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「雑文35198」  本多裕樹

「雑文35198」






 今日もこうして夕刻を迎えようとしています。今日は休日で台風の日でもありました。なので午前中はどこにも出かけず部屋でずっと過ごしていました。時間がありましたので、習字をしたり読書をして時を楽しみました。お昼はよくわからない茶漬けを作って食べました。


 なんともうだつの上がらない自分を見つめる日であったように思います。自分はこれから何かすごいことを達成できるか、できないか。そのまま時間がすぎて年老いてしまうのかとか。やっぱり若さがないので、頑張るのも大変です。頑張ることをしてみた事もあります。割と最近、何もできなかった。途中で中断して手付かずで、例えば詩を書こうとしてペンを進めるが、完成まで気持ちが続かない。無尽蔵に書けた若き日に十分、書いておいて良かったなと少し胸を撫で下ろす。


 そういえば若い頃はなんでもできた。しなかった事もあるが、あの無限のエネルギーは二度と戻ってこない。今、二、三十代の方は今が勝負時ではと思います。後々電池が切れた時、後悔しないように頑張った方がいいと思いました。例えば甲子園みたいな舞台に立つとか、海外に渡航し見聞を広めるとか、難しい仕事をしてみるとか、力ある時にやるべきことはやっていいと思います。


 そういう私ですが、絵の方を頑張っていました。若き情熱をすべてキャンバスに捧げてぶつけていました。それでいくらか予想以上の成果を出せたし、傑作らしき作品も描けたので満足しています。今後も制作はしますが、今は墨の文人芸術に傾倒して趣味人になっています。あと、読書ですね。読書くらいができるくらい。



 読書は最近、よくします。名著と言われる有名な作品から今の作家の本まで読んでいます。電子書籍の個人出版の本を読んだりもしています。


 最近、これも昔、出版した「芸術の書」という電子書籍を今さらになって整理しています。不完全な著作で編集も雑でありますので、校正推敲をしています。また、芸術の書を再び今の心境の文を書き始めましたが、やはり、若き日の文章の真似はできないし、昔の私ですが、今の私と脳の思考や情熱が差がある。若い日の私に勝てない現実を覚えています。


 今は、文人の境地を目指しています。趣味人、そんな感じ、それは中年の真っ只中にいるからでしょうか。第二のオタクの段階に来ているのかも知れません。労働というか仕事はできているかできていないかですが、それも最初勤めた時のファイトは無くなっている。無理しないでやっています。時々、電池切れしますが、それでも頑張っているつもりです。もはや、芸術で社会貢献は難しいので、職業を懸命にやるしか、自分に自信もてるものがないのがあるから、必死にやっているつもりです。成果を出せているかというとそれもほとんど凡庸の成果、もしかしたら凡庸にすらなれていないかも知れません。それでも頑張らなくてはなりません。


 芸術の方は他の人が頑張ってくれるので、私はそんな頑張らなくてもいい現状です。まだ、頭の中では頑張る姿や絵のイメージはあるのですが、いざやるとなるとヘナヘナと弱っていって一筆も進まない。もともと、体力が無いのだろうか。昔は難しい制作でも熱意をほとばしりながら描けたのだが、頭の中だけは若い時のままで、私の肉体も精神力もイメージについていけない現実があります。墨の絵なら描けると言ったところです。墨は軽いし、あまり難しいものでないので可能であると言えます。


頑張ることができなくなっている。


頑張れと言う励ましの言葉が暴力に感じる。


頑張れないのだって。




意外に自然に入れるなら、それで頑張れる。でも、それは途中で電池が切れる。


無理しなければいいし、その無理しないやり方でもフラフラやヘナヘナしてくる。途中で休憩して、また頑張る。


ほとんど、年寄りのような


老人のような、中年のおじさんになっている。


生命エネルギーは誰でも平等だ。


使えば消費して、命を削っていく。


一時期で燃焼か、それは短距離走


長く細くで長生き路線で行くか、


それは自分で調整して人生を生きるしかない。


生命エネルギーの量は誰もが平等だ、それを何に変えるかだ。


それは仕事の達成であったり、


出産や子育て、育児かも知れない。






2024年9月1日 本多裕樹

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