と、言葉についていけなかったですね。テーブルでワアワア楽しそうに騒いでいる人の一番隅っこで、「何が楽しいんだろう?」と思っていたのですが、続けてやっていくうちにまさしく車の運転と同じで、体にゲームがしみついていくのがわかって、MG用語が解っていくうちにMGのすごさを感じましたね。約20年MGを続けて来られたのは、PMCマイブレーンの吉原君がそばにいてくれたこと、また西先生が長崎県平戸市のご出身であるということで、本当にラッキーカードを何枚も引かせてもらったという感じです。

西:MGを作りながら、こんないいものは特に九州には植え付けたいし、長崎県にも植え付けたいし、平戸にも植え付けたい・・・と思っていました。ですからとにかく吉原君がMGを知って始めてくれた、それが縁でヒューマングループが始めてくれて、地元の皆さんがやってくれるようになったのはとても嬉しかったですね。特別の思い入れがありますね。


朝永のつぶやき

最後まで読んでただきありがとうございます!ここからは、担当がトークを読んだ感想をまとめたプチコーナーです(^o^)/

今回はMG(マネージメントゲーム)を開発された西先生にMGが生まれた経緯をなどをお伺いしました♪

先日、ちょうどMGに初参加させていただいたので今回のトークは個人的にとってもタイムリーだなぁ〜と思いながら読んでいました(*^-^*)

私がゲームのなかで一番苦戦したのは、「マトリックス会計」の部分だったのですがトークを読みながら振り返ってみると、とても考えられた仕組みだったんだと実感しました…!

シートに書かれている順番に取り組んでいけば、次、その次と必要な数字が出てきて、会計ができる!

逆に順番通りにしなければいつまでも数字が合わず終われない…すごいシステムですよね!ちなみに私は順番を間違えて数字が合わなかったことが何度もありました(笑)

後編ではさらに西先生とMGについて詳しくお伺いしていきます!ぜひ後編もご覧ください♪

それでは今回はこの辺で!また次回お会いしましょう。

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