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4、観念と抽象 (芸術の書 断片)

4、観念と抽象



 観念と抽象について語ってみたいと思います。よく抽象的なことはわからないので敬遠される方に会ったことがあります。観念といっても理解できない難しいという人もいます。それは何故かというと目に見えないから信じる事ができない。ということでした。しかし、そのような方でも心ということの存在を認めなくては生きていけない。

たとえば心も脳の火花にしか過ぎないと言ってしまうと、まったく人間の尊厳も失われていくでしょう。それなので、心の存在は無条件で信じているのが本当だと思うのです。そして、その心に精神があり、あらゆる知性の眠った可能性が内在しているのです。観念は心の純粋な実在であることです。

抽象というのは、観念そのものであると言ってもいい。心なかに、内在された英知が誰にでも宿っています。それを出して行くことが大事なのです。まずは、自分の心の可能性について、自分の可能性を信じて、信頼する事です。まずは、そこから始まる。そこから、哲学がはじまり探求が始まって行くでしょう。

人生の中にはいろんな疑問があります。その疑問について逃げずに答えを出して行くことが、観念の可能性を見出すでしょう。心を信じて、そして、神の実在を信じ、認め、探求していく中で観念を悟る事でしょう。

抽象の可能性と、観念の可能性は、どのように出して行くか。この章は絵画なので、ここで語って行きます。絵画とは表現です。そこで、その難しい観念や抽象をいかにして悟って行くかですが、われわれは、表現する事でその手がかりを出して行く。絵にしていくにおいて、色や線を用いて、禅の修行に用いる書道のように、画家は絵によって心の姿を線の行くまま、色の塗り込めるまま、自分の精神の中でうずまいでいるエネルギーを出して行く、画用紙、キャンバスに表現していく、表現していく事で、手がかりを探して行く。なぜなら、絵は眼に見える作品でありまして客観的であります。観念や抽象は、絵として客観的に具体的にしていく、それは具象画とかそういうのでなく、精神の可能性を、抽象画のデッサンをしていくのです。デッサンは世界を作って行きます。デッサンは精神の旋律をもって絵として誕生する。それが具体的になっていく。抽象画は表現していく事で具体化していきます。そうすれば、目に見えない世界を絵画作品として、多くの人の目に触れて、新世界を見る事になりましょう。その抽象画は画家の見た観念の世界であることです。自分が本当に納得した抽象観念の絵であれば、より鑑賞者の心にダイレクトに伝わって行くでしょう。そのために、画家は抽象画のやり方をもって、観念の絵を形を現象させれば、悟りが深まって、抽象画家としての資質が出来てくるでしょう。

私は抽象画や抽象観念をどうやって得るかという提案は、表現する事にあると思います。あと、言葉に変換する。これも表現する事です。表現を通して、一つ一つ具体化して実在感を出して、自分の思想なり哲学、芸術にしていくのが可能な方法であります。

最期に、抽象と観念を悟り得るためには絵画や言葉、文章をして表現をと通して現実にしていく事がいいと思います。

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