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目標は人の数だけ(前編)

※2020年度と2021度の2年間、メールマガジン『ごかいの部屋~不登校・ひきこもりから社会へ~』のバックナンバーから厳選した100本の掲載文(コラム)を転載してきましたが、2022年度からは『ごかいの部屋』掲載文にかぎらず過去に書いた文章を毎月1~2本、時系列に転載することによって私の自称 “体験的不登校・ひきこもり論” の進展をたどりながら理解と対応の参考にしていただけるよう進めています(執筆時から年数が経っていることで修正する場合があります)。

※2022年度からは「原則として2年前までの文章を転載する」という方針で更新しており『ごかいの部屋』掲載文にかぎらず30年余り前の文章から選んで時系列に転載を進めてきました。そして現在は2年前の文章を掲載しています。そこで今月は、おととし6月に配信した『ごかいの部屋』の掲載文を転載します。私も作成に関わった「ひきこもり人権宣言」と、そのずいぶん前に発表されていた「不登校の子どもの権利宣言」に共通する2点について、私の自説を当てはめて説明したものです。

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否定的な認識と肯定的な認識

 前回の本欄(注:2022年5月26日に転載済み)で私は、自身が作成に関わった「ひきこもり人権宣言」と、そのモデルでもある「不登校の子どもの権利宣言」に共通する3つの条文を取り上げ、それらに込められた本人たちの願いを推測しました。

 これは、当メルマガでもお知らせした年次イベント「不登校・ひきこもりセミナー2022」(セミナー)で行った講演にも盛り込んだうえ「本人の心理と家族・支援側の見方と対応方針」を4つの視点から取り上げ、視点ごとに本人と家族・支援側とのギャップをお伝えしました。

 今回はそのうち2点を取り上げ、参加者の方からのご意見を参考にするなどして修正した説明の仕方でお伝えします。

 第一に「本人への認識」です。

 15年前に配信した149号の本欄に書いた「不登校/ひきこもり状態の本人を否定的に認識するか肯定的に認識するかによって、対応や目標への考え方が違う」というお話を加筆修正します。

 まず、否定的な認識には「病的」「ひ弱」などと解釈して本人を「異常な人」と捉えるものと「甘え」「怠け」「わがまま」などと解釈して本人を「悪い人」と捉えるものがあります。そのため、対応への考え方は前者が「治療」で後者が「矯正」ということになります。

 そうなると、目標への考え方はどちらとも「戻す」ということになります。前者は「治る」というイメージですし、後者は「更生する」というイメージで、それぞれ “本来あるべき姿” に戻すことを目標に設定するところが共通しています。

 いっぽう私の認識は「困難局面に遭遇したときの生きざま」と解釈して、本人を「異常な人」でも「悪い人」でもなく「妊娠したような状態の人」と捉えています。そのため、対応への考え方は「配慮」ということになります。
 つまり、妊娠している人を治療するとか矯正するとかいう発想はありえないわけで、妊娠している人には配慮するのがあるべき対応でしょう。
 それと不登校/ひきこもり状態への対応の考え方は同じだと私は確信しているのです。

 そうなると、目標への考え方はそのままの歩みを続けた末に自分なりの生き方を獲得すること、すなわち「治る」でも「更生する」でもなく「出産する」というイメージであり「戻る」のではなく「新しい地平に立ち至る」ということが目標だと考えています。

 加えて、目標の違いはさらに「単一の目標」か「多様な目標か」に分かれます。
 と言うのも、否定的な認識からは、治療だろうと矯正だろうと、目標は学校/社会復帰しか出てきません。それに対して私の認識は「自分なりの生き方を獲得する」ということですから、それからは人の数だけ目標が出てくるわけです。

 本人の多くは、自分のことをこのように認識して、自分なりの生き方を獲得できるよう支えてほしいと望んでいるのではないでしょうか。

                           <後編に続く>

不登校・ひきこもりに関する研修費に充て、相談支援のスキルアップと充実したメルマガ掲載文執筆に還元させていただきたく、よろしくお願い申し上げます。