・私について 1994年生まれ FXトレーダー歴6年、FX講師 ヨガ歴10年 (全米ヨガアライアンス RYS200) 国立大学法人東京学芸大学卒 国立大学を卒業し、幼稚園教諭第一種免許、小学校教諭第一種免許を取得。 学校の成績は優秀だったが、お金の知識がなかったため”東北の被災地の子供達を支援する”という名目の投資詐欺に遭い借金を背負う。 返済していく中で、ある億トレーダーのとの出会いがあり弟子になる。 “投資初心者にも簡単で再現率の高い手法”でお金を増やし借金を
・ヨーガとは”落ち着き”を得るための戦略である 巷ではヨーガのレッスンは ”健康のための運動”と捉えられています。 では、ただの運動とヨーガのレッスンにはどんな違いがあるのでしょうか? 実は ヨーガのレッスンというのは”戦略”であり、 いくつかの目的を達成するためにあるのものですが、 その目的の一つは”落ち着くため”にあります。 それはヨーガについて記されている書物、 『ヨーガスートラ』の中に書かれています。 ヨーガのレッスンに参加すると 「落ち着いた」「スッキリ
「周りに悪口ばかり言う人がいて嫌だ。」 「いつも怒っているあの人にできれば会いたくない。」 「わがままな友達に困らされている。」 これはかつて私が愚痴をこぼしていたことの一例です。 当時は気付きませんでした。 これがまさか自分の自己紹介をしていたなんて… どういうことでしょうか? この世の中には 「自分の意識の中に既に存在しているものにしか接触できない」 という法則があります。 つまり、 「私が周囲に性格の悪さや怒り、傲慢さを感じたとするならば、 それは自分の中
マザーテレサは言いました。 思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。 言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。 行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。 習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。 性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。 この言葉の出発点となる"思考"とはなんでしょう? 辞書には 「考えること。経験や知識をもとにあれこれと頭を働かせること。」 とあります。 また、 思考と意味が混同されやすい言葉に "想
「自分より相手を優先することは尊いことだ。」 「自己犠牲を顧みずに他人の利益を考え行動できる人は素晴らしい人だ。」 そのように、 まるで神様のような"利他的な性質"を持つ人 になれたらいいな〜。 とは思うものの、絵空事のように思われる利他性。 「利他」とは、 自分のことは後回しにして、相手のために、相手を優先する心掛けのことです。 例えば、 自分のことよりも他の人のために尽くすことは 自分に余裕がある時は多くの人が利他的になれるかもしれませんね。 ・お腹がいっぱい
ヨーガをフィットネスだと思っている人も多い昨今、 ヨーガを最大限活用して 自分の肉体、心、脳を"バージョンアップ"するには 何が必要でしょうか? 優秀な先生? もちろんそれはとても大事ですが、 優秀な先生のレッスンでも 筋肉体操で終わってしまう人と そうでない人に分かれます。 その違いはなんでしょうか? 答えは ヨーガに対する"目的意識"の違いです。 目的意識とは、 "自分の行動をどのような目的で行うのか"を 明確に自覚できていることを指します。 仕事であれば、
『ヨーガ教室に行ったのにかえって身体が痛くなった』 『瞑想をしたのにかえって心が落ち着かなくなった』 『ハートチャクラを解放するというワークを受けたのに イライラが増して人を遠ざけたくなった』 これは全て私が経験したことで、 なぜそうなるのか ずっと理由が分からなくて混乱していた。 このようなことが起きると、 ヨーガや瞑想、精神世界のワークを受ける前より かえって自分の状態が悪化するので しばらくはそのリカバリーに追われる。 リカバリーに充てている期間は さらに悪化
体調が悪い時、 心の中のモヤモヤが出てきてしまった時、 それに対処するのは大変。 なぜなら既に顕現(=現象化)してしまったものだから、 自分でなんとかしようと思ってもなんとかしにくい。 鼻水は止めようと思っても止まらないし、 身体のダルさもなんとかしようと思ってもなんとかならない。 身体の不調は連動して心にも影響が及ぶ。 そんな時は元気な時に比べて俯瞰の力が弱まる。 そうして気付けばあっという間に身体や心の不調に自分が同一化されてしまう。 ヨーガの達人になれば 自分
「ヨーガ教室に行けば体型がほっそりして、感情も人生も好転する」そう思ってヨーガ教室に通っている人は少なくないと思う。 確かにヨーガ教室に行けば最後は気持ちが落ち着いて、体もすっきりした状態となる。 ただ、その落ち着きがスタジオを出た瞬間失われて元の日常に戻ってしまうのはなぜか? その理由は3つある。 まず、1つ目の理由は 「目的意識が違うから」 一般にヨーガ教室に通う目的は ・ボディメイクをしたい ・身体を良い状態に保ちたい 等、肉体に関するものが多い。 そこを目指
私たちは体で作業をしながら、心は別のことを考えることができます。 それは誰がしているのでしょうか? 体や心に集中させている”私"は一体何なんでしょう? 例えばあなたが車を運転する時に 80キロで一定の速度で運転しているとします。 外から見ている人は車を運転している"人"ではなく、"車"を見ます。 「車が80キロで走っている」と。 つまり、80キロでずっと走ってる車自体を見ていて 中で運転しているあなたのことはあまり意識に上がってこない。 その車の中には運転手である
何個か自分に合うかやってみて 検証の結果を見て お気に入りの方法を探すのもいいかもしれない だからストレスを感じた時こそ、 そのチャンスだということ! まず、無視する(無執着) 無執着へのステップの1番目は "調査"の視点を持って、相手と同調しないこと つまり相手と距離を取ること =相手の土俵まで降りていかない 相手のいいところを見つける =その人の使命や生まれた意味に視点を当てて 表面ではなく奥の皆が共通に持っている純粋性を見る (上級者) とっさに"何これ最高"と
生きていれば時にストレスを感じる時がある 普段楽しければ楽しいほど 急にストレスを感じることに出会うと びっくりしてしまうけど、 人生はサイクルで波がある そんな時、 ネガティブな感情波動に引っ張られてしまっては 余計にストレスが増大してしまう できることは、まず状況を俯瞰すること 俯瞰できても感情は上がってくる その感情を感じながらゆっくり呼吸すること その感情を否定せず受け入れてあげること 相手も自分も責めないこと 良い悪いのジャッジをしないこと 今感謝できる
自分のやってみたいことを表現、アウトプットする時に どうしても完璧にしてからでならないと思ってしまう。 そんな時は一向にやってこなくて、 だから今日今自分のできる範囲で一歩を踏み出してみようと思った。 まずは、"投稿する" それができればOKにしよう。 小さなステップを作って着実に積み重ねていきたい。